第7話

 どこの街でも、ほとんどの政府倉庫は同じような造りとなっている。このゼラスの街の政府倉庫も、中に入ればテフェカスの政府倉庫と同じ構造となっていた。

 「権限がないため、私はめったに中に入ることがないのです」

 恐る恐るといった様子で歩く文書接受官を後ろに従え、カルナとバルドは先に立って政府倉庫の中を歩く。

 「ここの二階に金貨が保管されていた、と」

 カルナは階段の前で足を止めた。

 「また遡及魔法だな」

 「まだ近衛兵たちはあまり立ち入っていないから、今度こそはうまくいくと思う」

 カルナは階段に向かってトネリコの杖をかざす。しばらくすると前回の時と同じように人影が浮かび上がった。

 「お、何か怪しい影があるぞ」

 「見回りの吏員ですね」

 バルドの声に即座に答えたのは文書接受官だった。

 「これは誰だかわかるか?」

 「ええ、収受担当の人です」

 「これもか?」

 「はい、二人一組で倉庫に入る規則になっていますので」

 結局、浮かび上がった人影は最後まで文書接受官によって、すべて同定された。

 「そうすると、郡庁舎で働いている人以外はこの二階には上がっていないということね」

 カルナは失望を隠せない表情でトネリコの杖を下ろす。

 「まあ、とにかく二階の中を見てみようぜ」

 バルドが不自然なまでの明るい声でカルナを促した。

 やはり、二階もこれまでおなじように整理棚が並べられている。違っているのは、今回は金貨があった場所にすりかえられた鉛の貨幣がうずたかく積まれていることだった。

 「これがすりかえられた鉛です。そして、あちらにあるものが金塊だったものです」

 文書接受官は右側に視線を向けた。カルナもそちらに目をやる。視線の先には、もとは金の光を放っていたと思われる金属の塊があった。

 「ふうん、なるほど」

 カルナは貨幣の山に目を落とす。

 「確かに、どこから見ても鉛ね」

 「成分も分析しました。残念ながらと申しますか、内部からすべて鉛です」

 文書接受官は首を横に振る。重い沈黙が政府倉庫の中に漂った。

 「それでは、ここも遡及魔法をかけてみましょう」

 しかし、鉛の貨幣の山はまったく動きを見せない。テフェカスの時と同じである。カルナは力なくトネリコの杖を下ろした。

 「なあ、カルナ……」

 「ごめん、ちょっと一人にして」

 気を遣ってバルドがかけた声に、カルナは短く返す。冷たい返事だったが、バルドは文書接受官を促し、外に出た。後にはカルナだけが残された。

 静かになった政府倉庫の中でカルナは考え込む。

 (何か変わっているところはないか……?)

 事件現場に変わっているも何もないだろうと気づいたカルナは思わず苦笑するが、その表情もすぐに消える。

 (まずは、現場をよく見ることだ。魔法に頼るよりも)

 今、目の前にあるのはすりかえられた鉛の貨幣、そして鉛の延べ棒、何度見たところで変わることはない。それでも、カルナは何かを見つけようと、周囲に目を向けながら慎重に政府倉庫の中を歩き回った。

 棚の裏側には役所の書類がうずたかく積まれている。いずれの書類も、表紙には赤く重要と記されている。こちらもある意味、金貨と同じ価値のあるものだが、金貨をすりかえた者は書類には手一つ付けていない。

 (……?)

 カルナは足を止めた。書類の下から鉛の貨幣が覗いている。

 (これは……?)

 この政府倉庫には金貨とそれに類するものしか保管していなかったと聞いている。おそらく転がり落ちた金貨の上に、書類を積み重ねてしまったのだろう。ここもテフェカスと同じように金貨の管理すらきちんとできていないことを憤るべきだったろうが、むしろ書類の下の金貨までもきちんと銅貨にすりかえていく犯人の几帳面さに感心すらした。

 しゃがみこんだカルナは鉛の貨幣を抜き出そうとしたが、分厚い書類は重く、指の力だけで取ることは無理そうであった。

 カルナは立ち上がり、トネリコの杖を構える。この程度の書類ならさほどの魔力は必要ないであろう、と思ったカルナだったが、やはり魔力の加減を間違えてしまう。移動魔法で勢いよく持ち上げられた書類は天井にまで達し、壮大な音を立てて床に散らばった。

