第12話

 共和国の東に位置するモライドの街は冬の寒さが特に厳しい。行き交う人は誰もが外套の襟を立てて足早に歩く。夕方となり、まもなく闇が訪れようとしているその街の中心部に一台の乗合馬車が到着した。

 「よう、カルナ。意外に早かったじゃないか」

 乗合馬車から姿を見せたカルナをバルドは空から見つけ、翼をたたんで降りてくる。

 「ちょうど臨時の馬車が出るところを捕まえられたの。助かったわ」

 カルナはそう言いながら長かった馬車での固まった体をほぐすように大きく伸びをする。御者はカルナの差し出したアメジストに一瞬だけ戸惑ったものの、特に何も言わず馬に鞭を入れて去っていった。

 「それが金貨代わりのアメジストってやつか」

 「そう、私が提案したの。金貨の代わりに使うようにってね」

 伸びをしていたカルナはそのままの姿勢で胸を張る。

 「金貨の代わり、か。共和国からの通達が来たあと、売買で使っているところを見てなんだろうと思っていたんだ、なるほどな」

 「じゃあ、このモライドでもアメジストは私の提案したように使われているわけね」

 「ああ、だけどあんな宝石が金の代わりになりそうな気はしないんだけどなあ」

 だんだん不機嫌になってくるカルナにバルドは気がついていない。

 「早く宿に行くわよ!どこに泊まっているの!?」

 「なんだよ、怖いなあ。疲れているのはわかるけどさあ、そんなに怒ることないだろうよ」

 「疲れているからじゃないわよ!」

 カルナは大股で足早に歩く。その後ろを追うバルドはやれやれとでも言うように肩をすくめるだけだった。

 「で、どうなの。その後は」

 ようやく機嫌を直したカルナがバルドに話しかける。

 「いや、何も変わったことはない。政府倉庫の周囲にはもちろん、周辺の建物の屋根まで兵士を張り付かせているからかもしれないが、怪しい人影一人見ないな」

 バルドは腕を組みながら答えた。

 「他の街でも状況は同じようだ。これまでに起きたことが嘘のように静かになってしまった」

 「そのようね」

 カルナはうなずく。

 「キール共和国にとってはいいのだろうが、俺にとってはいろいろな意味で腕のふるいようがないなあ」

 「そんなこと言わないの」

 バルドを軽くたしなめたカルナの鼻腔を、不意に香ばしい香りがくすぐる。カルナが目を向けた先には小さなパン屋があった。

 「ああ、あのパン屋、結構うまいパンを売っていることで評判がいいぞ」

 バルドの言葉を証明するように、パン屋の店頭には人だかりがしている。

 「ふうん」

 「せっかくだから買っていこうか?」

 「いいわよ、あんな小汚いパン屋のパンじゃなくて、もっといいものを食べましょ」

 「店は小汚いけど、うまいのは間違いないんだよなあ」

 足を止めずに通り過ぎるカルナに対し、バルドはまだ名残惜しそうに振り返っていた。

 「まあとにかく、商業の方も活発化してきたようだし」

 カルナは商店を覗き込みながら言う。

 「確かにあのパン屋も人があふれていたしな」

 「あそこだけでなく、このあたりの店もそうでしょ。どこも客が入っている」

 「まあ、ひとところまではどの店も閑古鳥が鳴いていたからなあ」

 そこまで言ったところでバルドは驚いたようにカルナを見る。

 「って、カルナ。どうしてみていたかのようにそんなことがわかるんだ?」

 「そんなのどうでもいいことよ」

 カルナは胸を張る。

 「重要なのは、それがこのアメジストってこと」

 指に摘んで見せたアメジストにバルドは怪訝そうな表情を見せる。

 「それはどういう意味だ?」

 カルナは国家運営審議会の席で話した内容をもう一度繰り返した。

 「なんかよくわからないが……」

 そう言わなくてもバルドの顔を見ればそのことはよくわかった。

 「ま、重要なのはそういった小難しい理屈より、こうした賑わいが戻ることのほうなんだけどね」

 立ち止まったカルナは周囲を見回す。まもなく夕方になろうとする時間の中で、商店が並ぶ道は客が多く見られるようになっていた。決して狭い道ではないが、二人が並んで歩くと客に肩がぶつかるほどであった。

