第8話
その夜、酒場にはバルドの姿だけではなく、カルナの姿もあった。
「まだ解決などしていないんだけど、それなのにこんなところで飲んでいていいの?」
騒がしい会話で満ちている酒場の中で、カルナはどことなく釈然としない表情で座っていた。
「まあいいじゃないか。とりあえず錬金術が使われたことがわかったんだ。今晩ぐらいはゆっくりしようぜ」
酒の入った杯を傾けるバルドは陽気に言う。今夜は、バルドがテフェカスでの約束を実行してもらおうと、カルナに迫ったのだった。
「こんなことをしている場合じゃないと思うんだけど」
「おいおい、たまには息抜きも必要だぜ」
「それは認めるけど……」
その件に関してはバルドが正しいためカルナは反論できない。
「それに、ここの住人に聞けば、何か手がかりがわかるかもしれないぜ」
もっとも、カルナの周囲にいるのは教養のなさそうな柄の悪い男ばかりである。バルドならともかく、主席公認魔導士である自分と話が合うとはカルナは思えなかった。
「……ま、それはバルドに任せるわ」
「わかった。やはりこういったのは俺でないとな」
カルナの真意には気づいてなさそうなバルドは、杯を持ったままいそいそと人の群れに向かっていく。一言二言、言葉を交わすと、バルドはまるで昔からの友人のように彼らの会話の中に入っていった。
カルナはため息をついて椅子に腰を下ろす。そしてゆっくりと杯を傾けた。
もともとカルナは酒に強い方ではないが、今日の酒は特に苦い。なかなか杯の中の酒も減らない。
周囲の会話がカルナの耳に届く。
「……それにしても景気が悪くなったよな……」
「……ああ、まったくだ……」
もしかしたらその原因は聞こえる会話にもあったのかもしれない。見回せば、あちこちのテーブルで深刻そうな表情を浮かべて頭を突きあわせている男が多い。
いつもならばどんなに悪いことがあっても、酒場に来れば誰もが笑顔で酒を飲むのが本来の光景である。しかし、今日ばかりはいつもと違う。
周囲から漂ってくるその重い空気を振り払うように、カルナは勢いをつけて杯を傾ける。だが、慣れない酒で喉に強い刺激が走る。思わずむせたカルナは、無様な姿を見られなかったかと辺りを見回した。
もっとも、そんなカルナに目を向ける人は誰もいない。ほっと息を吐いたカルナだったが、それもまた寂しいものだった。思わず目でバルドを探したものの、どこへ行ったのか姿は見えない。
不意に前頭部にやってきた痛みにカルナは頭を抱える。既に飲み過ぎてしまっているということは、目の前に転がっている杯以上にこの頭痛でカルナはわかった。
(……それにしてもこの国はどうなってしまうんだろう……)
カルナは頭を抱えたまま心の中でつぶやく。頭痛はますますひどくなるばかりである。
(……国の心配をするより自分の心配をしないと……)
思わずカルナは苦笑を浮かべる。
(……このままでは国も私も破滅への道だ……)
苦笑を浮かべたまま、カルナは再び杯を傾けた。
(……景気が悪い)
(……景気が悪い)
それにしても、右や左から聞こえてくるのはこの声ばかり。いやでも彼らの会話が耳に入ってくる。
聞くことはなしに入ってくる彼らの景気談話に耳を傾けつつ、杯に残った酒を喉に流し込んだところでカルナの手が止まる。
(……もしかしたら、目的はそれだった?……)
手を止めたまま、カルナは宙に視線をさまよわせる。しかし、その視線に気がついた人はいない。相変わらず低い声で会話を交わす人ばかりである。そして、カルナの視線に鋭い光が戻りつつあったことに気がついた人もいなかった。
その日もバルドが戻ってきたのは夜遅くだった。
「お、先に帰っていたのか。そっちも何か役立ちそうな話は聞けたか?」
酒の臭いを撒き散らしながらバルドは軽口を叩く。だが、ランプ一つを灯しただけで暗い部屋の中に座るカルナを見て口をつぐんだ。
「バルド、私は急いで首都キールに戻らなくてはいけない」
振り向いたカルナはバルドを見据えるようにして口を開いた。
「……」
バルドは黙ってカルナを見る。
「前にも言ったようにこれはそこらの盗賊の仕業ではない。もっと大きなものを目的としている誰かによるものだとしか考えられない」
「もっと大きなもの?」
「そう、そのことを相当に伝えてくる。で、バルドには別に頼みたいことがあるの」
部屋には二人しかいないにもかかわらず、カルナはあたりを警戒するように声を潜める。バルドも耳を近づけた。
「……と、いうことなの。お願いできる?」
「わかった、モライドという街に行けばいいんだな。あと、今度は上空からの警戒も怠るな、と」
酔いが醒めたように真剣な表情に変わったバルドは小さくうなずく。
「そう、よろしくね」
カルナの目には、ランプの光とはまた別の光が宿っていた。
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