第4話

 「バルド!遅いわよ」

 「わかっているって。こっちは昼飯の途中だったんだから、すぐに準備なんかできるかよ」

 総統府を出てからようやく追い付いたバルドを、カルナはいきなり怒鳴りつける。もっとも、バルドの方も負けてはいない。カルナに向かって口を尖らせる。

 「昼食なんてどうだっていいでしょう。補佐官から聞いているはずだけど、また事件が発生したのよ。一刻も早くテフェカスまで行かないと。今から出発してもテフェカスに着くのはだいぶ遅なるはず。日が暮れて暗い中を飛びたいの?」

 もちろん、そんなバルドの相手をまともにするカルナではない。バルドの何倍もの言葉で言い返し、反論を封じた。

 「……いや、それよりさ」

 「何?まだ言い足りないの?」

 「テフェカスまでは二日かかるぜ。準備はしないのか」

 「するわよ、いつものナソラ商会で揃えるに決まっているじゃない」

 「もう通り過ぎているぜ」

 そこでようやくカルナは足を止めた。目の前には赤茶けた煉瓦が組み合わされた背の高い門がある。街はここまでであり、ここから先は森と草原、それとやせた畑が広がるだけになる。

 「俺は何度も言ったんだぜ」

 「…わかっているわよ」

 カルナは大きく頭を振り、踵を返してもと来た道を戻り始めた。

 「それじゃあ俺はここで待っているから、ゆっくり仕入れて来いよ」

 黒い翼を翻して傍らの木に飛び移ったバルドは、枝に腰掛けて足を組んだ。そして遠ざかるカルナに大きな声を投げた。

 その声を背中で受けながら、カルナはもう一度頭を振った。

 ゆっくり?ゆっくりなどしていられない。とにかく急いでこの事件を解決しなくてはいけないのである。

 「お、カルナさん。いらっしゃい、またどこかに行くのかね?」

 中年の店の主人はいつものように機嫌がいい。すっかりはげあがった頭を右手でなでつけながら、明るい声でカルナに声をかけた。

 「うん、今回はテフェカスまで。ちょっと長くなりそうだから……」

 「それじゃあ干し肉とかがいいかな、あれは保存が効くし」

 「そうね、それを前回の倍の量でお願い」

 主人は伸び上がって棚の上から干し肉を下ろす。上腕二頭筋がぐっと盛り上がり、鍛えられた男の身体がカルナの目に映った。

 「じゃあこんなものでいいかな」

 カルナの差し出した袋の中に主人は無造作に干し肉を詰め込む。

 「ありがとう。これだけあれば帰ってくるまで持ちそうね」

 礼を言って店を出ようとするカルナの背中に、主人が声をかけた。

 「そういえば、こんな噂を聞いたんだけど……」

 店の台に肘をついて、身を乗り出すように話しかける。

 「カルナさんが、なんか公認魔導士の地位を辞任するとか、そんな噂なんだけど」

 「え?私が辞任?」

 カルナは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 「ああ、いや、ただの噂だから気にしないでくれ」

 そう言うと主人は顔の前で大きく手を振った。そして、固い表情のカルナが黙ったまま自分の方を見ていることに気がつくと、そそくさと店の奥に姿を消した。

 (そんな噂が……)

 店を出たカルナは歩きながら唇を噛んだ。

 おそらくメリデが言っていたのはこのことなのだろう。審議員の誰かか、もしくは近衛隊か。誰かがそんな噂を流しているのだ。

 ただ、噂が広がるにも理由がある。人々がその噂を信じるだけのものがあるのだ。

 カルナは足早に歩き続けた。気がつけば顔がうつむいている。公認魔導士は威厳をもって堂々と歩かなければいけない。それだけの地位と権威があるはずだった。しかし、今のカルナは人とすれ違うたびに思わず視線をそらしてしまっていた。

 「よお、早かったじゃないか」

 背中を幹に預け、枝に腰掛けていたバルドは、カルナの姿を見ると黒い翼を数度翼ばたかせながら飛び降りた。

 「そう?昼寝でもしていたから時間が短く感じられたんじゃない?ほら、さっさと行くわよ」

 吐き捨てるように言ってカルナはさっさと歩き出す。もっとも、いつものことにバルドは気にした様子もなく、翼を広げて枝から飛び立った。

 街から出た道は、すぐに両側に赤土の畑が広がるようになる。畑では農家の人々がそこかしこで黙々と手を動かしていた。黙り込んだまま足早に歩くカルナの斜め上を、バルドはゆるやかに翼を動かしながら飛んでいた。

