第12話

 茶会は滞りなくお開きとなり、リリンカも父とともに帰途についた。

 合流したルブリック伯爵は、もちろんアグレシン子爵との間に何かしらの進展があったものと決め込んでいる。

「養女どのに紹介までしたのだぞ。どこの男が結婚を考えていない相手にそこまでするというのだ?」

「父上。紹介もなにも、私はユランナ嬢と、子爵よりも早く知り合っているのですよ。今日は社交の不得手なお嬢さまの友人になって欲しいと頼まれたに過ぎません」

 やや拡大解釈ではあったが、確かに子爵はユランナを探す前に、養女むすめの話し相手になって欲しいと言ったのだ。


 伯爵は馬車の中でも、茶会で得た情報を共有したいようなそぶりで、いくつか話題を上げた。

 例えば、アッセルバロット公爵の九人目の子供がまたしても娘であった件だの、元婚約者バルオン・ソローの動向だの。

 リリンカはそれらにも生返事で、茶会での出来事について考えている。

 後の方の話についてだけ、今はソロー夫人となったエディアが十分な世話を受けているか確かめねばならないと、わずかに脱線して心の中の手帳に書き留めた。

 肝心のリリンカがそんなふうであったので、最終的に伯爵はあきらめた様子で口を閉じた。


 父親が静かになり、リリンカはいよいよ思索に没頭するのだが、その中身はといえば、家族が知れば仰天し大騒ぎになる類のものだった。

 さてそうであっても、急ぎ結論を出し、動かねばならない。

 馬車に揺られながら、リリンカは真剣な顔で、考えをまとめることに集中した。

 そればかりでなく、彼女は私邸に帰ってからも、夜が更け、また明けるまで、考え続けていた。


◇◇◇


 翌日、リリンカが私邸の朝食室に現れたのは、昼をまわった頃だ。

 軍隊式の規則正しい生活をなさっているお嬢さまが朝寝とは珍しい、と支度を手伝いに現れたヤーラには言われた。

 実際には夜明けまで起きていたのだからおかしくはないのだが、リリンカはそれを口には出さなかった。


「では、ご報告させていただいても?」

「聞かせろ」

 端的に言われ、アコーレは令嬢には似つかわしくない健啖ぶりで遅い朝食を口に運ぶリリンカに一礼する。

 食事をとりながら報告をすませるのは、リリンカが帰還してこの屋敷に住み始めて以来、幾度かあった。

 はじめのうちヤーラなどは、ありえない、という顔で執事兼、従僕兼、従卒であるじいことアコーレを睨みつけたものだが、近頃では諦観の様子で背後に控えている。

「まずはご指示のあった先代ヴァンスイール伯爵の奥方とお嬢さまについてです。行方がようやく判明いたしました」

 どこだ?と尋ねると、アコーレはとある地方の村の名を挙げた。

「奥方の親戚筋の地主が所有する、小さな田舎の家といったところでございます。なにしろ、財産らしきものはほとんど残されていません」

「……であろうな」

 ヴァンスイール伯爵家は、機密情報を敵国に売り渡した大罪により、当主も直系の男子も失った。しかもようやく探し出した相続人も戦死していたのだ。

 限嗣相続のために娘には資産が受け継がれないので、廃絶となることが決まったようなものだったが、それがどうしたことか、爵位も領地もまとめて、戦争の褒賞としてリリンカに与えられる話が浮上した。

 しかし爵位を賜る条件として、リリンカは伴侶を持ち、自らの家を興さねばならない。

「しかし元々、ヴァンスイール伯爵家の財政状況はかなり危ういものであったようです。伯爵が反逆に手を染めたのは、収入に釣り合わない生活ぶりで、なんでもお嬢さまの持参金にまで手を付けたせいだったとか」

「それでは今、奥方とお嬢さまはたいそうお困りだろう」

 ほとんど一文無しで奥方の親戚の厄介になるのは、肩身の狭い立場であるはずだ。

「お供したわずかな召使いからの情報では、人を雇っての生活をいつまで続けられるかもわからないとのことでございます」

 破綻すればどうなることか。

「領地の運営はどうなっている?」

「幸いにして、管財人は堅実な男のようでした。少ないなりの収入であっても、前伯爵による浪費がなくなった分、かえって順調なのだとか」

「ふむ……」

 おおかたは、リリンカがあらかじめ想定していた内容が裏付けられた形だった。

ヴァンスイール伯爵領の収入を動かすのは、今はまだ無理だな?」

「仰せのとおりでございます。そのためには、まずはご結婚なさって、当主とならねば」

「……せめて、お嬢さまの結婚までの生活費と、持参金は用意してやりたい。よし、決めたぞ、じい

 縁もゆかりもない他人である令嬢の面倒を見るというリリンカに反論もできず目を剥いているアコーレに、決然と言い渡す。


「今の結婚市場から、長く相手が決まらず窮している女性を探すのだ。それも、徹頭徹尾計算尽くの、互いの利益のための結婚であることを納得できる女性だ。私はそのかたと結婚する」


