第7話 ハジマリノインターネット
時は今から30年前に遡る。
国内でも最大級の規模を誇る大学病院。
ここでは、文字通り人を助けるための研究が日夜行われている。
そんな、医療の最先端である病院の診療室で。
たった今、私の息子は余命を宣告された。
「お待ちください」
悲壮感を漂わせながら、診療室を出ていこうとする私たち家族を、真っ白な白衣に身を包んだ若い医者が引き止めた。
「・・・なんですか」
顔の半分だけ振り返り、覇気の感じられない声を出す私。
妻はショックのあまり俯いたままだ。
「一つだけ方法がなくもありません」
「・・・・・え?なんですか!」
医者の言葉に私は振り向き、食い気味に尋ねた。
「息子さんを『冷凍保存』するという手段があります」
「れいとう・・ほぞん・・・」
再び椅子に座り、医者の言葉を飲み込むように復唱する。
「息子さんの病気は、残念ながら現代の医療技術で完治させることは不可能に近いです。そこで、将来新たな治療方法が確立することに望みをかけ、それまでの間、冷凍保存をすることで肉体を保つのです」
「そんなことが可能なんですか?」
「はい。冷凍保存することで病気の進行を食い止めることができます。海外では既に行われている技術です」
そう言うと、医者は私に資料を渡してきた。
そこには冷凍保存の成功例がいくつか書かれており、その方法も大まかにまとめられていた。
「難しい決断と思いますのでお二人で。いや三人で、よく考えてください」
息子の頭に手を置き、優しく微笑んでみせる医者の男。
褒められたと感じたのか、息子は無邪気に笑った。
同日。自宅のリビング。
病院から帰宅しておよそ1時間。
私と妻の間に会話らしき会話はない。
リビングから聞こえてくるのは、夕方5時からの子供向け番組の音だけ。
息子はその番組を夢中で眺めている。
冷凍保存
私はその技術とどう向き合うべきか、決めあぐねていた。
少しでも助かる見込みがあるのなら、試してみたいという思いもある。
しかし、それが息子の幸せに繋がるとは限らない。
治療方法が確立する時期には、私や妻はもうこの世にいないかもしれない。
そうなれば、息子を誰が育てるのか。
そもそも、時を超えることでの副作用はないのか。
いろいろな考えが浮かんでは消えていく。
「・・・ねえ、」
そんな私の思考を遮るように、何だか久しく感じられる妻の声が聞こえた。
「旅行にでも行きましょうか」
そんな提案をする妻の目は、どこか遠くを見ているようだった。
「うわー!すごい!」
両手を高く上げ、実に子どもらしいリアクションをする息子。
自分の数百倍も高い建物を前に、大きく開いた口が塞がらない。
その小さな瞳には、随分可愛らしいサイズとなった東京タワーが映っていた。
息子の余命宣告を受けたあの日から3日。
私たち家族は、妻の提案を受け旅行に来ていた。
1日目である今日は東京。
明日は京都の街を見て回る予定だ。
余裕のないスケジュールになってしまったのは、息子への負担を少しでも減らしたいという、親としての想いからだ。
旅行のせいで病気が悪化したのでは元も子もない。
「よーし、上るか!」
「うん!」
腕まくりをしながら息子に呼びかけると、満面の笑みが返ってきた。
それを見た妻も嬉しそうに笑っている。
それに釣られるように、私も自然と笑顔になっていた。
ここに来る前、私はこの旅行を全力で楽しむと密かに決めていた。
思い出作りと言ってしまうと別れが近づくようで嫌だが、息子には今私が与えらる最大の幸せを感じて欲しいのだ。
「階段で上るルートもあるんだって」
「いやー、それはいいだろ」
スマホで東京タワーのページを見ていた妻が、私にとって不都合極まりないことを言い出す。
「えー、上りたいよね?」
「うん!」
「ぐっ・・・」
厄介なことに息子を味方に取られてしまった。
息子の願いを叶えるのが今回の私の役目だ。こうなっては仕方がない。
「しょうがない。上るか!」
「「おー!」」
若い時と比べて動きが重くなってきた体に鞭を打ち。私は、家族と共に東京タワーの展望台に階段で向かった。
「景色凄かったねー」
「うん。おおきいのにちっちゃかった」
東京タワーを後にした私たちは、近くの公園で休憩していた。
息子は東京タワーの余韻が抜けないのか、先ほどからずっと足をばたつかせている。
「お弁当作ってきたから食べようね」
「わーい!」
公園のベンチに息子を挟む形で腰掛け、右端に座る妻が膝の上に弁当箱を広げる。
