偶然と直観

常盤木雀

偶然と直観


 嫌な予感はしていた。

 今日は、月に一度の学内交流パーティーだ。それなのに、私の親友セーラは、

「マリカは何があってもトレハ様のそばにいるのよ」

と言って離れてしまった。婚約者のトレハが近くにいるのは頼もしいけれど、私はセーラとも楽しみたかったのに。


 私は豊かな商家とはいえ平民の娘だ。こうして貴族の学院に通えているのは、婚約者のトレハが貴族であることと、私が少しばかり勉強ができたことによる。そのおかげで、私は普通だったら接点のない上位貴族のセーラと親しくなることができた。名前を様を付けずに呼ぶことを許されるほど、私たちは仲が良い。

 同世代の貴族ばかりの中で右往左往していた私を、セーラは気安く助けてくれた。美しく優秀なセーラは、親しくなってみると無邪気で愛らしい人だった。

「こんな私のことを、『がっかりした』『残念』と言わず、見下しもしないのは、マリカくらいかもしれないわ」

なんてセーラは笑っていたけれど、そんなことを言う人はセーラを分かっていないのだ。



「セーラ・アルゼ様、あなたの罪を告発します!」


 和やかなパーティーで、異質ともいえる声が響いた。

 広いホールの中央で、セーラと女子生徒が対峙していた。女子生徒の近くには、男子生徒が何人か付き添っている。

 よく見ると、ラメル様とその取り巻きのようだ。ラメル様は下級貴族の令嬢で、容姿を武器に下級貴族の男子生徒たちを篭絡している、学院の有名人だ。最近では王太子殿下にも付きまとっているという噂もある。


「私の罪?」

「とぼけるな! ラメル嬢をいじめていただろう!」


 セーラの問いに、取り巻きの男子が怒鳴る。

 セーラの隣に行ってかばってあげたいのに、トレハが私の腕を掴んでいるから動けない。もどかしい。


「あなたは私が王太子殿下に愛されていることに嫉妬して、私に害をなしたでしょう!」


 ラメル様が叫ぶ。

 会場中が注目していた。


「何をおっしゃるの。私はあなたに危害を加えてなどいないわ。少し嫌がらせをしたくらいよ」


 ――ああ、これだからセーラは。


 完璧なように見えるセーラが『残念な令嬢』と呼ばれるのはこれが理由だ。無邪気で、腹芸に向かない。

 今も、嫌がらせをしたことを白状する必要はなかった。そんなことをすれば、付け入る隙を与えてしまう。


「あなたにとっては『少し嫌がらせ』なのね。私はとっても怖かったのに……」


 ラメル様が俯けば、男子生徒たちが慰めるように肩や腕に触れる。令嬢として信じられない光景だ。


「みんな、ありがとう、私は負けません! セーラ様に私は身分の低さをばかにされ、罵倒されました。そんな行いは、高位貴族として間違っています!」


 身分の低さをばかにするはずがない。そんな人物であれば、貴族ですらない私と親しくするわけがないのだから。


「身分の低さをばかにしたことはないわ。男子生徒とはしたないことをして、貴族としてはずかしくないのかしら、と嫌味を言っただけよ。それから、殿下に近づくのはやめなさいと忠告もしたわね」


「それもです! どうしてあなたは王太子殿下の交友関係に口を出すんですか! いくら婚約者でも、立ち入りすぎです」


 みんな、呆れた目を向けている。

 セーラは王太子殿下の婚約者ではない。少なくとも現在は表向きは。

 王族と高位貴族のみなさんは、学院卒業までは婚約しないのが通例だ。セーラによると、過去に在学中のあれこれで破談が続出したことがあり、それを防ぐためらしい。また、高貴なみなさんは外交の意味で諸外国の方と婚姻を結ぶ必要が出ることもあり、今ある婚約を壊さなくても済むように、という理由もあるそうだ。

 だから、いくらセーラが、家柄も良く、美しく、語学にも優れ、慈しみを持っていて、誰もがそう思っていても、王太子殿下の婚約者ではないのだ。

 それにしても、セーラはセーラだ。嫌味を言ったとしなくても、『教えてあげた』など言いようがあるのに。


「それは臣下だからよ。殿下に怪しい者が近づこうとしていたら、防ぐのは私たち貴族、臣下の役目だわ」

「怪しいなんてひどい! 私はただ仲良くなりたくて……。怪しいなんて言いがかりをつけて、本当は嫉妬して、私を階段から突き落としたんですね!」

「ラメル嬢は怪我をして泣いていたんだぞ」

「命を危険にさらすなんて、嫌がらせの域を超えている」


「突き落としたことなんてないわ。彼女がぶつかってきたときに、自分の身を守るために避けたことはあるけれど。避けたら勝手に転んだのよ。そうね、『誰にも怪我がなくて良かったわね』と声を掛けたわ」

