秋からの友達

黒周ダイスケ

L

「いいとこだよ。こうして見下ろせば、そこに街があって、人がいる。どこかから銃声が聞こえることもないし、毎日のように人が死ぬこともない」


 屋上。フェンスごしに見える景色を見て、彼は呟いた。

 小高い丘の上。街があって、その向こうに海が見える。僕にとっては見慣れた景色。でも、彼にとってはそうじゃない。

 望んでいた、憧れの“普通の”風景なのだと。


 スケッチブックに目を移し、彼は――アキは、鉛筆を走らせる。使い慣れていない左手で、不器用に。


「なあシュウト」

 名前を呼ばれ、僕は応える。

「毎日学校に行って、のんびりと昼飯を食べて、それで、お前みたいな友達がいる」

 スケッチブックから目を離し、アキは僕に視線を移した。


「こんな普通の毎日があるって、すげー幸せなんだ。できることなら、ずっと続けばいいって思ってたんだぜ」


―――


 ――1998年9月。夏休みが終わって数日。残暑の厳しい毎日。

 そんな中途半端な時期に、彼は現れた。


 季節外れの転校生。


 片田舎の公立高校で退屈な毎日を過ごしていた生徒達にとってそれは刺激的で、転校当日は隣のクラスや、一、二年のクラスからも見物人が押し寄せるほどだった。


 けれど、結論から言えば、彼は人気者になれなかった。


 理由はいくつかある。

 ひとつはその風貌だ。端正な顔立ち、白髪交じりの髪に、190cmはあろうかという長身。屈強な体躯。それは僕らにとっては――みんなだけじゃない、僕自身も――圧倒されるほどのインパクトだった。

 ふたつめは彼が無口だったということ。後にそれは単に奥手なだけだったと判明するのだけど、とにかく彼は人付き合いがヘタクソだった。

 みっつめは年齢。簡単に言えば、彼はみんなよりも一歳年上だった。他の高校ではどうか知らないけれど、少なくともこんな田舎の高校では、それだけでも奇異な目で見られるのに充分だった。

 何の変哲もないクラスメイト達と比較して、彼は“普通ではなかった”のだ。


 さらに彼は右手の小指と薬指が欠損していた。それに、よく見ると、肌のあちこちに傷があった。

 それを裏付けるように、彼にはある噂があった。ここに来る前にどこにいたか、という噂だ。もっともその噂の真相を――僕は後に知ることになるのだけど。


 ……つまり、まあ、それだけ悪目立ちする特徴を持った彼だから……人気者どころか学校中のみんなから畏れられるようになるのに、時間にして二週間もかからなかった。


 傷だらけのライオン。それが、アキを見た僕の第一印象だ。


―――


 10月のある日。天気は雨。下校のチャイムと共に僕はクラスを出る。中練のトレーニングに精を出すユニフォーム姿の男子生徒、お喋りしながら部室へと歩く女子生徒、そんな人達の隙間を縫うように僕は早足で下駄箱に向かう。

 この高校には生徒全員が部活に入らなければならないという校則があった。でも、僕と――それから、アキだけは別だ。中間試験時期でもないのにそれを許されている。だから授業終わりは余計に浮く。もう慣れたけれど。


 傘はあった。さすがにもういたずらで隠されたりはしていないみたいだ。


 学校を後にして、徒歩二十分の病院へ向かう。

 病室の母さんはよく眠っていた。起こしますか? と看護婦さんに言われたけれど、断った。着替えと洗濯物を代えて、バッグに詰めて病院を出る。


 こんな生活がもう半年。普通の高校生と比べれば変わっている毎日。でも、今はこれが僕の日常。いつものように病院へ寄り、いつものようにスーパーで買い物をする。

 

 その日はちょっと違っていた。


 スーパーから出た時、僕は見た。同じ制服に身を包んだ、あの巨躯の男子を。


―――


 アキの買い物袋には大量のカップ麺と2Lのウーロン茶。不健康きわまりない食事。

 思わず僕は笑ってしまった。

「いや、オレ、自炊とかしたことないからさ……」

 頭をがりがりと掻きながら、アキはどこかばつが悪そうな表情を見せた。向こうからしてみれば、同じクラスというだけで縁の無い男子がいきなり食事内容にツッコミを入れてきたわけで……今思えば、よく怒らなかったと思う。

「ああ、お前は料理作れるのか。すげーな」

 同じように僕の買い物袋をのぞき込んだアキが呟く。味噌味の袋ラーメンに一人用サイズの野菜。お買い得品の豚肉。一人で作る料理なんて簡単に済ませているし、これで料理なんて言われても困るけれど、アキの目には新鮮に映ったらしい。

 さらによく見ると、アキの肩はずぶ濡れだった。傘の大きさが身体と合ってないらしい。


 ふと、誰かの視線に気付く。買い物客が行き交うスーパーを見渡す。学校の人間じゃない。もっと異質な、何かの。気のせい?


 それから、帰り道を途中まで一緒に歩く。相変わらず誰かの視線があったりなかったりはしたけど、アキはまるで気にしていないので、こちらも気にしないことにした。


「……こういうことを言うのもアレだけどさ。お前、大丈夫なの」

 不意にアキはそんなことを口にした。何が? と返すと、アキは目をそらし、傘を持ってないほうの右手でまた頭を掻いた。ごつごつとした手。指が三本しかない、みんなが驚いた、異形の手。でも僕は不思議と、怖いとか、そういう感情を抱くことはなかった。

 そして彼は低く小さな声で、こう言った。

「ほら、オレなんかといるとさ、その……学校のみんなに見られたりしたら迷惑になるんじゃないかって」


 なるほど、そういうことか。少し考えてから、隣を歩くアキを見上げた。

 僕の身長が小さいのもあるけれど、とにかく彼は大きかった。


 アキは自分がどう見られているのか、もちろん知っていたのだ。こんな自分が声をかければ、そいつも同じようになってしまうだろうと。


 全然気にしていない。

 なぜなら、僕もアキと同じようなものだから。

 僕はそう言って笑った。


 10月の雨の日。それは、僕とアキが友達になった最初の日だった。

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