弁当箱の中身はハンバーグやミートボールにタコさんウインナーなど、子どもが好きそうなものが豊富に揃っていた。
色とりどりで見た目も良く、食欲をそそられるザ・ベストベントーだ。
「何が食べたい?」
「うーん、おにぎり!」
「おにぎり好きだもんね」
妻から受け取ったおにぎりを両手で持ち、小さな口いっぱいに頬張る。
「どう、おいしい?」
「うん、おいひい!」
今の幸せを噛みしめるように笑みを浮かべながら。息子の口の周りについた米粒を摘んで、自分の口に入れる妻。
「あなたも、はい」
「ありがと」
妻から受けとった弁当箱には、息子の方に入りきらなかったと思われるものや、少し形が悪いものが無造作に詰められていた。
息子にちょっとした嫉妬を覚えながらも、同じくおにぎりを口にする。
「・・・うん、うまい」
海苔が良い感じにしっとりとしたおにぎりは、私好みの優しい味がした。
数日後。自宅のリビング。
1泊2日の旅行から帰宅した私と妻は、リビングの机で向き合うようにして座っていた。
その理由は明確で、息子の冷凍保存について話し合うためだ。
そのことはお互い解っているはずなのに、なかなか話を切り出せないでいた。
話し始めてしまうと先程までの幸せな時間が薄れてしまうような、そんな気がしてならなかったのだ。
「旅行楽しかったね」
「そうね」
「・・・・」
「・・・・」
時計の秒針が正確に、残酷なリズムで音を刻む。
息子は疲れからすぐに眠りにつき、今リビングにいるのは私と妻の2人だけだ。
「あまり時間がないな・・・」
私の声に妻の肩がピクッと震えるが返事はない。
息子を冷凍保存する場合。病気の進行から考えて、今から1週間後には病院に預けないと間に合わない、という話を聞いていた。
重たい沈黙を破るため、私は口を開いた。
「私は・・・する方向で話を進めたいと思ってる。良くなる可能性が少しでもあるなら、試す価値はあると思うから・・・」
実際に成功した事例もあるし、現代医療の進歩を考えれば、早いうちに新たな治療方法が確立する可能性も十分に考えられる。
しかし、妻の反応は芳しくなかった。
「・・・いや」
「え?」
「私は嫌って言ってるの!」
机をバンッと叩いて立ち上がり、妻が叫びに近い声を上げる。
「冷凍保存が成功する保証も、治療法がみつかる確証もないじゃない!」
「それはそうだけど・・」
「それに、余命はまだ3年ある!その間に治る可能性だって・・・」
たった今その可能性を自分で否定したことに気づいたのか、妻の声が段々と小さくなる。
「ごめんなさい。私冷静じゃなかった・・・」
「あぁ」
熱くなった感情を抑えるように呟き、同じく熱くなった目頭を押さえる妻。
「ごめん。今日は寝かせて」
そう言い残して、寝室へと向かう妻。
その背中に掛ける言葉も見つからず、私は色々なものを吐き出すように、机に突っ伏した。
数日後。某大学病院。
先日と同じ診療室に、先日と同じ若い男の医者。
唯一違うのは、息子が医者側に立っていることだった。
「それでは、息子さんをお預かりしますね」
「はい。お願いします」
状況をわかっていない息子が、不思議そうな表情をしている。
「ぼくどこにいくの?」
「病院の先生が悪いところを治してくれるんだよ」
「いたいことされる?」
「ううん。気づいたら終わってるはずよ」
息子の目の高さにしゃがんだ妻が、優しい言葉を紡ぐ。
「守は強い子だから頑張れるよね」
「うん。ぼくがんばる!」
息子の頭をいつもより長めに撫でる妻。
名残惜しそうにその手を離すと、そっと立ち上がり、医者に向かって丁寧に頭を下げた。
「息子をよろしくお願いします」
それに真剣な表情で頷いて応えると、医者は息子の手を引いて奥の部屋へと歩き始めた。
「またねー」
笑顔でこちらに手を振る息子に、私と妻も手を振り返す。
その姿が見えなくなるまで、必死に笑顔を繕って。
「うあああぁぁ!!!!!」
扉が完全に閉まり、あちら側に声が聞こえない状態になったことで。これまで必死に耐えていた妻は膝から崩れ落ち、噛み殺したような泣き声と大粒の涙を流した。
そんな妻に、私は何と声をかけるのが正解だったのか。
そんなことを考えられるほど、この時の私の心にも余裕はなかった。
その日から私と妻の会話は極端に減った。
必要最低限の感情のないやりとり。
それは夫婦の間に確かな溝を作っていった。
そして、そのずれは掛け違えたボタンのような些細なものから、大地震が起きる直前の断層のような重大なものに。
