第2話

 満月を隠す雲ひとつなかった昨夜のように、翌日も朝から好天に恵まれた。キール共和国総統府では、太陽が昇るにしたがって、出勤する役人の群れで次第にあわただしい空気に包まれ始めた。

 ほとんどの役人は肩幅の広い黒い法服を着用しており、加えて役人特有の鉄仮面のような表情である。押し黙ったまま歩く彼らの姿は重苦しい空気も作り出していた。

 その中をカルナは足早に歩いていた。赤の原色の外套に、足首までを隠そうかという長さの藍色の服、それに茶色の長い靴を履いているカルナは、黒い人の群れの中では小柄な身長にもかかわらず浮き上がるように目立っていた。

 赤い外套も、藍色の長い服も、奇妙に見えたとしてもやむをえなかった。それはキール共和国における主席公認魔導士の制服だからであった。もっとも、右手に持つ背より高い細長いトネリコの杖があれば、主席公認魔道士であることは周囲に知らしめることはできたのであるが、それでもカルナは制服を隙なく着こなしていた。

 カルナは遅い足取りの役人の間を抜けるように足早に歩いた。石畳の道にカルナの足音が高く響く。その音に役人はあわてて道を開けた。

 総統府の背の高い門には、見る人を威圧するような威厳のある彫刻がなされている。脇では長い剣を腰に差した衛視が二人、身じろぎもせずに周囲へ視線を走らせていた。

 だが、カルナは臆することもなく門をくぐった。胸を張って歩くその姿には、まだ十代とは思えない威厳がすでに備わっている。もっとも、後ろで無造作にひとつにまとめた長い髪に、カルナがまだ少女と呼ぶべき年齢であることもうかがえた。

 「おい、カルナ、遅いじゃないか。今日は総統への月例報告の日だろ」

 上空から声が降ってくる。反射的にカルナは足を止めた。

 「何言っているのよ、バルド。そう言うあなただって遅いじゃない」

 見上げたカルナのやや上に、ティアと同じような背中に翼のある人間が浮かんでいる。ただ、大柄な男性であること、それに何より翼の色が闇夜を思い起こさせるような黒い色であることがティアと異なっていた。

 「なに、俺にはこの翼があるからあとひとっ飛びさ」

 そう言いつつバルドは翼を羽ばたかせた。上下とも翼にあわせたような黒い服だったが、それは制服でも何でもなく、ただバルドが服装など無頓着な性格の持ち主であることを示していただけだった。それでも腰に下げられた剣はきちんと手入れがなされており、剣士としての本分は忘れていないようだった。

 「バルド、そもそも剣舞披露大会優勝者のあなたは、総統から主席公認魔導士の護衛を委任されているでしょ。護衛が対象者より遅く来てどうするのよ」

 と言いつつも、主席公認魔導士である私は護衛なんていなくても大丈夫だけどね、とカルナは胸を張りつつ付け加えた。

 「あーはいはい」

 これまでに何度も聞かされたカルナの言葉に、バルドは適当に返事をする。

 「それより早く行って月例報告の準備をしなくて大丈夫なの?どうせまだ準備をしていないんでしょ」

 「わかっているって。だいたい、襲われるようなことがなかったから特に報告することはないし」

 だいたい、俺がいるとなれば盗賊だって襲ってくるわけがないんだよ、とバルドは言い残し、空に飛びあがった。風圧に土埃が舞い上がり、反射的にカルナは顔を背ける。

 「護衛が先に行ってどうするのよ……」

 頭に降りかかった土埃を払ったカルナはため息をつく。だが、自分がどこへ向かっていたのかを思い出すと、あわてて再び歩き出した。

 「それではこれが今日の月例報告をまとめたものになります。主席の報告書が締め切りを過ぎておりましたので、いちばん最後になってしまいましたが」

 総統府の主席公認魔導士室で、補佐官は分厚い紙の束をカルナに手渡す。机の向こうのカルナは座ったまま書類を受け取った。

 「……だけど報告するのは私が最初なのね」

 「はい、なにぶん主席が手がけている事件は総統が重大だと判断しておりますので、特に報告を求めております」

 「そう……」

 「それでは、時間になりましたらよろしくお願いします」

 補佐官は一礼して部屋から退出する。カルナは大きく息を吐いて椅子の背もたれに体を預けた。

 歴代の主席公認魔導士が座った大きな椅子はカルナの体がすっぽりと収まってしまうほど大きい。目の前の机も使われた長い年月を示すような黒光りを放っている。カルナは大きく息を吐いて椅子に沈みかけた体を起こすと、机の上に広げた書類をかき集め、席を立った。