 あちこちから店主が客にかける威勢のいい声が聞こえてくる。客の方は適当にそれをあしらいつつ、道のそこかしこで買ったものを前に立ち話を繰り広げていた。

 「それはそうかもしれないな」

 カルナの横で足を止めたバルドも同意の言葉を返す。ちょうど建物の陰から差してきた夕方の光が二人の姿を赤く染め上げた。

 翌日、カルナは赤いマントを脱ぎ、茶色の簡素なコートで街を回っていた。

 「アメジスト?まあ、金貨と同じ感覚で使えるし便利よね。他の人もそう言っているわ」

 魔導具を売る小さな商店の中で、ベールを被った若い女の店主がカルナの問いに艶然と微笑む。カルナは背後にあった黒色の水晶の玉を手に取りながら、そうですか、とうなずいた。

 「でも、不安とかありませんか?」

 「不安?だって共和国が金貨との交換を保障しているんでしょう?だったら心配なんてしなくていいじゃない。ところで水晶玉をお探し?」

 「ええ、なんかいいわね、これは」

 カルナは水晶玉をためつすがめつしながら言う。

 「あら、なかなかお目が高いじゃない。その水晶玉は珍しい煙水晶を磨いたものよ」

 「そうね、ただの水晶玉をこんなに丁寧に黒色に塗っているのは珍しいわね」

 「へ?」

 振り向いたカルナは、口を開けたまま固まっている店主の手に水晶玉を返してやる。水晶玉は力のない店主の手から下に落ち、甲高い音と共に二つに割れた。透き通った断面は表面の黒色とは似ても似つかなかった。

 「はじめまして、主席公認魔導士のカルナです。もし、次に見つけたら主席公認魔導士の権限であなたの魔導士登録を取り消させてもらうからね」

 まだ呆然としている店主を残し、カルナは店を出た。

 宿に戻ったカルナは靴を脱ぎ、大きく息を吐く。固く張ったふくらはぎを叩いたが、なかなか足の痛みは取れなかった。

 「おつかれさん、まあ、これでも食って落ち着けよ」

 扉から顔をのぞかせたバルドが袋に入ったパンを放ってやる。しかし受け取ったカルナは特に嬉しそうな顔もせずにため息をつくだけである。

 「どうしたんだ。アメジストの流通云々はうまくいっていたんだろう?」

 「それはうまくいっていたんだけど……」

 商店での出来事を聞かせるとバルドも苦笑いを浮かべた。

 「まったく、魔導士があんな偽物の水晶玉を売るなんて」

 「だけど、偽物の煙水晶を売る程度ならまだかわいいじゃないか。魔導士協会の上の方なんてもっとひどいことが行われていると……」

 そこまで言ったところでバルドはしまったと言うような表情を見せた。

 「ううん、いいの。それは私もわかっている。だからあんな小さなことでも気になってしまうの」

 そう言ったカルナはバルドに気を使うようにパンに手を伸ばした。

 「あら、おいしいじゃない」

 「だろ、評判どおりに」

 バルドの言葉が終わる前にカルナは二つ目のパンに手を伸ばす。

 「よかったら明日も買ってきてやるぞ」

 「ごめん、明日はもう出発するんだ」

 「え?もう出発するのかよ」

 あきれたような声を出したバルドに、カルナはすまなそうな顔を向けた。

 「ちょっと別の街の状況も見てみたいんだ」

 「そうか、じゃあ俺もどこかへ行ってみるか」

 カルナは首を横に振る。

 「だめだめ、バルドはここに残っていて。私の予想なら次にここが狙われる可能性がいちばん高いんだから」

 「なあ、だったらどうしてこの街が狙われる可能性が高いと判断したのか教えてくれよ」

 「理由?」

 バルドの疑問にカルナは少しもったいぶった態度で答える。

 「セサン、ポカラサ、バガレー、そしてテフェカス。この街の共通点を考えてみたの。バルドはわかる?」

 バルドは首をひねるだけだった。

 「それは、どこも黒翼人が少ない街。もしくは白翼人の方が多い街。どう?」

 「言われてみれば……」

 「だから、次に狙われるのは似たような街、と考えるのが普通じゃない。そうすると、向こうは逆に黒翼人の多い街を次に狙おうと考えるはず。ならば、こっちはそれを先回りするだけよ」

 「なるほどなあ」

 素直にバルドは感心した顔をする。

 「だから、あとは頑張ってね。どんな力を持っているか分からない相手に対抗できるのは、剣舞披露会で優勝したバルド、あなたしかいないんだから」

 「わかった、まかせておけって」

 露骨にも聞こえるお世辞でも、バルドの表情は明るくなっていた。

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