O

 いっぺん、学校に通ってみたい。

 役目を果たしたオレが“大人達”に欲したのは、そんな些細なことだった。


 最初の答えはノーだった。それから、身体は長くは持たないぞ、とも言われた。そんなことは自分自身がよく理解している。オレの身体はもうボロボロだ。定期的に発作が来て、安定剤を打たないと簡単に崩れてしまう。こちら側でもあちら側でもそれは同じ。あの場に送られた子供達の――末路みたいなものだ。

 それでもオレは日常を望んだ。


 誰が口添えしたのか、十八歳になった日の夜、その希望は受け入れられた。望んでいたのは東京だったけれど、決まった先はとある地方都市だった。


 これは後から聞いた話だ。あの街には“こちら側”のエージェントが沢山いて、連中はこの土地のどこかにある“秘密の場所”を躍起になって探しているらしい。それがなんだかは分からなかったけれど、それだけの目があるから、監視下に置くにはちょうど良いのだと。それでも、オレはとにかく干渉されることを拒んだ。発信器も盗聴器も付けないでくれと頼んだ。もしこっそり取り付けて、それがバレたら、連中の一人や二人くらい道連れにしてやるぞと脅した。ワガママを言う権限くらいあると主張し、しぶしぶ受け入れられた。


 こうしてオレは一年遅れで、ちょっとの間だけ“高校生”になれた。

 そして今、秋晴れの空の下、オレは高校の屋上で、眼下に広がる街を見渡している。


 この街においてオレの存在は異物そのものだ。それでも良かった。毎日朝起きて、学校に通って、帰りにメシを買って帰る。それだけで良かった。なんてことのない普通の日常はオレにとって心地いいものだった。

 ついでに趣味を作ろうと思った。それで、絵を描いてみることにした。


「正直に言うけどさ。僕には想像もできないんだよ」

 パックの牛乳を飲み干してシュウトは言った。そりゃそうだよなとオレは笑った。理解なんて、無理にしなくてもいいさと。


 シュウト。学校に通い始めて、はじめて出来たオレの、同い年の友達。オレのことを分かってなお“普通に”接してくれる唯一の友達。こいつに出会ったことが、オレにとっては何よりの幸運だった。

 しかも料理が上手い。今日食った弁当だって、あいつが作ってくれたものだ。

「ありもので作っただけだし、具だってふりかけで、大した物じゃないけど」

 いいや、なんだって、美味いものは美味い。


―――


 翌週の日曜日。オレ達は出かけることにした。どうしても山の上からあの街を描いてみたい。そう言ったら、シュウトが提案してくれた。街の裏にある小高い山。スケッチブックと鉛筆、消しゴム、それから色々なものを詰め込んだリュックを背負って出る。

 街の中では相変わらず監視の視線を覚えたけど、そのうちに感じなくなった。


「登ったのなんて、小学校以来だ」

 オレも小学校に通った記憶くらいはあるはずだ。でもどうしても思い出せなかった。それも“改造”の弊害らしい。昔の記憶が無いのは残念だけど、その分、この世界は何もかもが新鮮に思える。ましてこの街では、行くところ全てが鮮やかだった。


「アキ。絵を描く以外に、もっと他にやってみたいことは無いの」

 バスを降りて、稲穂の実る田舎道を歩いて行く。途中でシュウトがそんなことを言った。やってみたいことなんていくらでもあるさ、とオレは返す。天気のわりに空気は少しだけひんやりしていて、あちこちにトンボが飛んでいた。

「アキなら、何でも出来るかもね」

 何でも出来る、か。

「やりたいことがあれば、何でも。ああ……自分達の住む世界がどれだけ平和かって、今さらに気付いた気がする」

 それはまるで、自分に言い聞かせているかのような口調だった。

「でも――」

 前を行く背中越しに、シュウトは続ける。

「不思議なものでさ。みんな、いつでも自分の置かれた境遇に満足できないんだよ。平和な世の中だって分かってても、それを基準に考えちゃうんだ」

 登り坂が続く。シュウトの息が少しだけ乱れているのがわかる。

「それに、他人と比較する。誰でもそう。アイツは普通の自分より幸せ。普通の自分より不幸。アイツは普通の自分達の基準から外れている。だから比較する。クラスの――他の人達を見てきて、分かっただろ」


「だから、普通じゃないって、僕も……僕達もそう見られた」


 オレは――そうは思わない。口には出さなかったけれど。


―――


 鉛筆を走らせる。この世界のことを少しでも理解したくて、風景を描く。街がある。海がある。海岸沿いには森と、その中には無骨な原発の建屋が見える。鉄塔、送電線の一本に至るまで、目に映る世界を見渡す。

 銃声も野火もなく、息を吸えば土のにおいがする。

 そういえば北に行っている間、日本では色々あったらしい。

 オレが思わず笑ってしまったのは、流行のオカルト話だった。曰く、99年の夏、世界が終わるらしいと。その一説の中に、取り返しの付かない戦争があって、それが勃発するかもしれないからと。

 ばかばかしいなと笑った。確かに世界はまだ不安定だ。でもこの街を見ていれば、そんなことなんて起こるはずが無いと確信できる。なにより北にいた頃、オレの周りの連中はみんな“そんな事態にならないように”という願いをもってそこにいた。


「ああ、思い出した」

 傍らのベンチに座っていたシュウトが呟いた。

「母さんに連れてきてもらったんだ。この見晴台」

 立ち上がって、近くの手すりに身をもたれる。

「あの頃はまだ、他の人達と同じように、何もかもが“普通”だったし、これからもそうなると思ってた。でも今は違う。些細なことがきっかけで、全てがズレてしまった」

 線が崩れる。消しゴムで消す。崩れた線は消せば消える。

 絵なら、いくらでもやり直しができる。現実と違って。


 悩んでいるのか、シュウト?


 子供ってのは生き方を選べないよな、と、オレは遠くを見ながら言う。

「そうだね」

 でも何があったって、オレは後ろを見たりしてないぜ。

「強いね、アキは」

 たぶん簡単な話だ。“選べなかった”ほうの人生に何があったかを考えたって、なんにもならない。なんにも面白くない。せっかくやり直しのチャンスが来たのだから、前を向くしかない。そう思っただけだ。

「普通の、存在」

 そう。せめてこれから“普通”になれるようにって。

「――僕は」


 鉛筆を持つ手を止める。


 視線を感じる。


 これは。


 ――こいつらは。

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