 「おい、どうしたんだ?」

 その音を聞きつけて外からバルドと文書接受官があわてて戻ってくる。

 「どうしたんだ、書類なんか散らばせて」

 アドルこそは黙っていたものの、床の上の書類を見て顔をしかめていた。一方のカルナは散らばった書類の中にしゃがみこんだまま返事すらしない。

 「何か見つけたのか?」

 黙ったままのカルナに、バルドは背後から声をかけた。

 「これよ」

 カルナはゆっくりと立ち上がり、バルドに摘み上げた鉛の貨幣を突き出した。

 「なんだ、これは?」

 「なんですか、これは?」

 男二人の声が政府倉庫の中に響く。

 カルナの指には一枚の鉛の貨幣がある。表には神話の女神の横顔が描かれた、ごく普通の鉛の貨幣である。しかし、顔の半分を境にして、もう一方は鮮やかな金色を呈していた。

 バルドはしげしげとその貨幣を見ながら言った。

 「まるで鉛の貨幣と金貨を半分に割ってくっつけたような。だけどつなぎ目は見えない……魔法でやったんじゃないのか?」

 「いくら魔法でもこんなことはできないわよ」

 カルナは首を横に振る。

 「じゃあ、いったいこれはなんなんだ……」

 バルドは腕を組んで首を傾げた。文書接受官もしげしげとその貨幣を見つめている。

 しばらく無言の重苦しい時間が続いた。その重苦しさを振り払うように、文書接受官が口を開いた。

 「まるで錬金術に失敗したようですね……鉛の貨幣を金貨に変えようとして……」

 「ここには金貨があったのよ。そんなわけないじゃ……」

 そこまで言ったところでカルナは何かに気がついたように口をつぐんだ。

 「どうかしたのか?」

 黙り込んだカルナを見てバルドが声をかける。

 「……消えた金貨、そして目の前の鉛の貨幣……」

 だが、カルナは返事をしない。金貨を指の先に摘んだまま、その金貨をじっと見つめながら何事か口の中で何事かをつぶやいている。

 「おい、カルナ……」

 「すみません、この街に錬金術師はいますか?」

 なおも声をかけたバルドを無視し、カルナは文書接受官に向き直る。

 「錬金術師、ですか?ご存知のとおり、こんな小さな街に錬金術師など……」

 「じゃあ、錬金術の心得がある人は?」

 「それならいないわけでは……」

 「その人をすぐに連れてきて!」

 カルナの勢いに押され、文書接受官は理由を聞くこともなくあわてて政府倉庫を飛び出していった。

 ややあって文書接受官が連れてきたのは背の低い初老の男性だった。

 「既に引退し、資格も返上しております。どこまでお役に立てるかわかりませんが……」

 突然の呼び出しに元錬金術師は三人の顔を見比べながらおどおどと話す。

 「ああ、そんなに緊張しないで。ちょっと聞きたいだけだから」

 カルナは明らかに作ったとわかる笑顔で例の硬貨を元錬金術師に見せた。

 「これは何だと思う?」

 引退したといっても過去の錬金術師としての自分がよみがえってきたのだろう、真剣な顔に変わった元錬金術師は硬貨に鋭い視線を送った。

 「……明らかに錬金術に失敗したものだと思われますね」

 「私もそう思う。鉛の貨幣を金貨に変えることに失敗したものだと」

 「ええ」

 元錬金術師はうなずいた。

 「だけど、そうではなくて金貨を銅貨に変えようとして失敗したということは考えられない?」

 「はい?」

 元錬金術師は驚いた顔を見せる。

 「どう思います?」

 「考えられないか、と聞かれれば、考えられるとは答えることができるでしょう。鉛を金に変えるように、金を鉛に変えることも原理的には可能です。ですが、いったい誰が金を鉛に変えようとなんてするんですか?その意味では考えられません」

 「とにかく、できることは間違いないのね?」

 「まあ、できることには間違いありません。だけど、申し上げたように金をわざわざ鉛になど……」

 「できるということがわかれば結構」

 なおも怪訝そうな表情を見せる元錬金術師に対し、カルナは納得したように深くうなずいた。

 「それと、錬金術の薬品は液体でなければいけないの?」

 「いえ、そのようなことはありません。気体でも金属を変化させることは可能です。ただ、変化は確実ではありません。この硬貨のように反応が不完全なまま終わったり、気化した薬品が思いがけないところに流れ出すことがありますので、薬品を気体として使うことはまずありません」