 しばらくはおとなしくカルナの後を追っていたバルドだったが、黙っていたのは短い間だけだった。やがて道は小さな街に吸い込まれ、宿屋や食堂の並ぶ街の中心にまでやってくると、昼食を中断された不満が再開された。

 「腹減ったなあ、何か食っていこうぜ」

 「うるさいわね、昼食なんか食べなくても死ぬことはないわよ」

 「歩くのと違って飛ぶのは体力いるんだよなあ」

 まあ、飛ぶことのできない人間にはわからないだろうけど、と皮肉っぽくバルドは付け加える。

 「だったら歩けばいいじゃない」

 「おいおい、翼人種に飛ぶなと言うのは死ねと言っているのと同じ意味だぞ」

 いつもはカルナの方が言い負かしても、このようなことになるとバルドの口は止まらない。さすがにうんざりしたカルナはやむなく一軒の食堂へ足を向けた。

 「はい、いらっしゃい」

 昼は過ぎていても、店の中は客で混雑していた。高い木の天井には客の声が反射している。恰幅のよい女店主に案内されて二人は隅のテーブルについた。

 「悪いねえ、混んでいて」

 女店主はすまなそうに言いながらも、次には別のテーブルからの注文に答えていた。

 「だけど、このような店のほうがうまいんだよな」

 バルドは中を見回しながら言った。

 「ふーん、そうなの」

 特に関心のないカルナは生返事をしながら椅子を引く。頭の中は今回の事件でいっぱいだったカルナは、はずみで引いた椅子を背中合わせに座っていた客にぶつけてしまった。

 「失礼、ごめんなさい」

 「いえ、大丈夫です」

 客の男性は気にした様子もなく頭を下げる。そして、再び前に座っている少女との会話を続けた。

 しばらくその二人を横目で見ていたカルナだったが、いつまでも食堂の見分け方について演説をぶっているバルドを無視し、男性に話しかけた。

 「ところでお二人はご旅行ですか?」

 「ええ、まあそのようなものです」

 振り向いた男性は軽くうなずく。一方の女性は、警戒の色を隠さず、ちらりとカルナに目を向けただけであった。

 「ところで、あなた様は錬金術師でいらっしゃるんですか?」

 カルナは男性の服装に目をやりながら聞く。

 「まだ見習いなんですけどね」

 「あ、それはごめんなさい」

 反射的にカルナは頭を下げる。

 「いえいえ、構いませんよ」

 しかし、男性は気分を害した様子もなく笑みを浮かべる。

 「まあ、こんな服だとそう見られても仕方がないんですけどね」

 自分の着ている長いローブに目を向けながら男性は言った。

 「ええ、なんか着なれた感じでいらっしゃいますから」

 カルナは言い訳のように言葉を付け加える。

 「よく勘違いされるんですよ。この年で未だ見習いなんて恥ずかしいんですけどね」

 男性は苦笑した。自虐とも取れる言葉に気まずさを感じたカルナはまた頭を下げた。

 「急いでいるんだろ、早いところ食っちまおうぜ」

 苛立ったようにバルドがカルナに声をかける。すでに料理の皿はバルドとカルナの前にも並べられていた。

 「ごめんなさい、お食事中に」

 「いえいえ、またどこかでお会いできればいいですね」

 カルナと男性との会話はそれで終わった。カルナはさらに手を伸ばし、男性も少女との会話に戻った。

 「どうしたんだ、なんかやけに親しそうに話しかけていたけど」

 先に食事を終えた男性と少女とが席を立ってから、バルドが口を開いた。

