悪癖に直観

千羽稲穂

悪癖に直観


 家に帰って、今日はクローゼットの中だと思った。電気はついてない。床は暗闇を反射していた。靴を脱いで、足を下ろすと、フローリングは冷たく僕の直観が身体全身に雷のように貫いた。ひた走るようにして寝室のクローゼットを開いた。


 すると、彼女がすー、すー、と静かに寝息を立てて、服にくるまり眠っていた。頭をダッフルコートに預けて、枕代わりにし、足を前で組んだまま、かたく瞼を閉じている。きちんと身体を寝かせていないから、顔色が青白い。が、しかし、彼女の安心したような寝顔を見ていると、その表情を造花にして保存したくなる。ほんの数瞬、瞳に焼きつけて、瞼を閉じてシャッターをきる。写真を記憶に保存して、彼女の肩を揺らした。すると、彼女は瞼をぴくぴくと動かして、瞼を咲かせた。


「おはよぉ」

「おはよ、もう夜だよ」


「あ、もうそんな時間!?」

 なんて慌てて彼女はクローゼットの壁に頭をうった。

「へ!? なにここ」

「その様子だと、ご飯、用意出来てないみたいだね」

「ちょっと待って、今何時」

「僕がいることから察してくれ」


 でも、そんな彼女のとぼけた表情も愛おしくて、手を差しだす。クローゼットの暗闇から、僕へ引き寄せる。彼女の手は冷たかった。身体全体に冷気をはらんでいる。僕へと移ることもせず、冷気は彼女に留まり、息づいている。彼女を離さず、呪いのように彼女という器に満ち溢れていた。


「大丈夫、今日はファミレス行こう」

「ほんっとに、ごめん」


 彼女のほそっこい腰に腕を回す。僕が力強く抱きしめたら、きっと彼女は崩壊する。バラバラになった彼女をかき集めて、一から作り上げたとして、歪のない彼女に出来上がったとして、僕は彼女を好きにはなれないだろう。


○ ○ ○


 ファミレスで、彼女は和風おろしハンバーグを頼んだ。だから、僕も彼女と同様に和風おろしハンバーグをもうひとつと、それとなく付け加えた。一緒にすると彼女がなぜか機嫌が悪くなる。


 食事が運ばれるまで、僕達は無言で、牽制し合う。目と目が合ったと思えば、睨んだり睨み返したり。お互い言うことは決まっていて、牽制が落ち着いたあたりで、呆れたように互いの口からため息が零れる。


「ベッドで寝れないの」と、彼女が言った。


 そうだよな、知ってる。


「うん」と僕は短く彼女の言葉に悲愴感を込めて頷く。


 それからは、僕も目で謝る。眉を思わず顰ませて、彼女のたれ目が、顔から垂れるんじゃないかとばかりにさせると、ようやく「お仕事、お疲れさま」と彼女が告げた。


「うん」

「ベッド、寝れないのダメだよね」

「いや、いいんじゃない」


 そこで、和風おろしハンバーグのプレート、二つ僕たちの前に下ろされた。湯気が立ち上り、空気から肉汁が鼻腔をつきさす。僕の身体は、一瞬だけその肉汁にまぎれた玉ねぎに嫌悪感を抱く。胸ぐらをつかまれたような、気持ち悪さをいたわり、ハンバーグの中からフォークで器用に玉ねぎをぬきとる。そして、プレートの端にのっかる人参やグリンピース、コーンといったものの中から、人参とコーンをぬいて、グリンピースだけフォークに突き刺した。


