夜の訪問者

 痛い検査も苦い薬も飲み終えて誰も居なくなった室内で、ぼんやりとベッドに横たわっていた。


 窓から外を見れば、すっかり夜も更けて城の中は静まり返っている。

 月明かりが白々と地上を照らしている様子を見つめていると、ふとした瞬間リディルの事を思い出した。


 彼の住むトルバトス王国は、周りの国々からもあまり良い印象を持たれていないと聞いている。


 今回のパーティには一応招待状を出したとは言っていたが、養父たちは誰も来ないだろうと思っていたみたいだった。それが、彼はひっそりと人影に紛れるようにして来ていた。


 なぜ、彼はここに来ていたんだろうか?

 招待を受けたからには挨拶をするのが通常なのに、彼は挨拶をするわけでもなく遠巻きにこちらを見ていただけだった。


 不思議に思いながら、のそりと横たえていた体を起こして枕元のランプに火を灯した。

 体はとても疲れているはずなのに、何となく寝付けない。だから本でも読むつもりでランプを手に取り、サイドテーブルに置いてあった読みかけの本を持って、窓辺に腰をかけページを捲る。


 静かな室内にページを捲る音だけが一定の間隔で響いていく。


 まだ完全に読めない文字の勉強をする為にも、城の書庫から手頃な本を借りてきてはこうして読む事が習慣になっていた。


 この本は、魔物と呼ばれた青年と人間の少女の恋物語。かなり古い伝記として残されている物だが、興味だけはあった。

 二人が出会うまでの壮絶な人生と、始めはそりの合わなかった二人がいつしか惹かれあっていく……。


 そんな話につい夢中になって読み進めていると、カツン……と小さな音が耳に飛び込んできた。


「……?」


 不思議に思って顔を上げるが、それ以上音が続かない。


 気のせいだと思い、再び本に視線を戻すとまたカツン、と言う音が聞こえてくる。


 私は本をその場に置いてランプを持ち、寝室を出て隣の部屋へ移動してみた。すると、またカツンと何かがぶつかるような音が聞こえてくる。


 訝しい表情を浮かべてそちらに近づき、バルコニーへ続く窓を開けると冷たい夜風がサァッと吹き込んで、長い赤毛を後方へ浚う。


「やっぱり起きてた」


 ふと、バルコニーの下からそんな声が聞こえ驚いて下を覗き込んでみると、そこにはリディルがにこやかに微笑んで立っていた。


「……」


 彼の顔を見た瞬間の私の顔は、言いようも無いほど不機嫌なものになっていたに違いない。


 そもそもなぜここに彼がいて、この部屋が私の部屋だと知っているのか。そして真夜中の来訪。私がここで声を上げればすぐに衛兵が駆け付ける事ぐらい誰だって知っている事なのに、何を考えているのだろう。