 主席公認魔道士室より広く、天井の高い総統室の中で総統は一人で机の前に座っていた。カルナが部屋に入ると、身振りで椅子に座るよう促した。

 「すみません、遅くなりまして」

 「ああ、気にしなくていい。それでは月例報告を始めてもらおうか」

 白髪の総統はカルナから見れば父はおろか、祖父とも言えるほど年齢が離れている。初めの頃は緊張したものだったが、今となっては昔のように口を噛むことはない。だが、今日はいつものように滑らかに口は動かなかった。

 「私の報告事項は例の事件についてです」

 例の事件、だけで総統はうなずいた。

 「セサンの事件のことだね」

 「はい」

 総統の言ったセサンの事件とは、大陸南部の港町セサンにある政府倉庫で、夜中に金貨が盗難にあった事件であった。

 セサンの街は大騒ぎになった。セサンは外国との貿易の中心地である。金貨が不足したことにより交易は途絶え、街は大混乱に陥った。混乱は他の街よりかき集められた金貨が届き、ようやく交易が再開されるまで続いた。

 「で、その後のことだが」

 「……申し訳ありません」

 カルナは頭を下げる。

 ただの盗難事件、それがセサンでの第一報を聞いたときのカルナの見立てだった。現地の護民官が困惑した表情で、やってきたカルナを迎えた時も、すぐに解決してみせると大口を叩いたぐらいだった。だが、すぐにカルナも同じように困惑することになった。

 金貨が盗まれたと言う倉庫の扉に異常は見当たらず、無理やり開けた形跡などもない。さらに誰も物音ひとつ聞いておらず、侵入者の足跡も見つからなかった。

 さらに、倉庫には銀貨も混在して保管していたにもかかわらず、金貨だけが選ばれるように盗まれていた。それに何よりカルナが首をひねったのは、金貨の代わりに黄銅の硬貨が残されていたことである。

 護民官によると、残されていた黄銅の硬貨は金貨とまったく同数だということだった。盗むだけでなく、代わりの硬貨を残していくという行為に、どのような意味があるのかカルナにはさっぱりわからなかった。

 手がかりの一つすらまったく見つけることができずに戻ってきたカルナの耳に飛び込んできたのは、中部のポカラサで発生した同様の事件であった。さらに一ヶ月後には西部のバガレーでいずれも同じように政府倉庫の金貨が盗まれるという事件が発生した。

 いずれもポカラサの事件と同じような事件であった。対象が政府倉庫の金庫、盗難の痕跡はなし、目撃者もなし。 ただ異なっていたのが、ポカラサでは残されていたのが銀貨であったこと、バガレーでは鉄貨であったことであった。

 「いや、君を責めるつもりはない。これまでに数々の難事件を解決してきた君だ。これはよっぽどの事件なんだろう」

 「……」

 「引き続きよろしく頼むよ」

 「……はい」

 総統の視線はじっとカルナに向けられている。混沌とした政治の世界を生き抜いてきた総統であったが、その誠実だと言われる性格は、視線だけでわかった。カルナは射すくめられる思いで頭を下げた。

 立ち上がったカルナはもう一度頭を下げ、総統室を出る。後ろ手に扉を閉めると、一気に疲労が押し寄せてきたような気がし、カルナは廊下の壁に背中を預け、大きく息を吐いた。

