第25話

「アコーレ?」

 リリンカが廊下に控えていた従僕を呼んだ。

「はい、お嬢さま」

「おまえは計画を聞いていたのか?」

「今朝、オルリーンさんからうかがいましてございます」

 この男がどれほど有能なのか、一番よく知っているのがリリンカだ。

 アコーレはもともとルブリック伯爵家の上級使用人だった。リリンカの出征時に、彼女の従卒として戦地へ行くことを伯爵が自ら頼んで以来、苦楽を共にしてきた。

 これが貴族としての権勢を争うような話であれば、子爵ですら公爵家には敵わない。だが今回の場合、とにかくリリンカが戻るまで、ユランナが人の目に止まらない場所で無事に暮らすことさえできたらいいのだ。

 そして、たった一人で身を隠すというユランナを、誰かに任せるとしたら、確かにそれはアコーレ以外にあり得ない。

「ケンデルの教育を、これ以上先延ばしにはできない。そうでしょう、バゼル」

「そうだが……本当にいいのか、ユランナ」

「リリンカさまが任務に行かれるのに、あなたに庇われて安穏としているだけでは、伴侶として申し訳がたたないと思う。リリンカさま、私はお留守の間にアコーレどのから身を守る術を習おうと考えているのです」

 外出時に喇叭銃ブランダーバスをスカートの下に隠し持っていたこともあるユランナだ、そういった意欲があるとしてもなんら不思議でない。

「そんなことを、あなた自らしなくていいようにするのも、結婚の目的のひとつだったはずなのに」

「もう違います」

 きっちりと編み込んだ髪を掻きむしりそうになったリリンカの手を、ユランナが優しい手つきで押さえた。

「私は何かの目的のためにリリンカさまと結婚するんじゃない。ただそうしたいから、するのです」


 二人はそのまま、手を取り合って祭壇の前まで歩いた。

 男女の結婚なら、夫となる者が待つ祭壇へ、父親に手を引かれた花嫁が向かうのが段取りだ。

 けれどどちらも女性の場合はどうするか。きちんとした定めは見当たらず、慣例もない。一緒に歩くのは、昨夜のうちに決めていたことだ。

 結婚に異議のある者も現れず、誓約は無事に済み、二人は伴侶となった。

 リリンカは式が済むとすぐさま待たせていた馬車に飛び乗り、慌ただしく港へと発った。ユランナの希望通りに計らうよう、子爵とアコーレに頼むのも忘れなかった。

 教会の前で見送るユランナを、道を曲がり姿が消えるまで見つめて、リリンカははじめてため息をついた。

 結婚とはこうまで人を変えるものなのか。この自分が、任地に着くより前から帰還に思いを馳せるなんて……。


◇◇◇


「リリンカ・ゼアドゥ着任いたしました」

「ご苦労」

 敬礼するリリンカに答礼したのは、四十かそこらの年齢に見える女丈夫である。

 艦の最後尾、いざ戦闘となれば取り外される隔壁に区切られた室内だ。壁には使い込まれたサーベルに手斧、椅子やテーブルは手荒く扱われることもあるのか、あちらこちらいたみがあるのが見て取れる。

 リリンカは戦艦フリゲート『ポーピア』の艦長室に出頭していた。

「私はこの『ポーピア』の艦長、タラーテ・ガライ大佐だ。王立魔法連隊所属だが、海軍における戦役魔女の統括を務めている。……と言っても、海軍に常時派遣されているのは私一人だがね」

