王属特務調査員ジル・オルクスの巡察日誌 王の右目は旅をする

荒木シオン

王の右目と面倒な仕事

 イオス暦二五年・獅子宮ししきゅうの月一五番日火属性・天気:晴れ


 はぁ~、面倒い。暑い。疲れた……。

 同僚である【王の左耳】オレイユ・オーアが仕入れた不穏な噂を処理するべく、俺は王都から馬車で一ヶ月はかかるド田舎といって差し支えないレベリオ領へ向かっている。

 

 これでガセネタだったら気兼きがねなくヤツをぶっ飛ばせるのだが……。

 まぁ、それは絶対にあり得ない。なぜなら【王の耳】が聞いた話とはそういうものだ。王が聞いて臣下が動く。そこに間違いはない……。あってはいけない、厄介なことに……。


 思わずため息をつくと袖を軽く引っ張られる。

 視線を向けるともう一人の同僚【王の口】リッペ・ロートが手にした紙束を見せてくる。


『なにか問題がしょうじましたか?』


 口元を布でおおい隠し、小さく首を傾げる赤髪あかがみの少女。そんな彼女へ気にするな、と短く返し前を見る。

 リッペは別に話せないわけではない。王は人前でみだりに口を開かない。ゆえに【王の口】たる彼女も言葉を発さない。なぜなら、その一言は王のそれと同等に重い……。


 面倒な仕事に無言の同僚、照りつける強い日差し……本当に疲れる。


 夕刻。俺たちはようやくレベリオ領の領都トレイタに到着した。

 辺境へんきょうといえど流石は領の中心たる都。街は堅牢けんろうな石壁で囲われ、夕方というのを差し引いても市中は確かなにぎわいを見せている。

 

 さておき、まずは今夜の宿を探すべきだろう。できれば柔らかなベッドでぐっすりと眠りたい。ここへ来るまでに泊まった宿はそこそこひどかった……。

 というわけで、選んだのは街一番と名高い宿。大丈夫だ、どうせ宿泊費はどんなに高くても経費で落ちる。リッペがなにか言いたげに見つめてくるが知らん、知らん。


 各々の部屋に荷物を下ろしたら、夕食をとるためリッペを食堂へ誘うものの、


『私は人前で食事ができませんので部屋に運んでください。あと毒味もお願いします』


 そう書いた紙束を見せられ淡々と断れた……。

 なるほど彼女は徹頭徹尾【王の口】なのだと改めて理解する。王はかような場所で民草たみくさとともに食事を口にしたりはしない……してはならない。王とは孤高の存在である。

 しかし、リッペさん? 毒味役ってもしかして俺かい? はぁ~、マジかぁ。


 夕食後、リッペは宿に残し酒瓶片手に街の散策へ。

 こんな酔った旅人がまさか王属特務おうぞくとくむ調査員とは誰も思うまい……。

 そう、これも立派な調査だ! なので酒も経費だ! 断じて遊んでいるわけではない!


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 イオス暦二五年・獅子宮ししきゅうの月一六番日風属性・天気:晴れ


 早朝。久々の柔らかな極上ベッドで惰眠を貪っているとリッペに叩き起こされた。


『おはようございます、ジル・オルクス。昨夜はお楽しみでしたね?』


 目の前に突きつけられる彼女愛用の紙束。そこに記された文字にはどことなく怒りがにじんでいるような気がした……。笑顔が、笑顔が恐いですリッペさん!

 これは不味いと察し、慌てて飛び起き身なりを整える。顔を洗い、別室で着替えを済ませ再び彼女の前に戻ってくると、


『それで? なにか収穫はあったのですか? ジル・オルクス? まさか本当に遊んでいたわけではありませんよね? 私を放置してひとりだけで!』


 返答次第では王への直訴じきそも辞さない、といった様子で手にした紙束を掲げてくる。うん、分かった落ち着こう。話せば分かる、話せば!

 目は口ほどに物を言う……俺にとっては明らかに皮肉な言葉を頭に浮かべつつ、昨夜調べた街の様子を絵に描きながらリッペに聞かせる。


『流石は異界の賢者が認めた【王の右目】です。その目が見逃す物は無しですか……』


 俺が今しがた描いたスケッチを凝視し、携帯筆けいたいふでを手中でクルクルと器用に回すリッペ。

 

【王の右目】はこの世全てを余さず捉える。異界の賢者がかつて「直観象記憶ちょっかんぞうきおく」と呼んだ俺の能力、その一端。

 一瞬でも対象を目にすれば、あとからいつでも好きなときに詳細な絵を描き、書物なら一言一句違えず書き起こすことができる。


 さておき、そんな俺が描き起こしたスケッチをリッペは一枚、一枚念入りに確認し、


『ここ、ここを拡大できますか? ほら、この奥。馬車の集まっているところです』


 なんてことを尋ねてくる。彼女が気になったのは領主の屋敷を描いたスケッチだった。

 はぁ~、このリッペに限ったことではないが、王や同僚たちは俺をその手の便利な魔導具ように扱うきらいがある……誠に遺憾いかんだ。拡大とか簡単に言ってくれるぜ、まったく。


