ゲームづくりは、死ぬほどツラい!

おとき

第1話

「もうこれで大丈夫じゃないかな」



 一通りテストプレイを終えたプロデューサーの武山たけやまが、虚ろな目をしたまま静かに呟く。


 パーティションで仕切られた向こう側に、人はいない。就業時間は既に過ぎていたが、こちら側のメンバーは全員残っていた。ようやくの終了宣言を聞いた脳が、僕の嗅覚を取り戻してくれる。


 長く換気がされていないせいか、人肌程度に温められた気持ちの悪い空気が鼻にまとわりついていた。眠気と集中を欠いてるせいかもしれないなと、慣れた思考が走っていく。



「このバージョンで提出ROMをビルドしますね」と、村井むらいが誰にでもなく話している。

 目の前の巨大な縦型ディスプレイに写った『リフレクター・ミラージュ』の全身モデルを満足そうに眺め終えると、彼は横のPCを操作する。僕は自席でその声を聞きながら、提出用のフォルダをアップロードサイトに作成し始めた。



「提出作業は自分がやっておきます。今日はもうみんなあがってください」


「すいません、いつも」



 村井はPCに向かっていた視線を僕に向けると、申し訳なさそうに声を上げる。実際、彼一人でビルド後の動作チェック、提出作業と先方連絡を済ませるのは造作もない。だが新卒の彼を残したまま帰社するのは、居心地が悪かった。



「じゃあ、お先に」



 武山はそう言うと、サッと荷物をまとめて席を立つ。残りのメンバーも互いに労いの言葉をかけることもなく、非常階段を降りて帰っていった。この時間ではエレベーターは電源を落とされている。静まり返ったエレベーターホールにある自動販売機が、それでもしっかりと中身を冷蔵してるのだろう。ジィーと鳴り続ける不気味な音が、遠くから木霊していた。


 ビルド操作を終えて、あとは待つだけになった村井が壁に貼られている『リフレクター・ミラージュ』のポスターをぼんやりと目で追っている。その先には日付を跨いだ時計があった。チリチリと稼働ランプが瞬く開発機材に囲まれながら、それでも彼は安堵の笑みを浮かべていた。



「今日は少しだけ、いつもより早かったですね」


「少しだけね」と僕は言った。「少しだけっていうのが、結構難しいんだよ」




 * * *




Niagaraナイアガラ』を使ったゲーム開発は、6年ほど前から始まった。特殊な3つのカメラとマイクが人体の動きと速度を取得し、音声入力もできる。人間の動きを使ってゲーム操作できるという触れ込みだった。



「こういうハードって、昔あったんだよねえ」と、武山が届いた『Niagaraナイアガラ』の箱を開ける。


「デモ版では簡単なモーションキャプチャ機能とダンスゲームができるみたいですね」



 武山がパッケージの説明を読む隣で、僕は付属のCD-ROMをインストールしてPCで『Niagaraナイアガラ』が使えるように支度する。



「でっかい鏡みたいな画面にさ、自分の姿が映って3Dホログラムが出てくるっていうやつ。科学体験館みたいな所に行くとあったよね。やったことない?」



 手を使ってマウスカーソルを動かしてみる、プレイヤーの動きに合わせてゲーム内のキャラクターを動かしてみる。ナチュラル・ユーザーインターフェイスなんて言葉が使われ始めたのも、ちょうどこの時期からだった。


 このゲームはバーチャルな世界にプレイヤーをダイブさせるVR(バーチャル・リアリティ)なのか、それとも現実世界にバーチャルを重ねるAR(拡張現実)なのか!と論じられ始める……。

 皆がこの技術の限界を模索し、「できること」と「できないこと」を見つけていく。その過程で生まれた幾重の失敗すらも楽しんでいた時に、その話はやってきた。


 週末朝の人気ヒーロー番組『リフレクター・ミラージュ』と『Niagaraナイアガラ』を使った、子ども向けヒーロー体験ゲームの制作依頼。


 計画されていたのは、全国2000を超えるショッピングモールでの設置と年間10億円の売上目標。そして、既に稼働予定日は2年後のクリスマス商戦と定められていた。



 ――鏡は悟りの具にあらず、迷ひの具なり



 僕はまだこの話が「できること」の範囲にあると思っていた。大量に購入した『Niagaraナイアガラ』の開けたての箱から湧いたシンナーの臭いが、ずっと鼻から取れないような気がした。




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