 「え、あの錬金術師の見習いとかいう人のこと?」

 「ああ」

 バルドはうなずく。

 「いや、別になんでもないけど」

 そう言いつつも、カルナは二人が去った方へ目を向けた。もちろん、既に二人の姿はなく、カルナはあきらめたように視線を戻した。

 「そんな気になるような奴か?普通に旅行しているだけだろ」

 料理を口に詰めたまま話すバルドにカルナは顔をしかめる。

 「私にとっては、口に食べ物をいっぱいにして話しかけるそっちの方が気になるけどね」

 もっとも、バルドはそんなカルナの言葉など気にした様子はない。追加で料理を注文し、カルナの顔をさらにしかめさせた。

 「そっちが食い終わるより早く食い終わったんだからいいじゃないか」

 「金を出すのはこっちよ。遠慮もないんだから」

 「どうせその分は総統府持ちじゃないか」

 相変わらずバルドの口は減らない。カルナはうんざりした様子で、バルドが食べ終わるのを待たずに立ち上がった。バルドも慌てて残った料理を口に押し込んで腰を上げた。

 急いだおかげでテフェカスの街に到着したのはまだ日の暮れる前だった。

 「そんなに急ぐことはなかったじゃないか。街区管理官がちゃんと出入りを監視しているじゃないか」

 バルドの言うとおり、高い煉瓦の壁に造られた街の入口では、街区管理官が出入りする人を誰とを構わず誰何していた。

 「ま、ちゃんと仕事をしていればなんだけど……」

 「おい、そこの二人組。ちょっと待つんだ!」

 そう言って、人ごみの間をすり抜けようとしたカルナとバルドを一人の街区管理官が大きな声で呼び止める。

 「ちっ、なんだよ」

 「ちょっと、やめなさい」

 街区管理官に食ってかかろうとするバルドをカルナが抑える。

 「何だ、魔導士と剣士か。何か身分を証明するものはないのか」

 「……こいつ、主席公認魔導士に向かって……」

 「やめなさいってば、バルド」

 カルナは、なおも不満げな顔を見せるバルドを左手で抑える。

 「ごめんなさいね、通るときにはちゃんと身分を明らかにしないといけなかったわよね」

 そして、カルナは右手につけた主席公認魔導士を示すアメジストの指輪を、なんでもないような様子で街区管理官に示した。小さな指輪ではあったが、紫の色は吸い込まれそうなほどに深かった。

 必要以上にへりくだったカルナの言葉に、一瞬だけ怪訝な表情を見せた街区管理官の顔がたちまちのうちに青くなる。

 「大変失礼いたしました。主席公認魔導士とは存じ上げませんで」

 「結構なことよ、仕事熱心なのは。ただし、もう少し声をかける相手には注意を払ったほうがいいわね」

 真っ青な顔をした街区管理官は何度も謝罪を繰り返したが、皮肉を込めたカルナの態度は最後まで変わらなかった。

 「まったく、主席公認魔導士の顔も知らないとは、総統に言ってやろうか」

 「余計なことはしなくていいの、バルド」

 後ろを振り返りながらまだバルドはぶつくさと言っていた。そんなバルドをカルナが鋭い声でたしなめる。

 「あんな下っ端の役人のことなんかほっときなさいよ。こっちはもっと大事な仕事があるでしょ」

 「わかったよ」

 不承不承といった様子のバルドはそう言いながらも何度も後ろを振り向く。もっともこれはバルドの演技でしかない。このような態度を作らないといつまでもカルナの機嫌が悪いことをバルドは知っていたが故の演技だった。