 「あるかないかはいいとして、気体でもできるということね」

 「技術的には、できるという回答になります」

 「そう、わかったわ。どうもありがとう」

 「ですが、金貨を鉛の貨幣に変える人など……」

 なおも疑問を口にする元錬金術師を帰した後、ずっと黙っていたバドルが声をかけてきた。

 「いったいどういうことなんだ?元錬金術師にあんなことを聞いて」

 「私は今まで金貨が盗まれて他の硬貨にすり替えられたものだと思ってきた」

 カルナはバルドに顔を向ける。

 「だけど、そうじゃなかったとしたらどう?」

 「え?」

 「金貨は盗まれてなんかいなかったの。私たちの目の前にあったのよ」

 「おい、カルナ。何を言いたいんだ」

 意味がわからないといった顔をしたバルドはカルナに聞き返す。

 「あの銀貨や銅貨、それらが金貨だったの。錬金術によって金貨をそれらの硬貨に変えたのよ」

 「金貨を変えた?金貨を盗んだんじゃなくて?」

 カルナはうなずく。

 「そう、私の推測が正しいのであれば」

 「いったい……なんで金貨を変える必要があるんだ?」

 バルドは元錬金術師と同じ疑問を口にする。

 「……それは、まだ私にもわからない。だけど、これまでの経緯を思い出すとそう考えるのがしっくりくるの」

 カルナはセサン、ポカラサ、と街の名前を挙げた。

 「そう言えば、どの街の政府倉庫でも金貨だけが他の金属の硬貨に変わっていたな……だけど、何故はともかくどうやって金貨を変えたんだ?」

 「それは薬品を気化させて使ったんだと思う。そうすれば人が侵入できないような政府倉庫の中の金貨も反応させることができる」

 「なるほど、それなら金貨の隣にあった金塊までが鉛に変わっていたのも説明できる」

 「それだけでなくこの金貨の説明もね」

 カルナは右手の貨幣をバルドにもう一度示す。

 「そうか、これも金貨だったのだが、気化した薬品と反応して鉛に変わってしまった。だが、書類に挟まれていた部分については反応せず、金のまま残ったということか」

 「そういうこと。あとはどうやって薬品を気化させたかだけど、バルド、テフェカスの政府倉庫の屋根で薬瓶を見つけたよね」

 「薬瓶?そんなのあったっけ」

 首をひねるバルドにカルナはいらついたように言う。

 「あったじゃない。覚えてないの?それよりちょっとバルド、外を調べてきて。たぶんあの時のような薬瓶があると思う」

 バルドはあわてて外に飛び出していった。

 「あの、金貨が鉛に変わったとか、いったいどのような……」

 話に加われなかった文書接受官がおずおずと声をかける。もっとも、カルナの方は聞いてはいない。何か独り言をつぶやきながら整理棚を覗いたりと、文書接受官などいないかのように歩き回っている。

 「薬瓶って、こんなものか?」

 戻ってきたバルドの手には確かに硝子の薬瓶があった。

 「そう、それよ」

 「隣の建物の屋根の上に置かれていた。きちんと立ててあったから、カラスが持ってきたものではないようだな」

 カルナはバルドから薬瓶を奪うように取る。蓋のない薬瓶には汚れなどはなく、まだ放置されてから間もないものであるものであることが伺えた。

 「この中に薬品が入っていたはず。この蓋を開け放っていれば気化した薬品が窓から入って金に反応するという仕組みになっていたのだと思うの」

 「なるほど、そういうことか」

 しかし、それでもまだバルドは首をひねっていた。

 「だけどやっぱり疑問は残るぜ。こんなことをやった奴の手元にはなにも残らないんだから、いったい何の目的があったんだか」

 カルナはうなずく。

 「それはバルドの言うとおり。だから、こんなことをやったのは、そこらへんにいる盗賊とかその類じゃないわね。自分の利益にならないんだから」

 そう言いつつカルナは再び薬瓶に視線を落とす。

 「ただ、少なくとも錬金術師もしくは錬金術の知識を持つ人であることは間違いないはず」

 「ならば、その手がかりをもとにして……」

 「そう、これで一歩解決に近づいたわね」

 だが、いったんは満足そうにうなずいたカルナの表情はすぐに引き締まる。

 「だけど、やっぱりどうしてこんなことをしたのかは、まだわからない。それがわからない限り、解決へは二歩以上近づくことはできないような気がする」

 カルナは薬瓶に視線を落とす。ひんやりとした硝子は、高揚しかけたカルナの心をゆっくりと冷やしていった。

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