春の見立て

葵月詞菜

第1話 春の見立て

「あれ、早速宿題でも出たの?」

 居間のテーブルで紙に向かって書き込んでいた少年はふと顔を上げた。

 今日は部活動がオフで遅起きの姉が牛乳の入ったコップを手にこちらを見ていた。

「いや……暇だったから、どの教科が予習復習いりそうかなって考えてた」

「ああ、毎年のか。コウちゃんのそれ当たるもんねえ」

 姉の明樹あきはそのまま向かいの椅子に腰かけ、興味深そうに用紙を覗き込んだ。紙にはシャーペンで科目名と担当の教師の名前が書きこまれてあった。そしてそれぞれに丸や三角の記号をつけてある。

 高樹こうきはこの春から高校生になった。中高一貫校なのでほぼエスカレーター式で高等部に進級した。中等部から顔見知りの教師もいるにはいたが、高等部の教師の多くは初めましてである。これから少なくとも一年間はお世話になるだろう教師を、自分なりに観察してみるのがいつの間にか春の恒例になっていた。

「とりあえず一週間が経って、それぞれの先生の印象と一回目の授業の内容で何となくまとめてみた」

 明樹が興味津々で聞く姿勢なので、高樹は仕方なく書き込みを中断して説明しようとした。しかしそこへ、来客を告げるチャイムが鳴った。

「嫌な予感がする。……ううん、嫌な予感しかしない」

 明樹が反射的に呟いた。実を言うと、高樹もまたそんな予感があったのだがこのままスルーしても意味がないこともまた分かっていた。

「明樹ちゃん動く気ないな。……オレが出るよ」

 一歩も動こうとしない姉を置いて、高樹は玄関へ向かった。

「こんにちはー!」

 扉を開けるなり元気な声が飛び込んできた。予想的中というべきか。声は居間にも届いているはずで、きっと明樹は頭を抱えて重い溜め息を吐いているに違いない。

「相変わらずお前は突然やって来るな、夏芽なつめ

「ん? 一応連絡は入れたよ?」

 夏芽という同級生の少年は小さく首を傾げた。その仕種が中性的な顔立ちによく似合うからいつも複雑な気持ちになる。

「まあ高樹のことだからどうせ部屋に携帯置きっ放しにしてたんでしょ」

「……とりあえず入れ」

 図星を誤魔化すように彼を家に招き入れる。夏芽は勝手知ったるふうに「お邪魔しまーす!」と靴を脱いで上がった。彼とは家族ぐるみで付き合いが長く、ほとんど親戚のような関係だった。

 居間に戻ると、自分の部屋に消えてはいなかったがすでに疲れた顔をした明樹の姿があった。

「明樹ちゃん、こんにちは!」

「……来やがったわね、夏芽。折角の休みの日なのに何であんたが……」

「違うよ明樹ちゃん。明樹ちゃんが休みなの知ってたから来たんだよ」

 確信犯だったようだ。にっこり笑う夏芽に明樹が眉間に皺を寄せて引く。

 この二人がこうなのは今に始まったことではないので高樹は放って台所に向かった。夏芽の分の茶をコップに注ぎながら、言い合いを続ける姉と友人の声を聞く。

「だいたい何で私の休みの日を知ってるのよ」

「コウに聞いたんだよ」

「ちょっとコウちゃん! 何でこいつに教えるの!」

 矛先がこちらに向いて高樹は曖昧に微笑んだ。

「……面倒くさかったから?」

「ひどい!」

 明樹が額に手をやって天井を仰ぐ。夏芽は高樹からコップを受け取ると礼を言い、そのまま高樹が座っていた席の隣に座った。

「で、何これ?」

 夏芽も明樹と同じ様に興味津々な顔で、高樹の書いていた紙を覗き込んだ。

「今年の先生への期待度?」

「へえ。コウの見立ては聞きたいな」

「……そして普通に入って来るし」

 明樹が夏芽を横目にボソリと呟きつつも、改めて高樹の説明を聞く姿勢になった。彼女もまた気になっているらしい。

(そんな面白くも何もないんだけどなあ。てか単にオレの勝手なイメージだし)