 怪訝な顔で睨むように見下ろしている私の事などお構いなく、彼の表情はそれはそれは素晴らしいくらいの満面の笑みだった。 


「マーヴェラ、だったよね。本当に、噂に違わない美姫だ」

「……」


 流石は女性慣れしていると思わせる常套句。

 恥ずかしげも無くサラリとこちらを褒める彼に、私はますます不機嫌になった。


 人の事をバカにしてる。この人にかける言葉なんて何もないわ。


 ジロッと相手を睨みつけくるりと踵を返して部屋の中に帰ろうとすると、リディルは慌てて呼び止めてくる。


「あ、待って! 行かないでよ。君と話がしたいんだ」


 私は何も話すことはないのだけど。

 そう思いながら、チラリと視線だけを向けるとリディルはまたも嬉しそうに微笑んだ。


「……」


 よくよくオレンジ色の綺麗な瞳が柔和に弧を描くその笑顔を見ていると、不思議とパーティの時に謁見していた多くの男達とは全く違うものを感じる。

 なぜだろう。彼の視線は他の人たちから感じた、下心のような裏を含む感じがしない。それよりも、吸い込まれそうな勢いで引き寄せられそうになる。


 あの色……知ってる。


 なぜそう思ったのだろう。

 だからと言って彼に心を許すつもりは更々ない。こうして面と向かう事も初めてなのだ。警戒しない方が不自然じゃないだろうか。


 興味なくツンと顔を背けると、今度こそ部屋の中に戻っていく。そんな姿を見送りながら、リディルは後ろ頭を掻きながら短いため息を漏らした。


「やっぱイキナリは無理か……。仕方ない」


 そう言いながらその場を立ち去っていく彼の姿を、部屋の窓からこっそり見ながら深いため息を吐いた。


「信じられない。こんな夜更けに訪ねてくるなんて」


 彼のせいですっかり読書をする気分を削がれてしまった。これから面白くなっていくところだったのに。

 僅かに苛立ちを覚えながら寝室へ戻ると、閉じた本をサイドテーブルに置いてそのままベッドにもぐりこんだ。



                 *****



 翌朝。

 ドリーに起こされて目を覚まして身支度を整え食堂へ足を運ぶと、そこには席についていた養父と養母、そして二人の実子であるラディスがこちらを振り返った。


「あ、姉上! おはようございます!」

「おはよう、ラディス」


 愛くるしい表情で挨拶をしてくるラディスに、私もにこやかに微笑んで応えると彼の隣の席に腰を下ろした。

 そんな彼女を見ていたムーとリーナも、優しい笑みを浮かべて挨拶をしてくる。


「おはよう、マーヴェラ」

「おはよう、ムー」

「おはよう。昨日は疲れたでしょう? 良く寝れた?」

「おはよう、リーナ。あんまり寝れなかった」


 僅かにあくびをかみ殺しながらそう応えると、ムーのすぐ傍に立って今日の予定の最終確認をしていた大臣のバッファが軽く咳払いをしてくる。


「マーヴェラ殿下。おはようございます。これまでも何度か申し上げておりますが、両陛下はあなた様のお父上とお母上なのですから、名前で呼ぶのはおやめ下さい」

「私はどちらでも構わないが……」

「いいえレルム様。これは大事な事ですよ。甘やかしてはいけません」


 ぴしゃりと言って退けられたムーは、困ったように笑いながら「分かった」と短く返事を返す。

 それを見ていたリーナも同様に小さく肩をすぼめながら頷いていた。


「……あの、姉上。食事が終わったら、僕と遊んでくれませんか?」

「え? それは構わないけど……今日は何の予定もないの?」


 もじもじとしたように、こそっと耳打ちをしてくるラディスの言葉に目を瞬きながらそう聞き返すと、有無も言わさずリーナが口を挟んでくる。


「ラディス。あなたは食事が終わったら乗馬レッスンがあるでしょ? 駄目よ。サボっちゃ」

「……はい」


 上手く切り抜けられるとでも思っていたのだろうか。母に止められて、ラディスはしょんぼりと肩を落とした。

 そんな彼の姿を見てくすくすと笑っているとリーナが心配そうな目を向けてくる。


「それにしてもあんまり眠れ無かったって、大丈夫? 睡眠不足は体調に直接訴えてくるものだし、また発作が起きたりしたら大変だわ」

「大丈夫。全然寝れなかった訳じゃないし」


 そう言いながら笑みを返すと、目の前の食事に手を伸ばした。

 いつもと変わらない様子で食事を摂り始めた私を見つめ、二人は心配そうな表情を浮かべながらも、ふっと小さな笑みを浮かべる。


 とても心配してくれている。それが肌身に伝わるほど良く分かったし、嬉しかった。だからこそ昨日、リディル王子が部屋を訪ねてきていた。などと言ったら、ますます二人を心配させてしまうに違いない。だからあえて昨晩の事は話さないようにした。


 昨日彼が訪ねて来たのはたまたまだったに違いない。あれから彼も自国へ帰っていったことだろうと思う。できればもう来なくても良いのだが……。


 しかし、そんな予想は大きく外れるのだった。

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