 「よお、もう報告は終わったのか?」

 暗い廊下の向こうからかけられた低い声にカルナはあわてて身を起こす。

 「なんだ、バルド。あなただったの」

 カルナの前にのっそりと現れたのはバルドだった。

 「まったくびっくりさせないでよ」

 「おいおい、勝手に驚いて、さらには他人に八つ当たりかよ」

 バルドはあきれたように肩をすくめる。

 「それより、なんであなたがここに?」

 「そりゃあ、次が俺の報告の順番だからに決まっているじゃないか」

 「あ、そうだったっけ?」

 「おいおい、報告の順番も把握していなかったのかよ」

 「……まあ、自分の報告だけで頭がいっぱいだったからね」

 カルナは急に弱気な口調になった。その変化の理由を察したバルドは、カルナに向けていた視線を黙って外す。

 急に静けさが戻った廊下に、今度は別の声が響いた。

 「ご無沙汰してます。お二人とも」

 暗がりから現れたのは中年の男だった。太った腹を抱え、ゆっくりと二人に近づいてくる。

 「ご無沙汰しています」

 カルナは男に頭を下げる。

 「おい、誰だったっけ」

 見覚えのない顔に、バルドはカルナにそっと耳打ちをした。

 「冶金師同業連合のバルアシンよ」

 カルナは軽く睨みつけながらバルドにささやく。

 「いや、いいんですよ。私の名前などお忘れになってしまっても。カルナさんのような活躍をしてませんからねえ。私は」

 冗談めかした言い方だったが、バルアシンの顔は笑っていなかった。

 「本当にカルナさんはすばらしい。最年少公認魔道士でいながら、数々の難事件を解決していらっしゃいますから。市民からの評判も高い。理想的な国家運営審議員ですよ」

 いや、正確には笑みらしきものはあるのだが、それは決して笑みではなかった。

 「……お褒めの言葉をありがとうございます」

 答えるカルナの顔にも笑みはない。二人の間に剣呑とした空気が広がる。

 「だけどね、カルナさん。我々は国家運営審議員なんですよ」

 そんな緊張感を逆に楽しむように、バルアシンは顎鬚に手をやりながらのんびりと言う。

 「国家の行く末を見据え、進む方向を指し示すのが我々の仕事、それを忘れちゃあいけませんよ」

 「ええ、それは当然存じ上げております」

 カルナも慇懃めいた口調で答えるが、実際のところはそうではないのは隣で聞いているバルドにも明らかだった。

 「ただですね、最近は総統直属の近衛隊の専決事項にまで手を広げていらっしゃるとか」

 「それは……」

 「定例報告の準備をしなくてはいけないので、私はこのへんで。それじゃ」

 カルナの言葉をさえぎり、バルアシンは片手を上げて背を向けた。

 「何が言いたかったんだ?あの、バルアシンとかいう奴は」

 バルアシンの消えた廊下の方を見やりながらバルドが言う。

 「要は、私が目立っているのが面白くないんでしょ。だからああいったことを言う」

 カルナはそう言って肩をすくめた。

 「あんなこと言うぐらいなら、冶金師同業連合で錬金術のようなことでもすればいいのに。そうすれば少しは目立つだろうから」

 「だけど、あの太りっぷりだとまともに作業なんかできそうもないぞ」

 「そう、だから審議員となって座っている仕事しかできない」

 「それ以前に、錬金術の類に手を出したら錬金術師連盟が黙ってないだろう」

 「何のための審議員?そういったことを調整するのが仕事でしょ。私になんか絡んでいないで」

 「次の報告者は準備をお願いします」

 カルナがそこまで言ったところで、バルドに声がかけられた。

 「そうか、もう俺は行かないと」

 「頑張ってね」

 バルドは片手を上げてその言葉に応え、総統室へ向かう。カルナは、バルドの姿が総統室の中に消えたのを確認したてから再び歩き出した。

 「おつかれさまでした」

 主席公認魔導士室に戻ったカルナに補佐官が声をかける。

 「どうでした。総統は何かおっしゃっていましたか?」

 「まあ、よろしく頼むよ、だって」

 カルナは椅子の背もたれに体を預けながら力なく言った。

 「そうですか」

