I
正直に白状すれば、初めて会ったときから、僕はアキと話せるタイミングを伺っていた。
理由はごく簡単。似たもの同士。自分勝手に、僕は彼のことをそんな風に見ていた。
心のどこかで、僕は期待していたのだ。
―――
ホゴカンサツショブン。一年前、僕はそんな感じのことになっていた。父親に全治二週間くらいの傷を負わせた罪でそうなった。
いつも母さんを殴ってばかりいる最低の父親だった。だから僕はそうした。結果として二人は離婚し、僕は警察の世話になって、ついでに前から休みがちだった高校はいよいよ出席日数が足りなくなって留年した。
それが良かったのか悪かったのかは今でもよく分からない。同級生の友達は3月に卒業し、僕はもういっかい三年生をやり直すハメになった。
高校はだいぶ配慮してくれて、僕が何をやったのかも黙っていてくれて、部活にも無理に入らなくていいと言ってくれた。それでももちろん周りからは奇異の目で見られたし、軽い嫌がらせもされた。
だけど僕は通い続けた。なるべく無色透明でいようとした。とにかくこの毎日を生きようとやり過ごしていた。なんとか高校だけは卒業して、普通の人間になろうと決めていたからだ。三ヶ月前に母さんが倒れた後も、僕の日常はそうして続いていた。他の人達と違う日常。
そんなある日、アキは僕の前に現れた。僕の同級生として。
―――
僕にとっては久しぶりの友達。彼にとっては初めての友達。
「絵を描いてんだよ。趣味ってのを作ってみたくてさ」
アキはそう言って笑った。海沿いに行って描いたのだという鉛筆画ははっきりいってヘタクソだった。聞けば、左手でものを書く練習代わりにもなっているらしい。
「今度は山の方に行きたいんだよな。見晴らしがいいところ、ないか?」
よく覚えてないけど、確か見晴台みたいなのはあったと思う、と告げると、今度連れて行ってくれ、とせがまれた。
「ああ、後はアレだ、料理もやってみたいな。でもこの指じゃちょっと難しいか」
アキは自分の右手をまじまじと見る。
日曜日。いつものように病院に寄ったあと、僕はアキのアパートに来た。さすがに食生活が心配になったからだ。
彼の部屋には何も無かった。電話も引かれず、引っ越しの段ボールもなく、生活用品もなく、片隅に捨て損ねたゴミ袋が転がるだけの殺風景な部屋だった。
ほとんど使われていないキッチンを借りて、僕はアキのために料理を作った。そういえば二人分の料理を作るなんてはじめてだなと、持参してきた料理本を片手にカレーを作っているところだ。
「前に食ったカレーなんて、ほとんど具が入ってなかったしな」
それから結局、僕が半人前、アキが1.5人前を平らげて、あっという間にカレー鍋は空になった。
「うまいぜシュウト。料理人になれるかも」
アキのパーカーの胸には、跳ねたカレーが染みを作っていた。
知り合ってみて分かったことがある。このライオンじみた男子は、とにかく好奇心が強かった。何を見るにしても、まるで小学生のように興味を持っていた。
次は一人で簡単に作れる料理の本でも買ってこようか、と、洗い物をしながら考える。
どたん、と後ろで音がした。
アキが倒れていた。
―――
吹くを脱がす。傷だらけの身体があらわになる。
「ごめんな」
苦しそうに身体を小さく丸め、荒い息を整えながらアキが言う。広くて頑丈そうで、僕のそれとは比べものにならないくらい大きな背中。ぼろぼろの背中。
指示されたとおりに、部屋の隅にある黒いアタッシュケースを取り出す。
注射器?