「勇名はかねがね伺っております。お会いできて光栄です」

「勇名ねえ。どうせおおかた、『女海賊』とか『海竜』とかだろう?」

 刀傷の痕で分断された眉を皮肉げに引き上げ、タラーテが鼻で笑う。

「それが作戦名コードネームではなく二つ名なのですから、文字通りの英雄でありましょう」

「『戦艦』、貴様こそ。私ですらおかに上がるよりも先に噂を聞いているぞ。爵位を賜ったそうではないか。伯爵とお呼びするべきかな?」

 物言いはきわどいが、表情と声の調子はからかうものだ。体格は大柄だし、顔には向こう傷のある一見威圧的な容貌だ。しかし微笑むと、丸顔が強調されて愛嬌があった。

「それには及びません、マム。この艦の中にある限り、私はあなたの部下なのですから」

 リリンカも笑って一礼する。

「あらあら、若いお嬢さんをいじめているんじゃないでしょうね?タラーテ」

 背後から、年齢のわかりにくい女性の声がした。


 振り向いて、当然いるはずのに対応しようとしたリリンカは、体を強張らせた。

 はじめ誰もいないように見えた次の一瞬には、そこに人が立っているのを認識した。

 しかし、顔が見えない。

 暗い赤の魔女の軍服を身にまとっているらしきことはわかる。だが、その人物の顔まわりに焦点を合わせようとしてもぼんやりと歪んで見える。顔がどうしても――。

「貴様こそ人が悪いぞ、ルゼ。戸惑っているだろうが」

 タラーテの言葉に、目の前の何者かの肩が揺れた。おそらく笑ったのだ。

「あら、ごめんなさい。今回の任務をご一緒させていただくルゼよ。よろしくね、お嬢さん」

 そう言っておそらくお辞儀をしたのだろうが、相変わらずその女性の頭の周辺はもやがかかったように曖昧だ。

「まったく、その薄気味悪い魔法、自己紹介の時くらい解除できないのか?」

 リリンカは先ほどから、ルゼの顔をどうにかして見られないか、目を凝らしたり細めたりしている。だがやればやるほど、顔のあるあたりの空間がぐにゃぐにゃと歪んで、目まいすらもよおすしまつであった。

「私の顔、あまりよく見ようとしない方がいいわ。全体をふんわり把握する程度にしておけば気にならなくなるはずよ」

 助言の通りにしてみると、確かに目まいはおさまったが、今度はなんだか、そこに本当に彼女がいるのかすら怪しく思えてくる。なんと面妖な魔法であろうか。

「私の顔は一応、機密という扱いになるの。人から認識されないのも任務のうちなものだから」

「同じ理由で、階級も姓もこいつは名乗れないんだ。連隊では『無貌』のルゼと呼ばれる魔女さ。私の艦に乗せるのはこれで二度目だが……まあ悪い奴ではない」

 そこまで言われ、リリンカはハッとして敬礼した。

「ご無礼をいたしました、マム。リリンカ・ゼアドゥです」

「どうぞルゼと呼んでちょうだい。あっと、そうね、私の居所がわかりにくいのなら、これを目印にするといいわ」

 ルゼは(おそらく)軍服の隠しポケットから帽子を取り出して、頭らしきところに乗せた。白黒縞の太いリボンがふわりと垂れ下がると、そこに顔はやはり見えないのだが、いくぶん落ち着いてこの女性を認識できるようになったのだった。


◼️◼️◼️


リリンカへ


 船旅はどうですか?

 任務でどこへ行くのかって、家族でも教えてもらえないんだね。テオセンは、手紙を出してもリリンカが受け取るのは帰還したあとになるだろう、なんて言ってる。そうなのかな?

 だとしても、あなたが不在の間の皆の様子をお知らせするために書き残そうと思います。


 なんと言っても気になるのは新婚の伴侶のことでしょうから、まずユランナさんについて。

 彼女が今とても危険な立場にいるというのを、子爵から教えていただきました。我が家でお預かりするのは大歓迎。リリンカの私邸に一人きりなんて危ないものね。

 ただし、使用人にも顔を見せない方がいいということで、まったくお部屋からお出になりません。私を含めて、誰もまだお姿を見ていないんじゃないかな。

 そんなの退屈に決まっているから、私がお話し相手になったらどうかとお父さまに言ったのだけど、許してもらえませんでした。リリンカが戻ればいくらでも仲良くなる機会があるそうだから、それを楽しみにしておきます。

 代わりに、侍女のオルリーンとは何度か話しました。ユランナさんのお世話は全て彼女が受け持っています。結婚式のユランナさんのお衣装がとても素敵だったから、今度私のドレスにも助言をもらいたいな。私の侍女は今のところ経験豊かとはとても言えないので。


 リリンカが任務に出立してから、社交界は代わり映えしない、退屈な空気になった感じがします。今年は他に皆の話題になるような令嬢もいない様子で、早々と田舎の領地に引き上げる人たちもいるみたい。

 私は相変わらず、お母さまに連れられて夜会めぐり。以前出会った、素敵なはまだ見つかりません。あれだけの男性がまったく社交の場に現れないなんて、よほどの変わり者かも。私も社交が大好きというほどではないので、気が合うかもしれない、と考えることにしています。


 任務で忙しいでしょうから、返事は無理しなくても大丈夫。

 体に気をつけて、無事のお帰りを待っています。


あなたの妹 アンシェマより

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