第2話 歌姫の手を取って
夜、足場の悪い森の中をさらに進む内に、彼はそれに気づいて足を止め身を隠す。視線の先はやや開けた場所で、月の光が差し込んでいる。そこに佇むのはおそらく帝国の機体と思われる機兵、そしてその周りで何事かの作業を行っている帝国兵ではないシルエットと、何らかの手段で拘束されているらしき、少女と言えるシルエット。距離があり、うまく状況が掴めない。ポケットから小型の単眼鏡を取り出し、改めてそちらを見る。
月明かりに照らされた、美しい少女の全裸が大映りで目に飛び込んできた。
慌てて視線を変え、周囲を確認する。少女の周りで動いている人々は彼女に何らかの機器を取り付け、調査を行おうとしているようだ。その配線は機兵につながっている。機兵は分厚い装甲に覆われており、そのシルエットはフォッシュに似ているだろうか。しかしあの重機兵に比べると腕・足のフレームは細く長い、それを補う様に腕と足の装甲は伸長され、厚みを増し、機動力に問題があるような印象さえ与えてくる。操縦槽から伸びていると思われる配線を追うと、例の少女にたどり着く。今度は気構えしていたので狼狽えずに観察することができた。
こちらに正面を向けるように、手足を大の字に伸ばした状態で拘束されている。服と言えるようなものは身に纏っておらず、年若い娘の健康的な肌が風晒しになっていた。件の配線は彼女の体の背面に回り込んでいる様で、どのような状況になっているのかは推し量るしかない。正面を改めて観察する。足、腹、腕に妙な仕掛けがあるような様子はなし。胸に目をやるが彼が頬を赤らめる様な光景はそこにはなく、胸部の中心に1本のケーブルが繋がれていた。単眼鏡をエーテル探査モードに切り替えると、全体が緑色に染まった視野の中で、ケーブルから高い濃度のエーテルが漏れていることが判る。
意識は無い様で、俯き気味になっている表情は見えない。白金色の長い髪が風に揺れた。
単眼鏡を外し、一度目を閉じて考える。あいつらが帝国にせよなんにせよ、あの少女にろくでもない事をしようとしているのは間違いないだろう。だが同時に、現状はとてもまずい。連中がどこの誰であれ、見られたくない場所であろう事は間違いないからだ。一人対機兵つき部隊。どちらが勝つかなど考えるまでもない。しかし今は気づかれていない。今なら気取られない様に迂回することは十分に可能だ。隊に合流して報告すれば、威力偵察は行われるはずだ、何も危険を冒す必要はこれっぽっちもない。
―もし、見捨てたらあの女の子はどうなる。
葛藤は突然の怒声にかき消される。一瞬見つかったかと周囲を警戒するが、謎の集団がこちらに気づいている様子はなく、代わりに何人かがあらぬ方向を見て何か叫んでいる。咄嗟に単眼鏡をもう一度目に当て、そちらを見ようとした時、紫電が視界を覆った。単眼鏡を目から離せたのは訓練のなせる業だろう。改めて単眼鏡をのぞき込むと、翼のない小型の竜のような魔獣の群れが、謎の集団に襲い掛かっていた。
「ティールテイル……?あの体色は……見た事無いな、それに、角……?」
青と白の鱗に覆われた二足歩行の小型竜が誰彼構わず襲い掛かる。その中で一匹、ひときわ大きな角を持つ個体が頭ごとその角を天高く振り上げた。頭部後方に伸びた襟巻が紫電を纏い、それが額から伸びた角を伝って放出される。その直撃を受けた軽鎧姿の男が痙攣しながら倒れ、それにティールテイル達が群がった。生きたまま貪り食われる悲鳴が響く。状況の混乱は今こそ致命的だが、すぐに収まるだろう。思った時にはもう駆けだしていた。
慌ててハッチを開けたばかりの四つ足のトゥンナンが目に入る。入り込もうとしていた男の首を背後から貫き、動脈と気道を一度に切り開く。溢れた血が気道に逆流した男は悲鳴を上げる事もできず倒れた。ふと倒れた男の着ているサーコートの紋章が目に入る。半欠けになった歯車。
「っ……メカニカ!?」
メカニカ……古の技術を用い、その力によって悪事を行う邪教の印がそこに記されていた、ならば、あの少女も或いは。彼の脳裏に様々な最悪の事態の図が浮かび、そのどれもがあり得るように見えた。
「……やらせるもんか」
メカニカの印が入った、正体不明の従機の操縦席に座る。操作自体はトゥンナンとほぼ変わらないようだ。ありがたい、と胸の内で呟きつつ集中し、魔道炉に魔力を注ぎ込む、励起した魔道炉が変換炉にエーテルを注ぎ込み、機体に火が入る。扱う者や組織がどうであれ、いつの時代、どの場所でも機械は機械でしかない。そこに主義主張も、善悪も、教義もないのだ。
先端に車輪のついた脚部が軽く機体を持ち上げ、次の瞬間従機は一気に加速してハンガーを飛び出した。暴れまわるティールテイルを跳ね飛ばし、急な駆動音に振り向きかけたメカニカの人間を吹っ飛ばして、彼と従機はまだ人の密度の濃い所、すなわち、少女と機兵の所へと突っ込んでいく。
速度と質量にものを言わせ、当たるを幸い跳ね飛ばし、薙ぎ払う。味方の筈の従機に攻撃されたメカニカは更なる混乱に見舞われた。こちらへ近づこうとした何機かのトゥンナン……おそらく作業用であろう機体を姿勢の低さを利用して転がす。足の一本でも曲がっていれば儲けものだ。拘束されたままの少女が近づいてくる。おそらく緊急で移動させようというのだろう、何人かのメカニカが彼女につながれたケーブルを取り外している。好都合だとさらに加速し、勢いを殺さぬまま腕を広げ、何人かのメカニカを纏めて薙ぎ払う。従機から降り、彼女を戒める鎖に剣を突き立て、強引に叩き割る。いつものショートソードではなく、刃の厚いグラディウスであった事が幸いした。ぐらり、と落ちてくる彼女を正面から受け止める。年頃の娘の柔らかい肌を直に感じるのは彼にとって初めての事だが、その感触や温かさを十全に楽しむ余裕は現在全くない。
