第10話
馬を飛ばしたカルナが首都キールに戻ったのはわずか二日後のことだった。カルナは足を止めることなく総統府へ急ぐ。
「補佐官?総統はいらっしゃいます?」
「おりますけど、何ですか?面会でしたら、きちんと約束をとってから……」
「じゃあ、ちょっと会わせて。それも至急で……」
顔を上げた補佐官に詰め寄るように言ったカルナはあわてて首を横に振る。
「いや、そうじゃなくて、審議委員をすぐに召集して。一刻も早く」
「え?なんですか?」
「だから国家運営審議会を開催するのよ。他に何があるの」
怪訝な表情を見せる補佐官にカルナは畳み掛ける。
「定期の会合はまだ先ですが……臨時の開催ならそれなりの理由が必要ですよ」
「理由?理由、ね……」
カルナの口角がゆっくりと上がる。
「例の金貨盗難事件について、というのは理由としては不十分かしら?」
前例のないことには腰が重い補佐官でも、それなり、の理由があるのであれば行動は早い。ましてや金貨盗難事件のことであれば、言うまでもない。すぐに総統府には国家運営審議会の審議委員が集合した。
昼下がりの穏やかな時間のはずなのに、総統府最上階の会議室の中には重苦しい空気が満ちていた。大きな会議机を囲んで座る審議委員は周囲の目を気にするように、隣と小声で会話を交わしている。
「なにかね、ついに金貨すり替えのことで進展があったとか」
開会を告げる補佐官の言葉も終わる前に地方連絡官代表が口を開く。
「その件に関しては、カルナさんからご説明いたします」
補佐官がそう言ってカルナの方を見やってから一呼吸置き、カルナはゆっくりと席を立つ。
「まず、最初に申し上げたいのは、これは今まで考えられたように、盗賊が政府倉庫に侵入して金貨をすり替えたのではありません」
会議室がどよめきで満たされるには、それだけで十分であった。カルナが次の発言をするにはしばらくの時間が必要だった。
「先に結論を申し上げます。これは、誰かが政府倉庫の周辺で金を他の金属に変える薬品を気化させ、金貨をはじめとする金製品を他の金属に変えたのです」
カルナはそこまで言って周りを見回す。並ぶ顔には今度は怪訝な表情が浮かんでいる。カルナはそれを確認すると、再び口を開き、バルドに説明したことをもう一度繰り返した。いつの間にかどよめきは消え、会議室は静まり返っていた。
「なるほど、金貨……だけでなく、金が錬金術の心得がある人によって別の金属に変えられたのはよくわかりました。だけど、その人はどのような目的でそんなことをしたのですか?そんなことをしても自分への利益は何もないではないですか」
白い服を着た薬師連盟の代表をつとめる中年の女性が甲高い声を上げる。ただでさえ高い声がいつもよりさらに高くなっていた。
「……それは、まだ完全にわかったわけではありません。ただ、推測の域ではありますが、言えることはあります」
カルナは発言した薬師連盟の代表に向き直る。
「ところで、その着ている服はどうやって手に入れたのですか?」
「え?これは薬師連盟の制服ですので、事務局から支給されたんですけど」
「その事務局はどこかから服を買ったんですよね?」
「まあ、そうでしょうね」
質問をはぐらかすようなカルナの問いに、代表はむっとしたような口調で答える。
「ですよね。あなたは薬についてはご自身でお作りになることができても、服についてはそうではないでしょうし」
もっとも、そんな代表の口調にかかわらず、微笑んだカルナは次に木工組合の組合長に問いを投げた。
「この机はあなたの手によるものですよね。さすが組合長、素晴らしい机です」
カルナは机の表面を手で触れる。
「はあ、そうですけど……どうも」
短髪の組合長はカルナの唐突な褒め言葉に対し、居心地悪そうに腰をむずむずとさせた。
「で、この机の木はどうされました?」
「出入りしている商人から仕入れたんですが……」
「なるほど、これほど立派な材木ですと、金貨三枚ぐらいかしら」
「まあ、長い付き合いだと言うことで二枚にしてもらいましたけどね」
どこか警戒するような色を顔に浮かべながら組合長が答える。カルナは礼を言うと、今度は補佐官に顔を向けた。
「そして、補佐官。あなたの手に持っている翼ペン……」
「この翼ペンがどうかしたんですか?」
カルナの質問に先回りして補佐官が答えた。なかなか本題に入らない苛立ちが口調に込められていた。
「ええ、分かっています。もちろん、それも買ったんですよね」
そんな補佐官の態度を気にした様子もなく、カルナは前に向き直った。
「これで皆さんもお分かりになったはずです。われわれが生きていくためには、金貨が不可欠であることを」
ゆっくりとカルナは周囲を見回す。机を囲む顔のいくつかにまだ理解できていないような表情があるのを見ると、カルナは改めて口を開いた。
「われわれが物を交換するときには金貨を仲立ちさせているわけです。その服もこの机も、ねえ、補佐官、補佐官だってどんなに書類作りの能力があったってそれでパンが手に入るわけじゃないでしょう。大統領府からの給料を金貨で受け取って、それで買っている。ここまで言えば分かるでしょう」
カルナはそこでさらに声を張り上げる。
