第11話

 ユランナは慌てた様子で、顔を背けてレースをかき合わせた。

「お……お見苦しいものを」

 そんな言葉が再び隠れた口元から漏れるが、リリンカはさらに一歩、前に踏み込んだ。

「そんなことをおっしゃらないで。あなたは美しい。その瞳の色も、秘められたかんばせも」

 先程は一瞬しか見えなかった。しかも、以前にもどこかで見たような気のする、美しい氷の青をした瞳に気を取られ、容貌の細部まではわからない。

 それでもひどく心騒がされ、惹かれるものがあったので、本心からそう述べたつもりであった。なのにユランナはますます身を縮め顔を隠してしまう。

 この令嬢の心を開くにはどうしたら良いのだろうか?

 もどかしい思いを抱えて、リリンカは言葉を探す。いったい何を言うべきか?


「おっ、いたいた!探したぞ、ユランナ」


 滅多にないことだが言葉に詰まって立ちすくんでいたリリンカを救ったのは、アグレシン子爵だった。

 声とともに小走りの足音が聞こえたので振り向くと、通路の先に姿も見える。

「レディ・リリンカ、見つけてくださってありがとうございます。……さて、王女殿下がおまえをお呼びだ、ユランナ。なあ、少しでいいから、ご挨拶してこよう」

 優しく言って近づいてくる子爵を数歩分だけ迎えに進んだユランナは、リリンカには聞こえないくらいの小声で、何かしきりに訴え始めた。子爵も頭を寄せ、耳を傾けている。

 二人のその姿を見ると、ユランナが子爵とほとんど変わらないくらいの長身だとわかる。子爵の方が体格がしっかりしているから、一見だいぶ大きいように見えるが……。

「悪かった、悪かったよ。しかし王宮からのご招待なんだぞ、断れる貴族なんかいるものか。ましてうちは吹けば飛ぶような小さな領地に、遠戚たどって転がり込んだ爵位と来ている」

 ユランナの声は聞こえないのだが、子爵の言葉から、どんな話をしているのかは大体想像がつく。

「ミス・ユランナ。私も一緒に参ります。それならば少しは余人の注目も逸らせましょう。なにしろつい先日、私と子爵で王都の話題をさらったところですから」

 10年前にデビューして以来、人前に姿を現さなかったユランナは、話の上では有名かもしれない。

 しかしそれゆえ姿を知るものはほとんどいないだろう。ならば人は新しい噂の張本人たちの方に食いつくに違いないのだ。

「三人で出ていっても、まずは私と子爵に注目が集まるでしょう。皆が一緒にいるあなたの存在に気付く前に殿下への御挨拶をすませて、さっさと。このような作戦でいかがか、子爵?」

 尋ねれば相手は、それは良い!と打てば響くように応えた。

 ユランナをあまり追い詰めるのはかわいそうではある。

 だが王族の主催する茶会で、王女から呼ばれているのを無視することはできない。

 さすがにそこは当のユランナもわかっているのだろう、両の手をきつく握り合わせ、小さな声で行くと応じた。


◇◇◇


 結論を述べれば、ユランナとウェンドレン王女の対面はまずまずの結果となった。

 王女はなかなか姿を見せなかったユランナを責めはしなかったし、ユランナもひどく緊張はしていたが、慎ましやかで控えめな様子は遠巻きに見ている人々にも良い印象を与えたようだった。

「これからは、ぜひ社交界の催しに参加なさい、ミス・ユランナ。あなたのお義父ちち上を安心させてあげなくては。ね?」

 15歳の王女は、開いた扇子の陰で、訳知り顔で微笑んだ。


 三人はなんとか解放されて、ひと気のあまりない水辺のテーブルへと移動した。

 リリンカは任務をひとつ達成したのに匹敵する疲労を感じ、勧められるまま腰を下ろした。そして、そういえば父はどうしているかと視線を巡らせる。

 伯爵は離れた場所でリリンカの様子を見ていたようで、こちらに気付くと、頭の横で拳をぐっと握る動作をしてみせる――おおかた、よくやった、とかそのてのことを言いたいのだ。