 もっとも、補佐官のほうはそんなカルナを見ても、あくまでも淡々とした様子で手元の書類をめくっているだけである。そのうちの一枚に目を止めた補佐官が顔を上げた。

 「ところで、面会の方がお待ちなんですが」

 「面会?そんな予定あったっけ?」

 カルナは首を傾げた。

 「いえ、お約束はないのですが……」

 今日は精神的な疲れで体が重い。約束もないのに人に会いたいとは思えない。適当な理由をつけて断っておいて、と言おうとしたカルナに補佐官は続けた。

 「メリデ、と名乗る方なんですが……」

 「……!」

 その名前を聞いたカルナは、はっと息をのむ。同時に胸に小さな痛みが襲った。

 メリデは、初級学校そして上級学校に通っていた頃のカルナの友人であった。家が近いこともあって、いつも勉強などをお互いに教えあったりしたおかげか、常に二人の成績は上位に位置していた。特に魔法の成績は抜群で、伝統あるレナバス魔導士学院への入学はともに約束されているだろうというのが、周囲の評判だった。

 レナバス魔導士学院を卒業すれば、魔導士としての輝かしい未来は決まったようなものである。入学試験は確かに難しかったが、カルナは自分のが合格を信じて疑わなかった。そして、自分が歩むはずの未来までもを頭の中に思い描いていた。

 だから、合格者を張り出した掲示板にカルナの名前がなく、メリデの名前だけが見つかったとき、カルナは何か夢の中にいるのではないかと、しばらくその場に立ち尽くしていた。それが夢でも見間違えでもなんでもなく、本当に自分が不合格だったことを理解したのは、隣にいたメリデがカルナの顔を気の毒そうに覗き込んだときだった。

 「大丈夫?なんか顔、青いけど」

 カルナの目の前は真っ暗だった。

 その後、カルナはベオロル魔導士学園に進んだ。しかし、卒業すれば自動的に魔導士の資格を取得できるレナバス魔導士学院とは違い、ベオロル魔導士学園は国家試験を受験してようやく資格を得られる。それだけ世間からはベオロル魔導士学園は格下に見られるということである。

 何よりカルナにとって耐えられなかったのは、周囲の学生の質だった。同級生は魔法を満足に使えないような学生ばかり。魔法を使えたとしても、違法に使用して魔導管理署の世話になる学生が多く、何か騒ぎがあるとすぐにベオロル魔導士学園の生徒かと見られるのが常であった。

 野暮ったい紺色のレナバス魔導士学院の制服だが、街で見かけるたびにカルナの目にはまぶしく映った。まぶしいぐらいだったらまだよかった。級友と並んで歩くメリデの姿を見つけたときは、反射的に横の小路に身を隠してしまった。懐かしい声が聞こえなくなるまで、カルナはじっと身を硬くしていた。

 どうしてこんなことをしているのだろう。昔のように声をかければいいのに。そう思いながらも、カルナの足は一歩も動かなかった。それ以来、カルナはメリデを見かけることはなかったのは、カルナにとっては残念ながら幸せなことだった。

 鬱々と毎日を送るだけのカルナの胸に一つの希望の光が灯ったのは、その年の終わりのことだった。共和国の独立記念日には、いつも首都キールの大通りで盛大なパレードが催される。そしてベオロル魔導士学園の学生もパレードに動員されて参加することになった。

 華やかなパレードでも、あいかわらずベオロル魔導士学園の学生は面倒くさそうな顔で歩いている。小旗もおざなりに振られるだけだった。そんな学生の間を歩く姿を恥じるように、カルナはうつむきながら歩いていた。

 不意に周囲で歓声が上がる。どうやら総統の観閲席の前までやってきたらしい。顔を上げたカルナの目に手を振る総統の姿が映った。カルナの隣を歩いている生徒も興奮したように小旗を振っている。

 しかし、カルナの視線は別の人間に吸い寄せられていた。どこにでもいるような男性の総統ではなく、その隣に立つまだ若き女性であった。

 着ている赤い外套で女性が魔導士であることはわかったが、なぜ魔導士がそこにいるのかまではわからなかった。それも、総統の隣という高い地位を持つ人しか立てない場所に。

 決して背が高いわけではない。藍色のチュニック、赤い外套という取り合わせも、目に入ったときにはむしろ奇妙な印象を受けた。だが、それが故にかえってカルナに強い印象を植え付けた。