 ただ、今日はその演技は必要なかったかもしれない。カルナの公認魔道士の制服を見て、街中で遊んでいた子供たちが駆け寄ってきてまとわりつく。

 「魔道士だぞ、魔道士」

 「ただの魔道士じゃなんだぞ、公認とかいう魔道士なんだぞ」

 「その公認とかいうのはすごいのか?」

 「あたりまえだぞ」

 そう言って自分のことでもないのに胸を張った男の子だったが、何がすごいのかを聞かれると口をもごもごさせるだけだった。

 「はいはい、ちょっとお姉さん仕事だからちょっとどいてね」

 カルナの評判は子供たちにも伝わっている。どこの街に行っても、このように取り囲まれるのは珍しいことではない。険しかったカルナの顔が緩む。

 「こら、男子。魔道士の人が困っているじゃない」

 そして、カルナを取り囲む男の子たちを、遠巻きに眺める女の子たちが注意するのもいつものことである。

 「それより魔法見せてよ」

 「そうだ、魔法、すごいんでしょ」

 もちろん、男の子たちはそんなことを聞く耳を持たず、逆にカルナに魔法を見せてくれるようせがむ始末である。

 「だから、魔道士の人が困っているって言っているでしょ」

 もっとも、そう言ってたしなめる女の子のほうも興味津々といった目で目でカルナを見ている。

 「それじゃあ、少しだけね」

 そう言ってカルナはもったいぶった様子で自分の手の平を上に向け、トネリコの杖をかざす。簡単な炎魔法に呪文もいらない。小さな炎が手の平の上に現れた。

 子供たちの視線を集めておいてから、トネリコの杖の先端で右手の先を指し示す。子供たちの視線が集まったところで、今度はつむじ風が巻き起こった。

 つむじ風はトネリコの杖の動きに合わせて、カルナを取り囲む子供たちの周りを一周する。息をするのも忘れたように、子供たちの目はその動きを追っていた。

 「すごいなあ」

 「お姉さん、かっこいい」

 「はじめて見たぞ、こんなの

 子供たちは口々に賞賛の声を上げる。その中で、最年長らしき一人の子供は腕を組んで口をわざとらしく曲げていた。

 「なんだ、魔法なんてこんなものか。もっとすごいのかと思っていた」

 男の子はそう言って肩をすくめる。

 一端の口を叩くこのような子供も、どこに行ってもいるものである。カルナも慣れたものであり、この程度で腹を立てることはない。

 「何言っているの、せっかく見せてくれたのに。誤りなさい」

 そう言う女の子を片手で押さえ、カルナは男の子に向き直る。

 「それじゃあ、別の魔法を見せてあげましょうか」

 カルナはトネリコの杖の先を男の子に向ける。相変わらず口を曲げたままの男の子の背後に雷が落ちたのは、ほんのわずかの時間の後だった。

 小さな雷でも、音は大きい。まして耳障りな雷鳴となれば、小さな子供たちでは驚かないほうがおかしい。さらに加えて、周囲が太陽の光よりも明るい光に包まれたとなれば、である。

 「ごめんなさいね、ちょっとびっくりさせちゃったかしら」

 まだ口や目を丸くしている子供たちを残し、カルナは歩き出す。

 「カルナ、やりすぎじゃないか」

 追いついたバルドがカルナの耳元で囁いた。

 「これぐらいやれば、あの男の子も魔法の偉大さをわかったでしょう」

 「そりゃあ、そうだけど」

 バルドは後ろを振り向くが、曲がり角の向こうの子供たちはもう見えない。

 「これこそ、カルナが嫌っていた見世物扱いの魔法、じゃないか」

 「確かにそうかもね」

 カルナは足を止めることなく答える。

 「だけど、これで一人でも魔法に興味を持ってくれるのであれば、私は見世物でもなんでもやってやるわ」

 それはバルドにと言うより、自分に言い聞かせているようでもあった。

 やがて道は街の中心に入っていく。道行く人も多くなり、賑やかな声があちこちから聞こえる。だが、そこには先ほどのカルナを歓迎する雰囲気はどこにもない。

 それもそうであろう。たとえどんなに厳しい緘口令を敷いていたとしても、政府倉庫から金貨が盗難にあうなどという大きな事件を知らない人がいるわけがない。さらに、これまでに数々の事件を解決してきた主席公認魔道士ですら、この事件の解決への道筋を見出せていないのである。

 街のそこかしこでは不安そうな表情で顔を寄せ合いながら噂話に興じる人々がいた。ちらちらと投げかけられる視線が、たとえそのつもりがないものだとしても、まるで自分を非難するようなものであるようにカルナには感じられた。そこには、先ほどの子供たちが見せてくれた暖かい雰囲気はどこにもなかった。

 二人は急ぎ足で石の敷き詰められた道を歩いた。長い年月を経て石の表面は鏡のように磨き上げられている。二人の足音は周囲の建物に高く響いた。

 テフェカスの郡庁舎は街の中心部にある。日干し煉瓦をふんだんに使った郡庁舎は、その色と他の建物を圧倒するような高さとあいまって、俗に『赤い城』とテフェカスの住民からは呼ばれていた。門の左右に立つ衛兵の武装も、事件があったためか、まるで最前線にいるような重装備である。その点でも郡庁舎は城のように見えた。