 高樹はそんなことを思いつつも、今更やっぱり説明するのが面倒くさくなったからやめるとは言い出せず、仕方なく口を開いた。

「まず現国担当の谷本先生は評論とかしっかり分析して細かくやりそう。予習も多いと見た」

「ああー、あの先生。ちょっと堅そうだよね~」

 夏芽は今年高等部から入学して同じクラスになっていた。だから選択科目以外はほとんど同じ教師が担当である。

「当たり。私も去年その先生の現国だった。予習も中途半端だとキツかったなー。でも説明はちゃんと分かりやすいから安心して良いと思うよ」

 一つ学年が上の明樹は思い出すように頷いていた。

「数学の畑木先生は結構アバウトっぽい。書いている字と話し方から何となくだけど。数式の途中式とかさらーっと流されそうだから気を付けないといけない気がする」

「あの先生は雰囲気は良かった気がするんだけどなあ。僕はあの先生の数学楽しみだよ」

 夏芽が楽しそうに笑って自分の印象を述べる。確かに夏芽とは合いそうな教師ではある。

「畑木先生は担当になったことないから分からないけど……その先生が担任のクラスの子たちは結構好きだっていう子多かったよ」

 明樹の言葉に「そうなんだ!」と夏芽が嬉しそうな顔をする。ますます楽しみなったようだ。

 その後も高樹の説明は続き、その度に夏芽と明樹がそれぞれコメントするという形式で一時間ほどが過ぎた。

「私が知ってる先生はだいたいコウちゃんの印象と一致するかなー。でもまだ一回しか授業なかったのによくそこまで分かったね?」

 明樹が溜め息を吐きながらお茶を飲む。高樹はふっと笑った。

「まあ勝手なイメージだけどな。明樹ちゃんが一致するって言うなら補強された感じ」

「コウは人間観察が趣味なとこあるよね」

 夏芽がまだ興味深そうに用紙を見ながら言う。

「何ていうのかな、対象を捉えて認識するっていう意味での直観が働くって言うのかな」

「それを言うなら、夏芽の場合は勘を頼りにした直感が働くだろ」

「ああ、夏芽は動物的に直感が鋭いとこあるわよね」

「まあその直感が働かないと死にそうな時だってあるかもだしね?」

「……」

 何でもないことのように言った夏芽に姉弟は言葉に詰まった。彼の場合、出自と家の事情でそういう事態もあり得る特殊な境遇に身を置いていたのだ。――今は安全が確保されているが。

「……それはともかく、明樹ちゃんも直感は鋭いとこあると思う。特に対夏芽関係で」

「コウちゃん、それどういう意味?」

「だって今日も玄関のチャイムが鳴った瞬間に、嫌な予感がするって言ってただろ」

「それはコウちゃんもでしょ?」

「さっすが明樹ちゃんとコウだね! 僕が来るのを察知できるなんてすごい! 嬉しいなあ!」

 明樹と高樹の呆れた視線などものともせずに夏芽があははと笑っている。お気楽なヤツだ。口には出さないが、夏芽は高樹たちの間で「台風」扱いされている。

 また明樹と夏芽が何やかやと言い合いを始めた隣で、高樹は自分が書いた用紙をぼんやりと見つめて心の中で小さく笑った。

(まあオレがこういうことをする一番の理由は、どこで手を抜けるかっていう予測を立てるためなんだけど)

 高樹は自分が面倒くさがりでテキトーな性格なのを自覚している。成績は平均を取れていれば問題ないくらいにしか考えていないし、特に向上心があるわけでもない。

(美琴だったらもっと、人間にも物ごとにもそれ以外にも、直観とやらが働くんだろうけどな)

 一番上の優秀な大学生の兄のことを思い出した時だった。また、玄関のチャイムが鳴った。

「!」

 三人同時にハッとして顔を見合わせるものの、誰も動こうとしないのを見て仕方なく高樹が席を立った。後ろで、

「何で明樹ちゃん動かないのさー」

「あんただって動いてないでしょ」

「だって僕お客様でしょ?」

「よく言うわよ全く」

 などという会話が聞こえたがスルーする。結局二人とも動かなかったことに変わりはない。

「はーい」

 夏芽の時もそうだったが、インターフォンで確かめなかったのはある意味直感が働いていたのかもしれない。

「……ああ、美琴か」

「何だ。よく俺だって分かったな?」

 そこに立っていたのは、今しがたふと頭に浮かんでいた兄の美琴だった。

「あれ? 今日は帰って来るって言ってたっけ?」

「いや、ちょっと急用でな。――夏芽はいるか?」

 美琴は家に上がるなり居間に直行した。高樹は首を傾げながらその後を追う。

「夏芽、やっぱりここにいたか」

「あ、みこ兄。どうしたの?」

「どうしたの、じゃない! お前、今日は家にいろと言っておいただろ!」

 美琴がじろりと夏芽を睨むと、彼は曖昧な表情で目を逸らした。事情があって現在美琴が保護者代わりになって夏芽と同居しているのだが、どうやら今日は家にいるという約束だったようだ。夏芽はそれを破って高樹たちの家に来たらしい。

「だって~。暇だったんだもん~」

「だっても何もない。お前の両親から荷物が届くから家にいろと言っておいただろ」

「不在票で後から届けてもらえばいいじゃん」

「お前の暇を理由に宅配便の人に二度手間をかけさせるな!」

 兄のお説教モードに突入してしまったようだ。明樹が退散とばかりに高樹の傍にやってくる。

「でもさすがお兄ちゃんよね。夏芽の行動パターンを把握してうちに来たんでしょ」

「夏芽の逃避先と言ったらほとんどうちだけどな」

 先程まで元気だった夏芽も美琴の説教には小さくなっている。

「それから家を出るなら出るで、朝ごはんの後片付けと服の整理くらいしていけ。あの散らかしようは何だ」

「……ごめんなさい」

「あと、俺が買っておいた夜食も勝手に食べたな? ゴミ袋から見えていた。証拠隠滅が杜撰すぎる」

「今日買って帰るつもりだったのに……」

 だんだん何の話をしているのか分からなくなってきたが、高樹たちには関係のないことである。高樹は台所で兄の分のお茶を用意しに向かった。

 まだまだ続く兄と夏芽の応酬を聞きながら、ふふと小さく笑う。

(夏芽に関してはうちの兄弟全員に直観と直感が働くんじゃないかなあ)

 それはいい意味でも悪い意味でも、色んな意味で。

「で、結局宅配はどうなったの?」

 高樹はお茶の入ったコップを手にテーブルへと戻った。

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