「頼む。それを、オレの、背中に」
病院で見るようなものとはぜんぜん違う、工具みたいに無骨で大きなもの。そして太い針。
「刺すだけ。それで終わり。誰でも使えるんだ、それ。で、その、こんなこと、頼むの、悪いんだけど」
アキが息を切らせて言う。
「参ったな。やっぱり調整、上手くいってないんじゃん」
何の調整? と聞く間もなく、再びアキが咳き込み、苦しそうな声を上げる。
「そこの、タオル」
部屋の隅に落ちていたしわしわのタオルを手に取って渡す。
呻きながらも、アキは震える指で、自分の脇腹あたりをちょんちょんと突く。ここに刺せと言うことだろうか。
「はんぱじゃ、ダメだ。おもい、っきり」
やるしかない。注射器を持つ僕の手も震えている。震えを必死に殺して、僕はアキに馬乗りになる。
「オレのこと、たすけると、おもっ、て、さ」
言って、アキはタオルを口に咥えた。僕も覚悟を決めた。
注射器を振りかぶる。そして振り下ろす。どすん、と鈍い手応え。タオルごしの苦悶の声が部屋中に響く。
絶命寸前の猛獣のように、アキはその場でしばらく暴れ、やがて大人しくなった。
―――
「普通じゃないよな、オレ」
噂はあった。僕もそれは分かっていた。
「とっくに気付いてんだと思ってるけどさ。“北奥羽”にいたんだ、オレ」
手慣れた手つきで自分の脇腹に止血帯を当てたアキが、シャツに袖を通しながら言った。
「あんまり詳しいことは言うなって言われてる。でもシュウトならいいかなって」
――遠い国の話みたいに思っていた。
県からさらに北へ先、かつて北奥羽、あるいは単に“北側”と呼ばれた地方。僕らの住む『日本』と、それから『連邦』の領地の――国境と国境の間にある、ある種の無人地帯。
日本に生きる僕らにとっては、近くて遠い存在。
半世紀にも渡って、そこは異常な土地になっている。戦いとか実験とか、まるでアニメみたいなことが行われているという話。
学校で教わる歴史の授業も、そこらへんを説明するのを露骨に避けている。それはそうだろう。だってそこは歴史じゃなくて、現在進行形でそこにある“異常”なのだから。
「みんなも気付いてたんだろ」
アキについた噂。それは「“北”からやってきた転校生」ということだった。僕はどうせ大げさな与太話だろうと思った。でも、それは事実だった。
「親の事情とか、そういうのでさ、子供の頃に連れられてきて。四年か五年かな。色んなコトやってきたんだ」
色んなコト、と言葉を濁すアキ。己の掌をゆっくり開いたり閉じたり、それを見つめながら、誰に言うともなく呟く。
「べつに後悔したり誰かを恨んだりしてるわけじゃないんだよ。みんな色々事情があって、そしてオレにも事情があった。でも……なあ、シュウト、例えばお前、自分と同年代の奴が――男も女も関係なくて――それで、そいつを撃て、って言われて、撃てるか?」
視線を上げ、アキはまっすぐに僕を見た。さっきまでの無邪気な表情は消え失せていて、彼の瞳の奥にはどこか底知れない闇があった。
それって、例え話?
「そうだよ。もちろん、これは例え話。でも、あんまり他の人にはしない例え話だ」
僕は首を横に振った。すると突然、アキは両手を僕の両側頭部に添えて、その首振りを強引に止めた。
ぐっ、とアキの顔が近づく。
「こういうことなんだよ、シュウト。意思なんか関係ないんだ。そういう場所だったんだ、あそこは」
僕は心臓を無造作に掴まれる思いがした。言ってすぐ、アキは何かに気付いたのか、ぱっと手を放して自分の頭をがりがりと掻いた。
「……ごめんな。嫌な話、しちゃったな」
アキはまたいつもの表情に戻る。
「今日はもう帰った方がいいぜ。たぶん、あいつらがどっかで見てる。あんまり構うと面倒なことになるかもしれない」
アキは僕達の住む世界とは違うところからやってきた。きっと彼は、嫌われる覚悟で打ち明けてくれたんだろう。その話をしてしまったら、もう元には戻れないかもしれないと。
でもそんなのは関係ない、と僕は首をもう一度横に振った(今度は止められなかった)。むしろ正直に言ってくれて感謝さえしている。その告白は僕にとって何より嬉しいことだ。
「シュウト、お前」
おかしなことに、僕の胸は高鳴っていた。
どこから来たのだろうが、アキは僕の友達だ。
「ありがとな」
――そう。
彼は普通じゃない。この日常にあって、僕よりも普通じゃない。
やっと見つけた、僕の、理想の友達。
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