 「ねえ、総統の隣の人、誰?」

 カルナは横の眼鏡をかけた女子生徒に聞いた。

 「あの人?主席公認魔導士よ」

 女子生徒はこともなげに言った。眼鏡の向こうの瞳はあきれたようにカルナを見ている。

 「共和国の公認魔導士の中で最も実力がある、と魔導士協会によって選ばれるのが主席公認魔導士」

 そこまで一気に言ったところで女子生徒は言葉を切った。そして観閲席の方へ視線を向ける。

 「主席公認魔導士に選ばれれば、国家運営審議委員へ任命されたりする、国の運営に携わる、きわめて高い地位の魔導士よ。もしかしたら、そんなことも知らないの?」

 もっとも、ちょっと馬鹿にしたような最後の言葉はカルナには届いていなかった。自分が本当に目指すべきものがようやく見つかったと、そのことで頭が一杯だったからだった。

 主席公認魔導士になることによって得られる名誉は、レナバス魔導士学院に合格することによって得られる名声などとは比べ物にならないくらいに大きい。主席公認魔導士になれば、自分がいま抱いている劣等感は解消されるはずである。

 いや、劣等感云々のような小さな話ではない。主席公認魔導士は国会の内政に関われるのである。自分の力がどれだけ発揮できるのか、想像しただけで身震いがするようであった。

 さらに、それにより魔導士の地位が向上するのであれば、もう何も言うことはない。平和な時代が続き、すっかり影が薄くなってしまった魔法は、最近はただの見世物のような扱いも受けることが多い。その魔法を扱う魔導士の地位を、かつてのように日の当たる場所にまで引き上げること、その使命までがカルナには見えていた。

 それからのカルナはさらに魔法の勉強に力を入れた。休み時間も魔導書を広げ、放課後は図書館にこもりっきりになった。ほとんど利用されることのない図書館はいつも湿ったような臭いが漂っていたが、主席公認魔導士が自分の目指すべきものだと決めたカルナにはそのようなことなど気にならなかった。

 始めのうちはそんなカルナのことを同級生もからかったりもしていた。しかし、何を言ってもカルナが取り合わなかったり、無視するカルナをさらにからかった生徒が鼻の前に火の球を作られたりしたことがあったため、いつの間にかそんなこともなくなっていた。

 周囲との会話もなくなり、少なかった友人もいつの間にか離れていった。カルナが気にしなかったわけではない。しかし、あの主席公認魔導士の制服を着る日を想像すると、そのようなことはほんの些細なことに思われた

 図書館の本を読み尽したカルナは、次は共和国魔導資料館まで足を伸ばした。薄暗い倉庫の中で魔導書を側に積み上げ、一行たりとも読み落とすことないように頁をめくる。中に誰もいないことをいいことに、覚えたての魔法をこっそりと試したりもしたが、一度も失敗することはなく、とがめられることはなかった。

 そして、その年の終わりに行われた公認魔導士の筆記試験にはカルナの姿があった。難関の試験だけに何度も受験を繰り返したような風格の入った魔導士や、不安な表情を隠そうともしない若い魔導士もいる。しかし、その中でもカルナの若さは目立っていた。

 カルナにとって筆記試験はやさしいぐらいであった。時間が余って仕方がなかったが、隣で頭を抱えている父親ぐらいの年齢の魔導士を見て、残った時間は自分も頭を抱えていることにした。

 かつての記憶がまだ生々しく頭の中に残っていたカルナはさすがに慎重だったが、合格発表の掲示板にあった自分の受験番号は、今回こそ間違いなく確認した。

 二次試験は実技試験である。しかし、カルナの実技試験はあっさりと終了を告げられた。その様子を見ていた他の受験者の中には、せせら笑いを隠そうとしないものもいた。

 だが、逆にカルナはこの時に自分の合格を確信していた。試験官が途中で止めたのは、それ以上カルナの実力を見る必要がなかったということを意味していると、カルナはわかっていたからだった。

