第一章

憂鬱王女

「はぁ……やっと終わったぁ」


 盛大なため息を吐いて、ソファの上に崩れるように座り込んだ。

 その間にも沢山の召使達が次から次に運び込んでくる献上品の数々に、うんざりしたような目を向ける。


 どんなに綺麗な物を貰っても、普段から着飾る事をしない自分にはどれも不要なものばかり。髪留めなど使わないし、ドレスだってほとんど着る事はない。化粧も滅多な事ですることもないし、ヒールも履かない。


 子供の頃からずっとそうだったように、窮屈な物に囚われるのは嫌いだった。


「お疲れ様でしたわ」


 一通り荷物を運び終えた召使達が出て行くのと同時に、私の専属召使であるドリーが、部屋に脱ぎ捨ててあった衣服を拾いながら現れた。


「人前に出る事を相当嫌がっていたわりに、堂々としていたと思いますわ。ご立派に王女としての勤めを果たしたと言ってもいいですわね」

「褒められても嬉しくない。大体何なの? 来る人来る人、皆珍しい物を見るような目で私の事を見て。匂いのきつい香水も鼻をついて仕方がないし、ろくな事がないわ」


 そうだ。ろくな事がない。

 数奇な視線はもちろんだが、皆が皆つけているであろうキツイ香水の香り。

 彼らはそれを当然の嗜みであるかように体中に振りまいている。あんな匂いを至近距離で嗅がされたら、鼻がおかしくなってしまいそうだった。


 養父ちちもつけていない訳じゃないが、通り過ぎる時にわずかに香るぐらいのほんの微量しか使っていない。だから私も毛嫌いするほどではなかったし、むしろ養父のつける香りは大好きだった。


「今の今まで人前に出なかった姫君がようやくその姿を見せたのですから、そのお姿を拝見したいと思うのはごく普通の事ではありませんか」

「……私、お姫様なんかじゃないもの」

「何を言っていますの。レルム様とリリアナ様の娘である以上、マーヴェラ様はこのデルフォス王国の姫君ですわ。それに、そんな事を両陛下が聞いたらきっと悲しまれると思いますわ」


 少しばかりムッとしてそう言うドリーの言葉には、さすがに何も言えなくなる。

 二人に迷惑をかけたいわけじゃない。だが、それでもいつからか、二人に引け目を感じ始めている自分がいるのも確かだった。


 8年前に二人の間に実子が産まれても、血の繋がらない私にも分け隔てない愛情を持って育ててくれていることは身を持って感じている。何より、弟に当たるその子はとても可愛らしく、自分の事を深く慕ってくれている。そんな彼の事を妬んだりする事もなければ、疎ましく思う事もない。


 血の繋がりは関係なく今ある状況が全てであり、私はどんな身形であろうと彼らの家族の一員だ。

 そう思えばいいものを、私は年を重ねる毎に、そう考えられなくなっていた。


 ふと、自分の肩に流れる赤毛に視線を落とす。


 周りを見ても、自分と同じような赤毛で緋色の目をした者は誰一人としていない。

 城下町の人々を見てみても、今日来ていた多くの来賓客を見てみても、やはり自分のような髪や目をした人間はいなかった。


 なぜ自分は、他の人とはこんなに違うのだろうか?


「ひとまず着替えましょう。下着姿のままでは恥ずかしいですわよ」


 ドリーは悶々として黙り込んでしまった私をソファから立たせて着替えさせると、すぐにベッドに入るよう促してくる。


「さぁ、マーヴェラ様。もうじきお医者様が定期健診にいらっしゃいますから、ベッドにお入り下さい」

「また?」

「えぇ。これもマーヴェラ様の持病の様子を見るためですもの。ちゃんと受けて下さいませね」


 ドリーの笑みに肩を落とした。

 定期健診は時間が掛かって仕方がない。問診、触診から始まり、事細やかな検査が行われる。


 特に苦手なのが血液検査だ。細い針が腕に刺さり血を抜かれると思うと怖くてたまらない。

 検査の後の苦い薬も苦手だ。こんなにも元気だと言うのに、あんな美味しくない物を我慢してまで飲む必要があるだろうか?

