第6話 脳筋ブランド、梢えり
七星は美佐穂が随分と学校モードに溶け込んだことに嬉しい気持ちでいっぱいだった。
特に美佐穂は日壁と仲良くつるみ、二人のショートコントが繰り広げられる学校生活は七星にとって休息の場に変わったのである。
しかしその感心からもわずか数日足らず、七星には危機が訪れていた。
三年生である梢えりが七星を廊下で呼び止めたのである。まだ教室に向かう途中だろうかリュックを背負ったままで、七星はその姿に目を疑った。
「……ななせ、私に足りないものが何かわかるか?」
「そうですね、TPOの学習と、筋肉部位のストラップをじゃらじゃらするのをやめることですかね」
すました顔で七星は言う。
瞬時に面倒くさいことだと悟った。
「随分だな。いいだろ人の趣味なんだから」
「そうですけど。通行人は皆、チラ見していきますよ」
ここは二年の教室がある廊下だ。学年によって上履きの色の違う丘の崎高校では三年生のえりはただでさえ目立っていた。
「……そうだそのとおりだ。私に一番足りていないことは、そんな奇異の目に晒され、まったくもって友達がいないことである。ななせ、肝に命じるように」
「はい、軍曹。では俺は教室に戻りますので」
「だから待ってくれ。……お礼はする。……私と友達のように振る舞ってほしい」
七星はてっきり「友達作り手伝ってくれ」というのを予想していたため、不意を突かれたような感覚だ。
「それって、小説のためですよね」
「もちろん」
さすが人気作家、言い切る辺りはそれらしい風格がある。
「そんなに私ってそっけないか?」
砕けた口調でえりが言う。きっとそんなことをクラスメイトに指摘されたのだろう。
「まぁ、別にコミュ力ないわけじゃないと思いますけど。しいて言うなら癖の強さが邪魔をしているかな」
「癖?」
まさか、意識していないとは言わせない。その筋肉オタク。
「筋肉は元々好きですよね、最近は武器にもはまってますよね?」
「ああ。小説のためだ。編集にリアリティを求めよって言われたからな。色々調達中」
せめて筋肉に思いとどまって欲しかった。えりとはモーニングスター振り回してグッドモーニングなんてことがあるのだから、編集さんにも文句の一つをつけたい。
「そのせいか知らないですけど不気味なんですよ、オーラが」
「……そっか」
すると、えりは押し黙る。しかし励ますように七星は語りかけた。
「まぁ、でも、じゃなきゃ天才作家じゃないですからね……それもあながち間違ったことじゃないと思います」
「私は天才じゃない」
むしろ逆効果で、それだけ言うとえりは踵を返してしまった。
うわぁ、努力してる人に一番言ってはいけないこと口滑らせた……。
「……そうですね。じゃあまず家庭的になりましょ! そしたら少なくともその軍曹オーラは解消すると思うので」
「……家庭的? 筋肉って家庭通り過ぎて、もっと身近だと思うんだけど」
うなだれるえりを止めて説得を試みる。
──そうだなぁ、確かに学校だとえりは美佐穂より変人に見られてしまう理由がわかる。
美佐穂は変人だけど、えりはキャラクターが濃いってとこだ。
「まずは女子高生を学ぶ旅に出ましょうか、軍曹なので」
「一応じょしこーせーをやってるつもりだけど……」
えりは眉を下げるとリュックの中から一冊のノートを取り出した。
使い込まれた形跡のあるノート、シワになっている。学業に打ち込んでいるから、女子高生だろという言い分なのか?
「ほら」
「前言撤回です。まず、人間に戻りましょう」
それは数学のノートにも関わらず、あらゆるところに筋肉の形が成功に描写されて見事とだった。どういう解法なのか演習問題すら筋肉のイラストを使って解いている。ある意味脳筋だ。
「家庭的か……。そしたら、みんな私の前を通る時でお辞儀することなくなるか」
「少なくとも同級生からはなくなりますよ、たぶん」
レッテルを剥がすという行為は難しい。それは日々痛感することである。
「ラブコメ? は、なにそれキモ」これは中学時代に実際に女子にかけられた言葉だ。この世の中にはラブコメにも数々の良作があり、感動に浸れるのになんとも悲しきかな。つまり言うと偏見は怖いのだ。最近では三桜を含め。
しかしラブコメという社会的イメージは簡単に変わらなくとも──梢えりという人間のイメージは努力次第でどうにでもなるだろう。
「よし──その計画乗りました。友達として振る舞いますし、イメージを良くする方法も一緒に考えます」
「ほんとうかぁ!?」
曇り無い笑顔で子供みたいにはしゃぐえりに、七星は少し謝罪の気持ちを抱いた。
だって家庭的になってほしい理由、えりのためじゃなくて、シェアハウスでの負担を減らしたいって願望だもん。
すっと顔を両手で隠す、七星だった。
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