「そうだね」と彼女の声が空気を揺らしたかと思えば、行儀悪くお箸で僕を指していた。「君だって、たくさん食べられないものあるし」


 お互いがお互いを認識しあったところで、些細な嫌味は飛んでいった。僕たちは、こうでしか生きていられないのだと、ようやく認め合う。


 再度見つめあって、黒い目と目で糸をはる。細い糸は、透き通り、切っても切れずに絡まりあっている。


○ ○ ○


 出会った時、ひと目で僕たちはそうだと思った。触れ合うたびに言葉を交わすたびに確信に変わっていった。


 何回目かのデートの時、彼女は告げた。


「私の母はね、ベッドを私にあけわたさなかったの」


 さらっと告げられる言葉をつまはじきにはしないけれど、深くは探らなかった。彼女は顔色ひとつ濁さなかったけど、その一言で直観してしまった。


 僕の手元には、彼女と同じメニューのものがあって、また嫌いなものを弾き飛ばしていた。


「僕は」機を逃さないように「僕は食卓で家族と顔を合わせたことがないんだ」


 ちょっとした間があって、目線がぴたりと合った。


 普通の人なら、心配するだろう事柄を僕たちはふっと笑った。


 僕たちのような壁は、壁を経験した人にしか越えられない。糸を通して、目を見つめあって、気づく。同じ、だと。僕はこの人だけは自分を偽らなくて済むんだ。瞳の奥の黒い影を掬いとって、互いに微笑んだ。


○ ○ ○


 たまに、ふっと感じる。


 僕は、普通の家庭で育ってないこと。普通とは違うこと。たとえばちょっとしたことで、これは出てくる。好き嫌いが多いこと。言語表現が拙いこと。相手の目を見て、どうせ自分のことを嫌っているんだろう、と諦念を感じてしまうこと。これらは、普通に育ってきた人にはなくて、たまに、そう、ほんのたまに、感じるのだ。


「なんで?」と僕に偏食のことを聞いてきたあの目に、興味と猜疑心が宿っていることを僕は知ってる。僕に向けて、心配する目を向けられて初めてこの世界では違っていたんだと、思い直す。ある一定の線を超えてもいいことなんてない。そして偽る。


「私の前では、いいよ」


 彼女はゆるやかに、僕に冷気を放つ。


「私も、多分そうだから」


 深くは言わないが分かっていた。僕も、それに続いて、彼女に「うん」とうなづいた。


○○○


 ベッドで寝る時、彼女は無理をして僕の隣で眠る。枕を持って、「今日はいけるかも」とシーツのしわを可能な限り広げる。まっさらで、何もない、生気の感じられないシーツに、僕は無理をしないでいいよ、と語りかけた。このシーツだって、もう何年も使われていない。彼女が入った途端、どこかへ出ていくからだ。


 僕は、彼女が無事に布団に入るのを確認すると、電気を消した。目が慣れてぼんやりと周囲が見えてくると、布団の中にいる彼女と目が合った。互いに再び目を見つめあって、なにとはなしに、そうだよね、と認識しあう。ひそひそ声で、耳をそばだてて、ゆっくりと言葉を交わす。


「今日はちゃんとベッドで寝るからね」

「別にいいよ、どこで寝ようと僕は分かるから」

「それ、ほんと不思議だよね」


 偽ることなく、本当の表情で、言葉で、互いの癖をそのままにして。


「きっと、この癖は、互いの生きた証なんだよ。生と死の境目にいたから、ついてしまった悪癖。だけど僕たちは、ついてしまったからこそ、出会えたんだ」


「なにそれ」と彼女のたれ目がはっきり見えた。

「ほんと、それな。深夜テンションだ」

「出会えたとしても、君に寝顔が見られるのは心外だから、治すよ」

「見ものだな」

 僕は彼女の鼻をつまんだ。


○ ○ ○


 朝の兆しに目を細める。隣に彼女の温もりはなくて、今日はきっとキッチンの床だな、と直観する。僕は布団から出て、かったるい身体に朝の空気を吸わせて、キッチンへと赴いた。


春の日差しは柔らかくキッチンの袂へと注いでいる。キッチンの戸棚の下。床に彼女の頭の先っぽが見えた。僕はもう一歩進み出て、彼女の姿を見下げる。猫のように丸まって、青白い顔をして眠っていた。卵形の、形のいい頭に手を置いてわしわしと撫でると、彼女が含んだ冷気が霧散する。瞼がぴくぴくと動くが、瞼は閉じたままだった。寝息が透き通っていた。悪癖は彼女の中で息づいていた。たれた目が愛おしかった。瞼を数回閉じ、シャッターをきるようにして、瞳に彼女の造花を作りあげる。まだ眠っていてほしいので、寝室から持ってきた布団一枚を掛けてあげる。


「おはよう」と今度は僕から挨拶をした。

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