 

 むくれた表情で仕方がなくベッドにもぐりこんだが、慣れない場所に出た事で疲れもあったのか次第にうとうとし始める。


 そろそろ夢を見そうだ。そう思っていた矢先に、ドアがノックされ現実に引き戻された。


「マーヴェラ様。体の具合はいかがですか?」


 黒いバッグを手に、白い法衣のような白衣を着て、鼻骨で止める鼻眼鏡と茶色い髪を一つに束ねた愛嬌のある男性が入ってくる。その彼の後ろからは彼の妻であり助手でもある女性がついて入ってきた。


 彼はここ10年の間に一気に名医としてその名を高めたゲーリ・ライジスと、その妻のマリーンだった。


 ここから国境を越えてずっと南に下った小さな村で、村医者として診療所を営んでいる彼だが、養母の指名で一週間に一度、こうして自分の主治医としてデルフォスを訪ねて来ている。


「別に……いつもと変わらないわ」


 シーツに埋もれながらそっけなくそう答えると、ゲーリは「そうですか。それは良かった」とにこやかに微笑みながらベッドサイドに用意されていた椅子に腰を下ろした。


「じゃあ、今日も体の様子を診て行きますからね。いつもと変わらないという事ですが、気になる事もありませんか?」

「ないわ。元気そのものよ」

「以前のような発作は?」

「ここしばらく出てないわ」

「めまいや吐き気もありませんか?」

「ないわ」


 淡々と続く問診を、助手でもあるマリーンがきちんとメモに控えていく。


「では、脈を測りますね」


 そう言いながら、ゲーリは私の手首に触れる。

 腕にはめられた精巧な造りの腕時計を見つめながら、脈の速さと触れがどうなっているかを静かに測っていた。

 そんな姿を見つめながら、ふと気になっていた事を呟いた。


「ねぇゲーリ先生。今日も血液検査やるの?」

「えぇやりますよ。月に一回、きちんとデータを取ってあなた様のご病気の原因が何なのかを突き止めなければなりませんから」


 手首から手を離し、マリーンに何事か報告して微笑む彼をじっと見つめ返す。


 そう言えばこの先生は昔、養母ははと暮らしていたと言っていた事がある。

 養母は、過去にあった世界大戦の折にこの城から一時的に逃がした事で行方不明になって、運良く先生の家に拾われたのだと。


 当時、養母は自分の素性を知らず、ゲーリ先生とは血の通った本当の家族だと思い込んでいたらしい。


 状況は違うけれど、今の私とかぶるところが無いわけじゃない。

 その話を興味本位に聞いてみたくなり、口を開いた。


「ゲーリ先生。一つ聞いてもいい?」

「はい、何でしょう」

「リーナと先生は血は繋がってなかったけど、昔一緒に家族として暮らしていたんでしょう?」


 リーナとは養母の愛称で、私は小さい時から彼女をこう呼んでいる。

 その質問に、ゲーリは目を僅かに見開いてからゆっくりと頷き返してきた。


「えぇ。そうですよ。それがどうしましたか?」

「リーナは先生と血が繋がってないって知って、どうしたの?」


 まさかそんな質問が来ると思っていなかっただけに、ゲーリ先生は困ったようにチラリとマリーンに目を向けた。


「そうですね……。かなり荒れていました。でも、自分が誰なのか真実を知ってからの決断はとても早かったです」

「決断て?」

「自分が居るべき場所へ行く、と言う決断ですよ」


 少し困ったように笑うゲーリ先生に、僅かに視線をそらし考える。

 自分が居るべき場所へ行く。養母にとってそれがここだったという事だ。

 ならば私にも、こことは別に居るべき場所があるのだろうか?


「……そんな事を聞いてくるなんて、何か悩み事ですか?」

「……」

「無理にとは言いませんけどね。もしも陛下に聞きづらい事で、私に話せることなら聞きますよ?」


 ゲーリ先生は持ってきていたカルテに症状を書き込みながらそう言うと、私はゆるゆると首を横に振り「今はいい」と短く返事を返した。

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