「私に怪我がなくて残念、だなんてひどい!」


 セーラがそんな目に遭っていたとは知らなかった。

 しかしながら、セーラはもっと他の言葉があるはずだ。まるで悪いことをしていそうな言い方はやめてほしい。また『セーラ様は残念だから……』と言われてしまう。


「こんなに残酷なセーラ様は、王太子殿下の婚約者にふさわしくないです! 婚約を破棄するべきで」


「あら? あなたに怪我がなくて残念なのは、いけないことかしら?」


 ラメル様が再度妄言を叫び出したところを、セーラがおっとりとした口調で遮った。

 ――セーラ、何を言っているの? それでは本当に悪者みたいじゃない。


「ひどいっ!」

「セーラ様! ラメル嬢に怪我がなくて残念だなど、最低です」

「彼女が怪我をすれば良かったと言うのですか!」


「どうかしら。でも、彼女は、戦争を起こす目的で殿下に近づいていたのよ」

「戦争なんて望んでないわよ! ただ情報を、いえ、あ、違うわ! あんたのせいでばかがうつったじゃない!」


「そうなのね。情報を、何かしら。詳しいことは取り調べで話してちょうだい」


 取り乱すラメル様を、警備の人たちが連れていく。

 ラメル様が王太子殿下を狙うハニートラップだったとか、賢いセーラに『ばか』と言ったとか、王太子殿下はどこまでご存じなのだろうとか、気になることはたくさんだ。みんなも同じようで、急にざわめきたっている。


「セーラ様、いつから、どうやって、企みに気付いたのですか?」


 近くにいる誰かが、セーラに直接訊いている。


「ええと、勘、かしら。何となく、そう思ったのよ」

「なるほど」


 あちこちから、『何だ、偶然か』『セーラ様だからな』と聞こえる。

 私はトレハを見上げた。


「そろそろ手を離してくれても良いんじゃない? おかげでセーラに加勢できなかったわ」

「セーラ様から、君を捕まえておくように頼まれていたからね」

「いつの間に?」

「それに、どうせまたセーラ様と過ごしに行ってしまうんだろう。それまでくらい一緒にいても良いとは思わないか」


 トレハが優しく微笑む。

 そう言われると、うまく反論できない。

 トレハは幼い時から知り合いで、いつの間にか婚約関係になっていた。トレハのことは好きだけれど、セーラと出会ってからは優先順位が後回しになっている。


「ごめんなさい。また、ちゃんと時間を取るから」

「忘れないでくれよ」

「トレハ様、マリカを引き留めてくださってありがとうございました」

「セーラ!」


 いつの間にか、セーラが戻ってきていた。

 手に持っていたゼリーを渡してくれる。料理のテーブルで気になっていたゼリーだった。本当はクリームたっぷりのケーキを食べたいけれど、おしゃれをしている今はお腹に入らないだろうと思って、それならこのゼリーが良いなと考えていたのだ。



 トレハが挨拶をして離れ、私たちは二人きりになった。ホールの隅の目立たない場所へ移動する。

 私はセーラを質問攻めにした。


「これは秘密なんだけどね」

 

 セーラが声を潜めて言う。


「直観でね、あの子は殿下に取り入ろうとしてるって分かったのよ。昔お兄様に付きまとっていた間諜に、態度や雰囲気が似てる感じがしたの。だから、これで離れてくれれば良いなと思って嫌がらせをしてみたのだけど、あまり意味がなかったみたい」


 思わず止めてしまった息を、ゆっくり吐きだした。

 賢いセーラが、なぜ無邪気で考えの浅いような発言をするのか。単に愛らしくて好ましいと思っていたけれど、周りを油断させるため、演じていたとしたら? 現に、ラメル様はつられて自分の目論見を口にしてしまった。


「……なんてね」


 セーラが無邪気に笑う。


「……もう、何言ってるのよ、セーラったら。そんなこと言って、偶然なんでしょ?」

「えへへ。やっぱり分かっちゃう?」

「分かるわよ、私はセーラの親友だもの」


 これは、偶然だ。

 もしも誰かが疑ったとしても、ただの偶然にすぎない。セーラの読みが正しかったとしても、うっかり自分の悪事を口にしてしまう、残念な令嬢なのだ。敵を陥れようとしてそれを実行できるような、完璧な貴族令嬢ではない。

 いつかセーラが『残念な令嬢』と呼ばれなくなる日が来るとしたら、その時には、

「セーラも大変だったわね」

と労わってあげたい。

 それまでは。


「セーラが嫌がらせを白状するから、こっちはひやひやしてたのよ」

「私、何か変なことを言ったかしら」


 貴族社会に不慣れだけどしっかり者の私と、才色兼備だけどどこか抜けている令嬢のセーラだ。

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