 公認魔導士に選ばれるのは決して多い数ではない。レナバス魔導士学院に合格するよりもはるかに難しいことである。本来ならば合格を告げられたときにもっと喜んでも良いはずであった。しかし、カルナにはそれほどの喜びはなかった。むしろ肩の荷を下ろしたような、どこかさめた目で自分を見ていたのも事実だった。

 そのためか認証式での神妙な顔が、年齢の割に落ち着いており、さすが最年少の公認魔導士だ、と評判だったらしい。カルナは特にそれを否定することもなかったが、そうかといってその評判を利用することもなく、それがかえってカルナの評判を高めることにもなった。

 そして、このようなカルナが主席公認魔導士に選ばれるのもある意味必然の流れだった。ちょうど錬金術連盟と同じような構造の、主流派と反主流派との対立に揺れていた魔導士協会としては、カルナはその対立をとりあえず棚上げするための格好の候補者だったし、漏れ聞こえる対立の噂に辟易していた市民としても、史上最年少の公認魔導士という新鮮なカルナの存在は歓迎すべきものだった。

 もちろん、カルナは主席公認魔導士が何の権力を持たない、ただの名誉職にしか過ぎないことをその頃には知っていた。魔導士の証書交付式で感謝の意を述べられることがあっても、それはただの形式でしかない。過去の例に倣って用意された原稿を読み上げるだけである。そしてパレードのときに聞いた国家運営審議会への出席も、意見すら求められることのない、ただの数合わせの存在であることもまもなく知ることになった。

 だが、長年の鬱屈した感情を抱えて生きてきたカルナが、笑顔で手を振るだけの行為で我慢するはずがない。規程や細則で定まっている主席公認魔導士の権利を文言どおりに要求し、審議会の事務局や総統府の職員にうんざりとされるようになるまで長い時間はかからなかった。

 その中の一つが国内事件の調査権だった。これまでは総統直属の近衛部隊にしか与えられていなかった調査権を自分にも要求したのである。

 当初は調査権の付与については反対論も多かったが、カルナが魔法の力を借りて次々に事件を解決するとやがてそのような声も収まっていった。ただ、自らの権威を侵食されたと感じた近衛部隊では、カルナへの反感もくすぶるようになった。目立つ活躍に一部の審議員も不快感を示した。

 もちろん、それに気がつかないほどカルナは鈍感ではない。しかし、カルナの心は揺るがなかった。自分の活躍が魔導士の地位向上、さらに共和国の平和につながっているとなれば、どうして非難されなければいけないのだろう。

 「……主席、主席」

 補佐官が呼ぶ声にカルナは我に返る。

 「あ、ごめんなさい。で、来客のことなんだけども」

 「お忙しいということでお断りしましょうか?」

 「いいえ、通してちょうだい」

 わかりました、と補佐官は頭を下げ、部屋を出た。

 メリデはそれから教師となって共和国の中でも辺境の地で教えていると噂で聞いている。本来ならばカルナの地位にはメリデがいてもおかしくないはずの実力を持ちながら、本当であればなぜそんな仕事に就いたのかいつか聞きたいとは思っていたが、結局聞く機会は持てずじまいのままだった。

 積もる話はたくさんある。しかし、メリデに対しては複雑な感情を抱いているのも事実である。何から話そうか、と思う間もなく、再び扉が開いた。

 「……メリデ」

 扉の向こうから現れたメリデは昔とまったく変わっていなかった。服装こそは教師らしい地味な服装であったものの、あの頃はまだあった幼さが顔から消えた分、聡明さがより際立っているように見えた。

