私の幼少期その1

私が生まれてから、しばらく母方の祖母の友人だったというお婆さんのお家(お寺でした)に、住んでいました。

私が生まれたとき、既にお婆さんは亡くなっていました。

父は、お婆さんが、老人ホームへ行くと言ったときに猛反対したそうですが、兄を跡取りに。そう告げて行った数カ月後、亡くなったそうです。


父は、私にいつも語っていました。

お婆さんは跡取りと喜んでくれたのに、おばあさんには何一つ恩返しが出来なかったと。

私が幼稚園の年少の時に、そこに出向していた坊さんに、お前らはここにはもう住めないから、出ていけ。

そう言われ、なす術なく、引っ越します。


それまで住んでいたお寺の周囲にも、我が家を貶めて喜んでいる人はたくさんいました。

その人達の最期は壮絶だったと、話を聞いています。


結局そのお寺は跡形もなく壊され、今は町の物となっていますが、それに関わった人も、えっ?という死に方をしたりしているそうです。


とにかく私の生まれてから、記憶に存在する出来事の中で、大事にしなければならない人が少なかった事にびっくりしています。


幼稚園に入り、集団行動が得意ではない私は、事あるごとに幼稚園の先生が心配し、母に相談をしていたそうです。


それは、絵にも現れていたそうです。

みんなは明るい色で楽しそうな絵を書くのですが、私だけが何故か暗い色を好んで使い、絵の中に人間が出て来ない。

何か、家で問題はありませんか?と、年長の担任が母に言ったという話も中学卒業後に話しました。


うちに問題は無いわけではありませんが、私の記憶の中に、怖いと感じていたものは、大人でした。


年長の担任は、私の母が踊れないのをわかっていて、授業参観に、ダンスをする授業を選びました。

先生に、踊れない母の事を話すのですが、無視。


そして、当日。

みんなの前で晒されます。

〇〇ちゃんのお母さんは踊れません。可哀想なので、先生が一緒に踊ってあげてもいいですか〜?


その言葉に嫌気が差した私は、その授業をボイコットします。母から離れず、先生が呼ぶのも振り払って、ずっと母に寄り添い、悔しくて泣いていました。


このような大人があまりに多すぎた事もあり、私は大人が嫌いでした。

それも相まって、絵の色彩にも、出たのだと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る