 さすがに衛兵は二人の姿を見るとさっと敬礼の姿勢をとる。カルナは軽く返礼をし、中に入った。

 郡庁舎の中にひんやりとした空気が漂っているのは単に季節が冬であるためだけではないだろう。無表情ですれちがう吏員もどこか二人に冷たい視線を向けているようであった。

 「郡長さん、いらっしゃいます!?」

 カルナが扉の開いていた会議室に許しも得ずに入る。中では数人の男が長い木の机に額を寄せ合って座っていた。そのうちの最年長の一人がゆらりと立ち上がった。

 「ああ、カルナさんですか。主席公認魔導士でいらっしゃる」

 郡長は深刻そうな顔のまま腰を折る。小さな窓から入る光が郡長の顔に深い陰影を作った。

 「遠いところをわざわざお疲れ様です。カルナさんがいらっしゃったからには、もうこの事件も解決でしょう」

 慇懃な言葉遣いにどこか皮肉が混じる。カルナの顔を見てもまったく表情を変えなかったことも、カルナへの期待などしていないことが明らかだった。

 「ええそうよ、私がこの事件を必ず解決します。ご心配なく」

 皮肉には皮肉で返し、男たちをかきわけるようにしてカルナは郡長の前に立った。机を挟んでカルナと郡長が向かい合う。

 「事件の概要については、すでに話を聞いています。さっそく事件の現場を見てみたいので、どなたか案内していただけます?」

 カルナはそう言ってぐるりと周囲を見回す。

 「……」

 だが、どこからも返事はない。お互いに顔を見合わせながら、ちらちらとカルナの顔をうかがうだけである。

 「誰かいないんですか?そんな悩むことではないでしょう?」

 「いや、案内してもよろしいのですけど」

 郡長が答えにくそうに言う。

 「まだ、近衛兵が倉庫の中を調べている最中なんですよ」

 「ということは……」

 「ええ、近衛兵が調べ終わるまでは誰も入れないんですよ」

 それはカルナも知っている。国内事件の調査権が与えられているといっても、優先されるのは近衛兵の調査権である。カルナが調査を始めることできるのは近衛兵の許可が出てからであるが、自分たちで手柄を立てたい近衛兵がすぐに許可を出すわけがない。自分たちの調査が終わってから、体裁を整えるため形だけの許可を出すのが常である。

 カルナは腕を組んだ。近衛兵の調査が終わるまではしばらくかかりそうである。

 「おそらく許可が出るのは早くても明日にはなりそうですが……」

 郡長はカルナの内心を読んだように言う。

 「わかったわ。それまで待つしかないわね」

 こればかりは規則で決まっている以上、仕方がない。

 「よろしければ宿をご紹介しましょうか」

 特に断る理由もなかった。カルナはうなずいた。

 郡長が用意してくれた宿はこの街でもっともいい宿とのことであったが、決して大きくはないテフェカスでは宿の水準も知れたものである。木製のきしむ階段を昇った先にあったのは、天井の低い薄暗い客室だった。

 「これでいちばんいい部屋なのかよ。本当なのか、他の客室ものぞいてくるか」

 バルドは腰に手を当てて客室の中を見回す。

 「やめなさい、バルド。郡長に迷惑がかかるじゃないの。それとバルドは西側の部屋を使ってね」

 部屋で魔法を使うから私は広い東の部屋を使うね、と言いつつカルナは右手の部屋を指差す。その部屋を見るまでもなく、バルドは肩をすくめてカルナに背を向けた。

 「こんな客室などでゆっくりできるか。俺は夕食に行ってくるぞ」

 「ほら、どうせこうなるんでしょ。だったらどんな客室だって同じじゃない」

 そのカルナの言葉を最後まで聞くことなく、バルドは夕闇が包みつつある街へと出かけていってしまった。カルナは首を振って椅子に腰を下ろした。

 客室の中もすっかり暗くなっている。カルナは机の上の置かれたランプに向かって指を振った。

 音もなくランプの芯から炎が上がり、周囲がぼんやりと明るくなる。子供たちの前では魔道士らしくトネリコの杖を振って見せたが、本来ならこの程度の魔法であれば杖の助けを借りるまでもない。次にカルナは暖炉へ体を向ける。

 さすがにこちらは指先だけでは無理であるものの、トネリコの杖を軽く一振りしただけで暖炉の中に積まれていた太い薪はたちまちのうちに燃え上がった。

 だがその炎は不意に大きく揺れる。炎は暖炉の口から大きく広がり、近くの椅子に燃え移りそうになった。あわててカルナは逆向きに杖を振り、炎を小さくする。

 幸いなことに炎はそれで収まり、しばらく後には暖炉には何事もなかったかのように穏やかな炎が揺らめいていた。カルナは小さくため息をつく。心の乱れが魔法にも現れてしまっていたのである。まったく、自分らしくない。

 「何をやっているんだろう、私は。バルドに八つ当たりもしてしまうし……」

 頭を横に振ったカルナはもう一度小さくため息をついた。

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