 そのとき朝食室にいたのは、リリンカを除けばアコーレとヤーラだけだ。

「聞こえなかったか?」

 二人はリリンカが痺れを切らして尋ねるまで、たっぷり二分は絶句していた。

「き、聞こえましたとも。いいえいっそ、聞こえなかった方がどんなによかったか。悪い冗談だと言ってください、お嬢さま」

 先に立ち直ったのはアコーレだ。

「私がこんな冗談を言うと思うか?」

 肩をすくめるリリンカは、まったく平静な様子だ。

「思わないから、困惑しているのです!どう……いったい、どういうお考えなのか、お聞かせくださいませ!」

 たまりかねて悲痛な声をあげたのはヤーラだ。

「なんだお前たち、そんなに驚くことか?」

「驚かずにいられますか。確かに結婚というものは、高貴な方であられるならまずはおいえのことが最優先でございましょう。なれどその中で少しでも好いたお相手を選ぶために、社交の場で交流なさるのでは?」

 言われてリリンカは感心したように目を見張った。

「アコーレ、おまえ孫までいる歳なのに純朴なことを言うのだなあ」

「お嬢さま、いるから申し上げているのです。伴侶を好きになれない者同士の結婚は世に横行しておりますが、見ていてもそれはそれはつろうございます」

「アコーレさんは家庭の幸せをご存知だから、なおさらお嬢さまを心配するのですよ。私の最初にお仕えしたご家族も、たいそう仲の悪いご夫妻でした。そんな様子では、やはりお子さまがたも落ち着かれない、お寂しい暮らしだったものです」

 背後に立っていたヤーラは今や食卓にかぶりつきで訴える。

「あぁいや……何か誤解がある気がするぞ。なにも私はあえて好かない女性と結婚したいとは言っていない」

「先程の仰りよう、そうとしか思えませぬ。違うのならば、いったいどういうお考えの結果なのか、詳しくお聞かせください」


 リリンカは話の順序が悪かったのを悟り、ここ最近考えていた内容も含めて説明をした。

「まずだ……さっきの条件自体は本気だ。ただその、さすがに長い年月を連れ添う可能性もあるのだ、一応最低限、気が合う女性を探したいとは思っている」

 アコーレは疑いの眼だ。

「それなら私の最も近しい友人として、楽しく暮らせる。むろん相手が望めば、しばらくのちに離縁してもよい。その場合は寡婦として厚く遇するし、再婚や出家を望むのであれば、思うとおりにさせてやろう」

「つまり白い結婚をなさるという意味でありましょうか?」

 白い結婚は一般的には、離婚の際にとして持ち出される。つまり、本来あるべき夫婦生活がないことを理由に、結婚の不成立を訴えるのだ。

「そうだ。爵位のための相手探しだぞ?私からも利益を差し出せる方でなくては、申し訳がたつまい?」

「なにゆえ、そのようなことを。男性と結婚して、お子をもうける選択はないのですか?お嬢さまご自身の幸せはどうなさるのです」

 ごく当たり前のことをアコーレは言っているのだが、リリンカは首を振った。

「このエルサランドは現代において、女性がそうとういる。お前たちも体感でわかっていよう?」

 これにはヤーラがハッとしたような表情になった。

「しかも、平民にあっては独り立ちできる収入のある職など限られているし、上流階級の女性に至っては労働そのものが許されない。女性の人生はどこまでも結婚に左右される」

 ヤーラは既に三十代になろうとしている。この顔ぶれの中では誰よりも身に染みてわかっているはずだ。

「にも関わらずだ、我が国は長く帝国と戦争をしていて、男子は戦場で若い命を日々散らしている……」

 リリンカ自身は、己の圧倒的な戦力でもって、配下の兵卒を極力損耗しない戦いを心がけてきた。

 それでも戦争である以上、絶対に人死を出さないのは不可能である。戦場でそこに固執しては全体に悪影響を及ぼすのは自明であり、部下の一人一人に肩入れしすぎないように、戦役魔女は入隊の際に必ず言い含められる。

 リリンカもそうあるよう努めていたが、それでも死んでゆく若者を総体としてみて、なんと惜しいことかと慚愧に堪えない思いをしているのだ。

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