第7話 獣の魔人

 ルイはコロシアムでの試合を順調に勝ち上がってきていた。今までにすでに9試合に出場してきているが、苦戦という苦戦はなく無事に勝ち残っていた。


 今日は10戦目。いつも通り屋敷での仕事をしてきてからコロシアムに向かったルイは、今そのステージにて激しい混乱に見舞われていた。


「グルァアア!」


 そこにはゴリラのような見た目をした、3メートルは有にありそうな巨体の魔人。頭からは大きな一本の角が前に突き出している。


「これ、魔人?」


 人じゃないじゃん。獣じゃん。そんなルイの思いを知る由もなく、試合開始の合図が響く。


「ガァァ!」


 雄叫びをあげ殴りかかってくる。その巨大に似合わず、速い。丸太のような太い腕から繰り出される攻撃は強烈な威圧感をもってルイを圧倒する。それを必死に避けることしかできないルイ。



「ふっ、はっ、あぶねっ」

「グオオア!」


 大振りの攻撃。避けるのは難しくないが、息つく暇もない連打。そのあまりの威力にルイの背中に冷や汗が流れる。


「ふっ、ふっ、はっ、ははっ。どうした、筋肉ばっか鍛えるのはいいが当たらなきゃ意味ないぞ」


 挑発する。このままでは反撃に移る隙がない。


「バカニスルナ! ザコガ!」


 ひどく歪んだ声で獣の魔人が叫ぶ。挑発に怒ったのかさっきよりも攻撃の威力が増す。筋肉で大きく膨れ上がったその腕がステージにたたきつけられる。並べられた石材が砕け散り、舞い上がる。恐るべき攻撃だが、大ぶりな攻撃は先ほどよりも避けやすく、隙も多い。


「お前、しゃべれた、のかよっと!」


 ルイは攻撃を避けながらも、手に魔力を集めていく。


「【魔具召喚】こい、魔剣」


 手に収束した魔力がどす黒い剣を形づくっていく。巨体に対抗するために、刃渡りを長くした黒剣。


 目の前に迫る獣の魔人の腕。振り下ろされるそれは一撃に致命の威力が込められた攻撃。寸前で回避する。頬をかすりぱっくりと裂けた。


 ギリギリの回避によって生まれる隙を縫い、魔剣が振るわれる。渾身の力を込めて振られたその刃が、獣の巨人の振り下ろされた右腕を根元から両断する。


「ギイイイイ!」


 痛みに絶叫する獣の魔人。魔人の体に血液は流れていないため失血死をすることはないが、それでも片腕を失っては戦闘の継続は困難だ。


「これで、終わりだ!」


 トドメとばかりに、返す刀で首を狙う。防戦一方からの奇跡の逆転劇。観客はその光景に再び沸き立つ。が。


「シネェ!」


 怒り任せに放った獣の魔人の蹴りが、ルイに直撃する。横薙ぎに食らったそれに、大きく吹き飛ばされる。今まで腕の攻撃ばかりを警戒していた故に招いた油断。それはこの戦いにおいては致命的なものだった。


「ぶへえぇえぇえ!」


 汚い悲鳴を上げながらステージの床を転がっていくルイ。倒れたまま、ピクピクとするだけで起きあがろうとはしない。


「フフフ、ザコガ」


 勝利を確信した獣の魔人は、ルイの無様なその姿を見て笑い声を上げる。戦術が見事にはまると気持ちがいい。それがただの蹴りであっても、ここぞという場面まで取っておけば致命の不意打ちになりうる。獣の魔人は今まで様々な相手と闘い勝ってきた猛者であった。


 とどめを刺そうと一歩歩き出すと、今までうずくまっていたルイがスッと起き上がり、こちらを見るなりべっと舌を出した。


「なんちゃって。お前の蹴りなんざ痛くも痒くもないんだよ。やるなら本気でやりやがれ」


 明らかな挑発。だが、頭に血が上った獣の魔人は自分をバカにした相手が許せない。


「グシャグシャニツブシテヤル! 【魔装】!」


 朱色の魔力が獣の魔人の腕にまとわりつく。そして形作るはおびただしい数の棘が生えた腕。切られた方の腕にも新たな腕が作られ、凶悪な「武器」が完成する。これが獣の魔人のもう一つの奥の手。戦術など関係なく力ずくで吹き飛ばす、圧倒的な暴力。


 獣の魔人は大きく勢いをつけて走り出す。全力で助走をつけ、その勢いのまま殴り飛ばしてやろう。そして原型を留めなくなるまで、何度も何度も叩きのめしてやる。


 そう目論んだ獣の魔人の突進は、まさに獣の如き速さ。ルイはそれに反応できず、ただ立ちすくむのみ。獣の魔人はニヤリと笑った。


 と同時に、獣の魔人の視界がぐらりと揺れ、ステージの上に派手にすっ転んだ。


「ナ、ナンダ!?」


 何かにつまづいた。そう思った獣の魔人は自分の体を見て愕然とした。


「カ、カラダガ!」


 腰から下がなかったのだ。後ろを見ると自分の下半身が転がっている。ルイはその場から動いていなかった。なのに自分はなぜ切られているのか。


「ナニヲシタ! ナニヲ!」


 遅れてやってくる痛みに耐えながら、獣の魔人は叫ぶ。


「何って、あれだよ、糸を張っといたんだよ。魔剣をうすーく伸ばしてな。見えなかったろ? めぇ悪そうだもんな」


 獣の魔人が後ろを注視すると、キラリと光る糸。挑発に乗せられ気づかなかった。だがあの一瞬で魔剣を糸状にして罠を張るなど、恐るべき魔力操作の技術。


 ルイは手に残った魔剣の柄を放り投げ、再び剣を召喚する。そしてお腹のあたりをさすりながら言う。


「あー、いってぇ。お前に蹴られたとこ大穴空いたぞ。まじで死ぬかと思った」


 確かにそこには穴が空いていて、向こう側の観客席が見えている。あの蹴りが痛くないと言うのはただの挑発。実際は一撃で体力の大半を削り取られていた。それを見た獣の魔人は何かを悟ったようにふっと笑った。


「見事だ……貴様の戦略にハマったオレの負けだ」


 獣の魔人は清々しい顔で笑った。その顔には一点の曇りもなく、ただいい勝負をした相手を称えるものだった。


「あ、そういうのいいです。今まで殺し合ってたヤツにそんな顔されても気持ち悪ぃだけだから。てか普通に喋れんなら普通に喋れや」


 グサッと魔剣を頭に刺す。獣の魔人は塵となって消え、溢れだした魔力がルイに吸い込まれるようにして消えていった。


「これで10勝目ぇ! あと、えーと656勝か、先はなゲェ……」


 会場が歓声に包まれる。勝者を称える歌声も聞こえる。今の闘いを見て興奮した魔人同士が殴り合いを始める。それに触発された周りの魔人たちも参加し、乱闘が始まる。


 それを観戦し始めるものが現れ、どうせならステージでやれと囃し立てるものが現れる。


 ルイがステージから去るころには、乱闘していた魔人たちがステージになだれ込み、本当に殺し合いを始める。


 その光景を見て、呆れ顔でため息を吐くルイ。


「魔人ってやつはほんとにどいつもこいつも……。はあ、早く人間界に行きてえなあ」


 彼の顔には郷愁の表情が浮かんでいた。

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