 「カルナ、久しぶり」

 そして胸の前で手を振るしぐさ、それは自然に出たのか、それともカルナに当時の記憶を呼び覚ますためにあえて行ったのかはわからないが、それも昔と同じだった。

 「メリデこそ久しぶり。元気だった?」

 「うん、カルナも元気そうでよかった」

 メリデはそう言って、微笑を浮かべながら主席公認魔導士室をぐるりと見回した。

 「すごいね、カルナ。主席公認魔導士になんかになっちゃって」

 「いや、それほどでも……」

 自分が主席公認魔導士になった経緯を考えれば、それほど人に自慢できるようなものではない。

 「まあ、立ち話もあれだから……」

 カルナは言葉を濁しながら、部屋の隅の椅子にメリデを導こうとした。

 「……」

 だが、メリデはその場に立ったまま動こうとしない。

 「どうしたの?座ってお話しない?」

 それでもメリデの足は止まったままだった。いつの間にか顔からは微笑みが消えていた。

 「……カルナ、変なことを聞くようだけど、最近身の回りで変なことがあったりしなかった?」

 「え……変なこと?」

 「うん、変なこと」

 要領を得ないメリデの話にカルナは首を傾げた。

 「ちょっと思いつかないけど……変なことってどんなこと?」

 「ほら、カルナは主席公認魔導士として活躍しているじゃない。だから、それに関係して……」

 「まあ、それだったらあるかもしれないわね」

 それならカルナにも心当たりはある。さっきのバルアシンがそれだ。だが、バルシアンのように目に見える態度を示す者ばかりではない。

 審議会の演壇というのは、意外に聴衆者がよく見えるものである。カルナが発言している最中、ずっと湿ったような目で見ている審議員は何人もいる。目覚ましい実績を上げたカルナの存在は、職能団体内部の政治的活動だけで生き残っている審議員から見れば疎ましくて仕方がないであろう。そのくらいはカルナにもわかる。

 「他にも、近衛隊だって自分の権限を侵害されたって思っていることは知っている。だけど、彼らに何ができるっていうの。できるのはせいぜい陰口を言うことぐらい。そんなの言わせておけばいいのよ」

 カルナはそう言って胸を張ったが、メリデはまだ不安顔であった。

 「そう?本当にそれだけで済んでいるの?」

 「それだけって?」

 「そのように見られるだけじゃなくて……」

 メリデは何かを警戒するように、補佐官がいる控室の扉にちらちらと視線を向ける。

 「何?そんな恥ずかしいことを話したいの?」

 カルナが冗談めかして言ってもメリデは笑わない。

 「ええと……」

 「主席、そろそろ次の予定の時間ですが」

 だが、意を決したように話し始めたメリデの言葉は、再び姿を現した補佐官によってさえぎられた。

 「ごめんなさい、もう次の予定が入っているの」

 「こちらこそ突然にやってきてごめんなさい」

 「そんな、他人行儀に謝らないでよ。メリデだったらいつだって大歓迎だから、また来てよ」

 メリデは黙ってうなずくと、来た時と同じように胸の前で小さく手を振って部屋から姿を消した。

 「申し訳ありません。次も重要な会議ですので」

 少し不満げな顔をするカルナに補佐官が頭を下げる。

 「いいのよ。またすぐ会えると思うから」

 補佐官に軽く手を振ってから、カルナは椅子に深く腰掛けて大きく息を吐いた。

 それにしても、とカルナは思った。あれだけのことを言うために、メリデは首都までわざわざやってきたのだろうか。何かもっと別のことを言いたかったような気がする。特に最後の言いかけた後に伝えたかったことは難だったのだろうか。

 まあいい、次に会った時に聞けばいい。ただ、今度はきちんと面会の約束をしてもらわないと。

 だが、カルナの思考は、今度は使い走りの少年によって再び遮られることになった。扉を叩きもせずに飛び込んできた少年は、興奮した様子で補佐官に何事か伝えている。少年を小さくたしなめた補佐官だったが、話を聞いているうちに深刻そうな表情へ変わっていった。

 「どうしたの?何かあった?」

 「ええ、主席」

 補佐官はカルナが聞く前から既に振り向いていた。補佐官の眉間の皺の深さがカルナにいやな予感を起こさせる。

 「また発生しました」

 「何が?」

 一瞬、ためらったような間を置いてから補佐官が口を開く。

 「……金貨の盗難事件が」

 「なんですって!」

 カルナの叫び声が主席公認魔導士室に響いた。

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