 アグレシン子爵との関係について誤解をとくのが加速度的に難しくなっていくのを理解して、気が重くなる。

「いやあ、参りましたね。ありがとうございます、レディ・リリンカ。幸いにして、まだ誰もユランナの正体に思い至ってないようだ」

 お茶の用意を済ませた召使いが離れていくのを待って、子爵が気楽な調子で言う。

「……、……!」

 するとユランナが、またリリンカには聞こえない大きさの声で何か子爵にまくしたて、最後に彼の二の腕あたりを強くった。

「痛えっ!乱暴だぞ、ユランナ」

 弱り切ったような抗議を受け、ユランナはつんと横を向いた。

 顔は相変わらずレースに隠されてろくに見えないが、ユランナの気持ちは思いのほか、動作や行動でわかる。リリンカは微笑ましく二人の様子を見ていた。

「おお、あの方が摂政デルエンド殿下ですな」

 ユランナの抗議やら追及から逃れるためか、子爵は庭園の中でもひときわ人の集まっているあたりを指して言った。

 贅を凝らした天幕が張ってあり、その下で王太子デルエンドは夫とともに、集まった貴族たちから挨拶を受けている。

 年齢は四十代なかばになろうとしているが、それを感じさせない魅力的な甘い顔立ちと長身の偉丈夫だ。

 対してその夫の方は、デルエンドに比べると身長は低い。せいぜい中背と言える程度だ。また筋肉質で分厚い体格をしていて、顔つきは厳しく髪には白いものが混じり始めている。

 彼はケリード・サンテグア卿。マッシュリク侯爵ビーベル・サンテグアの三男で、デルエンドよりやや年嵩であったはずだ。

「男性同士で……」

 か細く小さな声であったが、今度はリリンカにも聞こえた。

 ユランナのつぶやきをとらえて、子爵が養女むすめを振り返った。

「お二人の結婚以来、同性同士での結婚は、広く臣民にも許された。とはいえ、さすがに慣習に逆らうのは容易じゃない。貴族の間でもまだ数えるほど、平民でもごく稀にしか例がない」

 最も問題になるのは相続だ。なにしろ同性婚では後継ぎは生まれない。

「近年いくつか、貴族の間で聞かれた話では……ほとんどがであったとか」

 リリンカが後を続けた。

「そのようですね。後継を残してはまずい立場……残されては都合の悪いと判断された人々に強要される例もあったようだ。むごいものです」

 子爵が表情を曇らせる。

 互いに詳細は口にしなかったが、例えばそれは父親の後妻から疎まれた令嬢であったり、多すぎる弟妹きょうだいを養えない長男の判断によるものであったりした。

「慣習もですが、限嗣相続がある限り、真の意味で祝福される同性結婚というのは行われにくい。王太子殿下の結婚は、最初の一例にして、最も幸福な例外といえます」

 リリンカは豪奢な天幕と人だかりの方へ視線をやった。

 他の男女のするように腕こそ組みはしないが、王太子とその夫は肩が触れるほどそばに立ち、時折顔を寄せ笑い合っている。

 彼らが単にお互いを必要とした結果で結ばれたのは、王太子が弟に継承権第一位を譲って一時王都から離れたことからも明らかなものとして知られていた。

「……少し、歩いてきます」

 ユランナが立ち上がりテーブルを離れる。引き止めるか、ついてゆくか。リリンカが腰を浮かせたところで、子爵の視線に気付いた。

「さすがにあいつも姿の見えないところには行かないでしょう。気分を変えたいだけだろうから、一人にさせてやってください」

 遠ざかっていく背中を見守っていると、確かに子爵の言葉どおり、少し離れた水辺で立ち止まり、きらきらと輝く水面の向こう岸を眺めるように顔を上げたまま立っている。

「あいつの気が進まないのはまあ、わかりきってたんです。それでも、連れてこないわけにはいかなかった」

 ふだん張りのある声できびきびと話す子爵にしては、密やかな口調だった。

「……理由は貴族としての体面だけじゃないですよ、さっきあいつにはそういうふうに言いましたけど。レディ・リリンカ、なんだと思いますか?」

 問われ、少し思案し、正直にわからないと答えた。

「ユランナには、あいつを守るためとはいえ、色々なことを我慢させているんです。本当にあらゆることをね。だからおれが言うのは全くもっておこがましいんですけど――」


 幸せな人生を歩ませてやりたい。


 子爵はため息をつくように、重々しくそう言ったのだ。

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