日を追うごとにそれは確実に深く大きくなっていき、気づいた頃には取り返しのつかないものになっていた。
そして、息子が冷凍保存されてから1ヶ月が過ぎようとしていたある日。
妻は手紙を残して家を出ていった。
心の拠り所を失った私を残して。
私は生きがいを失った。
最愛の息子。長年連れ添った妻。
その2人が同時にいなくなったことで、私は生きる意味を見失っていた。
朝起きて会社に行き、家に帰って眠る。
社会の歯車として働くことで、自分の存在を確認するだけの日々。
そんな生活の中での休日は、ただただ苦痛でしかなかった。
土曜日を睡眠で消費し、迎えた日曜日の朝。
早くに目を覚ましてしまった私は、どうも二度寝をする気分にもなれず。リビングのソファに座り、テレビに映るニュース番組をボーと眺めていた。
「ん?」
ふと視線を下げると、DVDレコーダに録画中を示す黄色のランプが点灯していることに気づいた。
こんな時間に何の番組かと不思議に思い、何気なくリモコンのチャンネル選択ボタンを押してみる。
「あぁ・・・」
何回目かのチャンネル変更後。画面に映し出されたのは、子どもに大人気の特撮ヒーロー『ゾンビライダーマン』だった。
主人公が不死身の体質で、何度やられても勝つまで立ち向かう。
そんな不屈の精神がこの作品最大の魅力となっており、子どもはもちろん大人にも大人気のヒーローだ。
息子の守もこの番組が大好きで、テレビ棚にはゾンビライダーマンのフィギュアがたくさん並べられていた。
「・・・そうか!」
不死身。
私がゾンビライダーマンのように不死身の存在になれば、解凍時期がいつになろうと、もう一度息子に会うことができるではないか。
新たな発見に興奮気味の私は、不死身になるための方法を思案し始めた。
テレビではゾンビライダーマンと敵役が対峙しており、今にも戦闘が始まりそうだ。
「そうだ、精神転送」
昔観たSF映画にそんな単語があったことを思い出す。
精神転送とは、人間の心を人工物に転送することだ。
これに成功すれば不死身、いや『不老不死』の存在になることも可能なはずだ。
先刻までゾンビのようだった私の瞳に、人間らしい希望の光が宿る。
テレビの画面では、ゾンビライダーマンがお決まりの必殺技で華麗に敵役を倒していた。
それから20年。
ひたすらに精神転送の研究を進めていた私は、その副産物として、人をインターネットに繋げる術を確立した。
社会人時代の貯金が底を尽きかけていたこともあり、私はこの技術に『ヒトノインターネット(IoH)』と名を付けて公表。
それを大手企業がいち早く製品として発売したことで、ヒトノインターネット(IoH)は日本中にみるみる浸透し、やがてその存在が当たり前であるように日本人の生活に溶け込んでいった。
そんなある日。
私のIoHにとある連絡が入った。
『清水さんでいらっしゃいますか?』
「はい。そうですけど」
IoHの向こう側の人物は、相手が私だと判ると、弾んだ声でこんなことを言ってきた。
『息子さんの治療が可能な状態になりました』
「ほんとですか!?」
その人物。息子を預けた医者によると、研究を重ねていた治療方法の臨床試験が、今し方終了したそうだ。
その手術は、患者の症状の把握を完璧に行い、医療器具の映像と医者の視覚情報を共有できるIoHの存在が必要不可欠であり、治療方法の研究にもIoHが大きく貢献したらしい。
『今から病院に来れますか?』
「はい、もちろんです!」
興奮気味に返事をし、急いで身支度を整える。
20年の努力が、思惑とは少し違う形であるが実った。
そんな事実に胸を踊らせ、歳を感じさせない軽い足取りで家を出る。
外は小雨が降り注ぐ生憎の天気だったが、そんなことは御構い無しに、傘も差さず小走りで病院へと向かう。
喜び。幸せ。気恥ずかしさ。
迷い。後悔。後ろめたさ。
私の身体は、息子との再会がもう少しで叶うという事実から生まれる、様々な感情で埋め尽くされていた。
それ故に見えなくなっていた。
道路に出来た大きな水溜りの数々。
そして、猛スピードでこちらへ走行してくる存在に。
いや、気づいていても結果は一緒だっただろう。
キキイイィィィィィィィィ
嫌に耳に残るスリップ音に、眼前まで迫った自分の何倍もある大きさのトラック。
私の体が最後に認識したのは、そんな衝撃的な映像だった。
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