 心の中で密かに愚痴りつつ。指示通り馬車を大きく描き起こす。

 言っておくがリッペさん? これ以上は無理だぞ。曲がりなりにも領主の館だ。身分を隠して怪しまれず近づくには限界がある。


『いえ、大丈夫です。これで裏が取れました。【王の左耳】が聞いたとおりですね』


 紙束に文字を書き終え、スケッチされた馬車の荷台をトントンと指で叩くリッペ。

 そこに描かれた紋章は王家のそれで……このような辺境へんきょうにいる領主が掲げていいはずのない代物だった。


『まったく、王家をかたった密貿易だなんて……。最初に聞いたときは【王の左耳】も随分ずいぶんと耳が遠くなったものだと呆れましたが、事実だったとは……』


 深いため息をつきながら紙束の文字に怒りを滲ませるリッペ。

 まぁ、領主もまさかバレるとは考えていなかったのだろう……。

 王都からこれほど離れた辺境だ。慎重にやれば中央にはまず発覚するはずがないとたかくくったに違いない。


 けれど人の口に戸は立てられない。そして王とは民の言葉に耳を傾けるものだ。ゆえに【王の左耳】がこんな不穏な噂を聞き逃すはずがない……。


『では、【王の右目】ジル・オルクス、そろそろ仕上げと参りましょうか?』


 微笑みを浮かべるも目はまったく笑っていないリッペ。

 そんな彼女と紙束へ書き殴るようにして記された文字を見つめつつ、俺は苦笑いを浮かべる。


 明日は大変そうだなぁ……。あぁ、この仕事は本当に疲れる。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 イオス暦二五年・獅子宮ししきゅうの月一七番日光属性・天気:晴れ


 この日の早朝。俺とリッペは領主の館へ王属特務おうぞくとくむ調査員のあかしを掲げ、正面から殴り込んだ。

 臆することはなにもない。俺たちの行動は王の意志に他ならないのだから。

 すなわち正義は我らにある! 堂々と正面突破すればいい!


 先触れもなく突如現れた俺たちに、泡を食ったように騒ぎ始める屋敷の使用人たち。

 そんな彼らを無視し、リッペと二人で真っ直ぐに領主の書斎へ向かう。

 案内などはいらない。この程度の間取りは直観で分かる。分かってしまう。


 辿り着いた書斎の前には俺たちを止めようと待ち構える数人の執事。

 彼らの制止を振り切り、扉を開けると中では小太りの領主が慌てた様子で書類の山を処分しようとしている真っ最中だった。


 書斎へ踏み込んできた俺たちに気がつくと、領主は手にした書類を窓の外へ放り捨て何事もなかった様子で頭を下げてくる。


「これはこれは噂に名高い王属特務のお二人が、本日は当家にどのようなご用件でしょうか? 急なお越しのため慌ただしく申し訳ありません。今もこうして書斎を急ぎ整えてございますれば……」


 なるほどこの領主、慌てた様子から小心者かと思いきや、なかなかに肝が太い。ことここに至った今でも、どうにか誤魔化そうという腹づもりらしい。

 王属特務が来た時点で結果は分かりきっているだろうに……流石は王家をかたる密貿易者。だが、所詮しょせんはただの悪足掻わるあがきだ……。


 そうして俺たちは領主へ今回の罪状を淡々と説明するが、


「いや、お待ちください王属特務の方々。私が王家を騙った密貿易などと……。失礼ながら確固たる証拠がおありなのですか? ないのであればいかに王属特務とはいえ横暴が過ぎましょう!」


 自分はあらぬ疑いをかけられた被害者だと、心底憤った様子で猛抗議してくる領主。なるほど茶番だが大した演技力だ。

 しかし、それは悪手以外のなにものでもない。


『これが証拠です。一昨日の深夜。貴方の屋敷の庭に王家の紋章が刻まれた馬車が複数台止まっていたのが確認されています』


 証拠、証拠と喚く領主にリッペが俺の描き起こしたスケッチを示すと、


「ハッ! そんな絵のなにが証拠なのですか! そのようなものどうとでも捏造ねつぞうできましょう!」


 彼は恐らくこの場で最も言ってはならぬことを口走った――。


 ――次の瞬間、椅子から立ち上がったリッペは口元を覆っていた布を取り、この調査で初めて口を開く。


「無礼者!【王の左耳】が民の声を聞き【王の右目】がそれを確認したのだ! つまりは王が確認したのだ! それを貴様如き地方領主が捏造とぬかすか! 万死に値する!」


 わぁ~お、リッペさんブチ切れてらっしゃる。

 領主も今まで大人しかった彼女の豹変ひょうへんに目を白黒させるが流石は小悪党……リッペの言葉に隙を見つけたと思ったのだろう。


「いかに王属特務といえなんたる暴言! 衛兵! 衛兵を呼べ! 特務殿がご乱心召された! 拘束し牢へ放り込むのだ! その上で此度こたびのことは陛下へ厳重に抗議させていただく!」


 領主の言葉を受け、外で待機していたらしい衛兵がわらわらと部屋へ雪崩なだれ込んでくるが、


「動くな! 私は【王の口】リッペ・ロート! 我がことは王のそれと知れ! 衛兵ども! 捕らえるべきは我らにあらず! 反逆者であるそこの領主ぞ!」


 リッペがそう言った途端、まるでなにかが切り替わったようにあっという間に領主を縛り上げ、地下牢へと連行していく……。

 王の言葉には万人が従う。すなわち【王の口】たる彼女の言葉にも皆が従う。

 リッペ・ロートはただの小娘ではない。魔力を込めた言葉を操る生粋きっすいの魔女である……。

 

 騒ぎが収まるとリッペは何事もなかったように、再び口元を布でおおい隠した。

 さて、これで一件落着かと思いきや彼女は窓の外を指し紙束にこう書き記した。


『なにを呆けていますか、ジル・オルクス。先ほど捨てられた書類を全て回収しその目に収めなさい。それが【王の右目】としての役割でしょう?』


 マジか……俺は独りで残業らしい。恨むぞ直観象記憶能力……。

 はぁ~、この仕事は本当に疲れるね、まったく!


                  完

 

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