「金貨はこの国の血液のようなものです。金貨の流れが止まればこの国は死ぬ。ちょうど人の血液の流れが止まれば人が死ぬように。実際、この国の景気が悪くなりつつあるのは誰もが気がついているはずです」
そこでカルナは急に声を低くした。
「この一連の行為をした人は具体的な何かを盗もうとしたのではありません。あえて挙げるのであれば、盗もうとしているのは、この国の未来です」
カルナが口をつぐむと会議室の中には冷たい静けさが訪れた。誰も自分から声を出そうとはしない。見回して満足そうな表情を浮かべたカルナは再び口を開いた。
「さっきも申し上げましたが、こんなことができるのは錬金術の心得がある人でしょう。魔法では金属を変化させることはできませんし」
審議委員らの目がいっせいに錬金術連盟の会長に注がれる。
「いや、錬金術連盟としては、そのような者が連盟の内部にいるなどとは……」
しどろもどろになりながら首を横に振る錬金術連盟の会長にカルナは語りかける。
「いえいえ、もちろんそんなことは申しておりません。真実が明らかになるにはそれほど時間は必要としないはずです」
カルナは改めて前を向いた。
「私はすでに、次にこのようなことが行われると思われる街にバルドを向かわせております。剣舞披露会で優勝したバルドならその人を捕らえることも難しくないでしょう」
会議室のあちらこちらから、おおっと声が上がる。カルナはそれを見て満足そうにうなずいた。
「でも、そいつが捕まったとしても、金貨を盗んだんじゃなければ、金貨はないままなんだよなあ。だとすると、この国の行く末は……」
木工組合の組合長が顎に手を当てて考え込む。しかし、カルナの方はそれを待っていたかのように口を開いた。
「それも考えております。これを見てください」
カルナは手元に小石を用意した。そして右手に持ったトネリコの杖を小石の上にかざす。そしてカルナが目を閉じ、口の中で何か呪文をつぶやくと小石は鮮やかな紫色に輝いた。
「……これは?」
身を乗り出した補佐官がカルナの手にある小石を摘み上げた。
「これは、アメジストです」
カルナは胸を張って答えた。
「アメジスト……どこかで聞いたことがあるな。宝石の一つじゃなかったか」
補佐官は首を傾ける。
「これを当分の間、金貨の代わりとして使うのです。もちろん、当分の間ですので、ある一定の期間後には金貨と交換するという約束で。これを使えば私の今申し上げた問題は解決されます」
「確かにそうかもしれない……」
補佐官はアメジストを何度もひっくり返しながらつぶやくように言った。
「だけど、そんなものが金貨の代わりになるんだろうか」
ただでさえ難しい顔をさらに難しくしているのは組合長である。
「もとはと言えば、ただの石なんだろ。そんなものを金貨のようにありがたがる人がいるとは思えないんだが」
「それは……」
一瞬だけ言葉に詰まったカルナの横から口を挟んだのは代表だった。
「私、聞いたことあるわ。海の向こうのクルシュナイル王国でこのようなものが使われていると」
「そうか、他の国でも使われている実績があるのか」
感心したように言った補佐官だったが、すぐに顔を曇らせる。
「だけど、あそこは優良な採掘場があるだろう。わが共和国で同じようなことはできない」
「だから魔法なのです。幸いなことにこの国には優れた魔法が伝えられています。その魔法のうち、複製の魔法を使うのです」
注目を自分に向けるべくカルナは声を張り上げる。
「さらに、このような透き通る輝きは魔法でしか複製することができません。それも高度な魔法でしか。この点から見ても、クルシュナイル王国で使用されているものよりはるかに優れたものが出来上がるのです」
言外に自分のような魔導士にしかできない、というのを匂わせていたが、それは誰も気がついていないようだった。
「とにかく、この小石……アメジストを金貨を作り出すまでの間、流通させるのです。そのくらいの時間があれば金貨を作ることができますよね、錬金術連盟さん?」
「ええ、もう私たちとしても最大限の努力をもってカルナさんに協力させていただきますよ、もちろん」
錬金術連盟の会長は額に浮かんだ大粒の汗を拭きながら言った。自分に批判が向きかねないところを助けてもらったような形となった会長としては、カルナに反対する理由などない。
「なるほど、よい考えかもしれない。その形で進めてみようか」
総統のその言葉があれば、会議室の雰囲気は出来上がったようなものだった。
「それでは主席公認魔導士、カルナ国家運営審議委員の案を採用することにいたします。詳しくは後ほど事務局の方から……」
補佐官が手際よく議論をまとめていく。後はがやがやと雑談めいた話が残るだけだった。
椅子に腰を下ろしたカルナは大きく息を吐く。これでこの国の経済も立ち直るだろう。そうすれば提案した自分の評価も上がる。そしてバルドが金貨を変化させた人を捕らえたらならば、バルドだけでなく自分の評価も上がるだろう。錬金術の心得がある人、とまで推理したのは自分なのだから。
右手の痛みで、いつの間にかトネリコの杖を強く握っていたことに気がつく。思わず苦笑を浮かべてしまったカルナだったが、まだ会議は終わっていないことを知ると急いで真剣な表情を作った。
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