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***
「妹さんが」話を聞き終えた紫音がつぶやいた。「それが、去年の今日?」
「そう。地獄みたいな一年だった。藤代さんのところにも、とてもじゃないけど居られなかったよ」
「それで独りになって、ここに来たんだ。そして私を見つけた」
ふたりはファミリーレストランのボックス席で向かい合っている。白く味気ない照明と、流行りの音楽と、若者たちのざわめき。なんら変わりない夜の光景が、ここにはある。
飲み物が来た。翡翠が自分の注文したビールに手を伸ばそうとすると、
「念のために訊く。感覚を抑える方法っていうのは?」
「だから酒だよ」短く答え、紫音を見やる。「私の場合はアルコールがいちばん効いて、手っ取り早い。意識が酩酊しさえすれば、奴らは見えなくなる。他の、普通の人間と同じになれる」
紫音が途端に表情を硬化させた。「死ぬよ」
「かもね。だけど少なくとも、七歳や十九歳で、じゃない。奴らに関わらなくて済むなら、私はなんだってやる。体がぶっ壊れたとしても、別に構いやしない」
「翡翠。自暴自棄になるのはやめて。私の話を聞いて」
「自暴自棄? 私は私なりに、自分を守る選択をしてるだけだよ。紫音こそ――あいつに殺されそうになってたくせに」
「私は」と彼女が確たる口調で応じた。「ただぼんやり殺されるのを待ってたんじゃない」
「だったらなんなの」
「奴らと戦う方法があるんだよ。簡単じゃないけど、勝ち目がないわけでもない」
翡翠はグラスを引き寄せた。口を付けようとして思い留まり、なるべく慎重な声音で、
「戦おうとしてたの? それを私が邪魔したってこと?」
「結果的に言えば、そうだね」
は、と息を洩らした。肩をすくめてみせ、
「実際に勝てたことがあるの? あいつで何人目?」
「一人目。あれが私の初陣になるはずだった」
「馬鹿みたい」吐き捨て、背凭れに身を預けて脱力した。「いきなり独りで? 化物と? 正気だと思えない」
紫音は唇を湾曲させた。淡々と、
「そう思われても仕方ない。だけど断じて、捨て鉢になったわけじゃない。私なりに考えてのこと」
信じられる話ではなかった。翡翠はかぶりを振り、
「私みたいに酒浸りになれとは言わない。でもなにかしら、考えたほうがいいよ。奴らを目に入れない方法は、実際にあるんだから」
「たとえ目に見えなくても実在する。そう言ったはずだよ」
「だからって――」
翡翠、と紫音が低い声で遮った。小さくも力の籠った声だった。
「正直に言うね。駆けつけてくれたときは本当に嬉しかった。やっぱり翡翠だって。でも、いま話してる相手が同じ翡翠だと思えない」
「そうかもね。だって十二年も経ってる。変わったって不思議じゃないでしょう」
「違う」紫音が身を乗り出してきた。テーブルの上で両手を組み合わせ、「そういう話をしてるんじゃない。分かってるはずだよ、私が言いたいこと」
睨みかえした。彼女は表情を変えないままだ。
「私にどうしろって言いたいの」
「本当の翡翠の言葉を聞きたいだけ。妹さんが死んだのを自分のせいだって思い込んだり、お酒で自分の力を隠そうとしたりしても、ずっとなにも変わらない」
「本当の私の言葉?」唇を震わせながら繰り返し、それから長々と息を吐き出した。「紫音はさ、妹を亡くしたことがないからそんな風に言えるんだよ。独りで化物を退治できる? 安全を守れる? 一度あいつが人を殺すところを見たら、そんな口が利けるわけない。この一年、私がどれだけの目に遭ったか想像できる? 怖くて、悲しくて、悔しくて、後悔して、頭がおかしくなりそうなの。ただ生き延びるだけで精いっぱいだった。分からないでしょう?」
「分かるも分からないも――どっちにしろ不誠実に聞こえるよね。慰めて、寄り添って、それでどうにかなるなら私もそうしたいよ。でもそうじゃない。残念だけど」
「紫音の目的はなんなの? あいつらと戦ってなんの利益があるの?」
彼女は薄く笑い、「復讐」
「え?」
「冗談。翡翠と同じだよ。身を守りたい。そのためには奴らを知るべきだし、叩けるときは叩くべきって考えなだけ。放っておけば奴らは増殖するし、力も増す。ぼやぼやしてれば日本中に蔓延するよ。逃げ場所はどこにもなくなる」
紫音は自身のグラスを傾けた。彼女がなにを頼んだのかは記憶していなかった。アルコールでないことは確かだ。
「私だって怖い。逃げて逃げられるなら、誰かに任せられるならそうしたい。でも駄目なんだよ。奴らの存在を知ってる人間は、ごく僅かしかいない。自分の手で、できることをやるしかないんだ」
俯いた。いまだ手を付けていないビールの、すでに消えかけた泡を見つめる。
「まともじゃない。まともじゃないよ――紫音」
「言われなくても分かってる。だけど狂うなら、せめて自分が納得のいく狂い方をしたい。ただそれだけ」
「畜生」吐き捨て、一息にビールを飲み干した。口許を拭い、音を立ててグラスを置く。「とてもじゃないけど付き合えない。私はこっちに留まる」
そう、と紫音は静かな声で応じた。「だったら引き留められない。元気でねって言葉が相応しいとは思えないけど、元気でね」
黙ってかぶりを振り、伝票を取り上げた。席を立つ。紫音は動かなかった。
「じゃあね」翡翠は声を絞り出した。最後に付け足すように、「また――お互いに生きて会えたら」
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