「ごめん!」
相手の意識が無い事を理解しつつそういうと、彼は少女の膝裏と脇下に腕を回して持ち上げる。すぐに従機に戻ろうと振り向いた所で、従機が爆発した。咄嗟に少女を庇い、背に爆風と衝撃を受ける。大きめの破片が当たったのだろう、一瞬呼吸ができなくなる。後ろを振り返ると、頭から足まで一通りそろった機体が、先ほどまで乗っていた従機を破壊した所だった。破壊した側の機体も、機兵というには小さい。階級として従機だろう。頭部に内蔵された単眼が、鈍い光を発した。
『混乱の中で事を起こすとは大した胆力だな、コソドロ』
機体のスピーカーを使っているのだろう、くぐもった声が一つ目の従機から発せられた。
『だが、いかんせんツメが甘かった、花嫁は返してもらうぞ』
こちらに向けて伸ばされる従機の腕を、腕の中に少女を抱えたまま避ける。人型である以上、腕の動きは利点も欠点も人間と同じだ。つまり、外への動きには割と自由に動かせるが、内向きへの動きには体自体が障害となり制限がかかる。機体の空いている手は右手、敵機の左手側をあらん限りの力で走り抜ける。こちらを捕らえそこなった機体はすぐに振り向くだろう、果たして次は追跡か、それとも。
そう考えている内に少し離れたところに着弾の砂煙が上がった、あの機体は携行火器を持っていない、となれば内臓式の小口径銃。機兵が相手なら牽制程度の役にしかたたない迎撃武装だが、生身の人間が相手なら話は違ってくる。まして「返してもらう」と言っていた少女が腕の中にいるのに撃ってくるあたり、割り切りの良い操手が乗っているようだ。
* * *
騒音と悲鳴が織りなす不協和音の中で、彼女の意識は戻った。目を開けると、文字通り息がかかる程近くに、年若い男の顔。赤髪が揺れ、左目に被さるような傷跡が見え隠れしている。周りに響く絶え間ない悲鳴と爆音、炸裂音、派手に上がる砂煙。横抱きに抱かれて、何かに追われている。それだけは理解した。ほぼ本能に従う様に、彼女は「それ」の位置を探る。機体とのリンクは切れていない、間近にあるというのに、妨害されて近づけていない。
「ねぇ」
自らを抱き上げて走る青年に、声をかけた。
「少しだけ、逃げ切って」
それだけ言うと、彼女は目を閉じ「歌」を紡ぐ。戦場に似つかわしくない、可愛らしい声が澄んだ調べを奏でる。
-エーテルタンク内残量を可能な限り機体内へ《-A remaining amount in the ethereal tank, to the possible limit machine interior of the body.》
-変換炉へエーテルの強制注入開始《The compulsion inculcation starting which is ether to a-change furnace》
-機体制御系をパッシブからアクティブへ《A fuselage control system, it's to an activist from passiveness.》
-魔導路励起状態を維持、補助タンク内残存燃料30%《magica excitation state, remains fuel 30% in the maintenance and the additional tank》
彼女の発する「声」が「歌」となり、その機体を可動状態にした。ごうん、と金属同士がぶつかる音が響き、獲物を追う側だったはずの一つ目従機が吹っ飛ばされる。
「これは……?」
青年が訳が分からない、と言いたげに口を開く。そんな彼を無視するかのように、彼女に繋がれていた機兵が膠着状態をとった。
「乗って」
何が何だか判らないが、ぜいたくを言ってられる余裕もない、と理解しているのだろう。青年は、少女に促されるままその機体に飛び乗った。
* * *
機体の操縦槽に飛び込むと、それが当然であるかのように、彼女は後方の副操手席に座り込む。それを不思議に思う余裕すら、彼には無かった。空いている主操手席に潜り込むと。呼吸を整える。機兵と言えど基本は従機と同じだ。機兵を小型、簡略化したのが従兵なのだから当然だが。規模が違うだけで基本的なやり方は変わらない。魔導炉を起動させ、転換炉へ魔力が送られるようにする。
「ねぇ」
背後からかけられる声に振り返り、後席の少女が裸だという事を再確認して、慌てて前を向きなおす。
「いい、今は、恥ずかしがってる状況じゃないから」
後席との通信モニタに、彼女の顔が映る。恥ずかしがっている状況じゃない、と言いつつその頬は桜色に染まっていた。幸いにも、というか残念なことに、というか、鎖骨より下は映像取得の範囲外で見えやしなかった。
「えぇと、なに……?」
「名前……教えてくれないと、いざという時反応が遅れる」
操縦槽の入り口を閉じると、それに応じるように周囲が明るくなり、外の様子が映し出された。燃え盛る物資と、混乱が続く状況、ティールテイルが走り回り、吹っ飛ばした一つ目従機がゆっくりと立ち上がる。
「リヒト、リヒト・フォン・オプファーベル」
「わかった、リヒト。私はトゥエニィ」
映像の中で、まだ頬を染めたまま。彼女は微笑む。
「私の命、預けるね」
彼女の声に従う様に、機体が立ち上がった。
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