第10話 NEW ENVIRONMENT


「なんだか懐かしく感じるなあ」

「修行してた分、マイメんは余計そう感じるだろうな」


そう言ってイチノクニ学院までの通学路を歩くのは、李空と卓男の二人であった。


『TEENAGE STRUGGLE』第一試合があった日から数えて二日目の朝。

墨桜家で一日お世話になった後、美波の才で壱ノ国に戻り、各自一日の休暇をとった次の日である。


李空に関しては、大会の1週間前から籠りきりで修行に励んでいたため、随分と久方ぶりの登校となる。


「り〜っくん!」

「おぅびっくりした。真夏か」


背後からやって来た小さな影が、ぴょんぴょんと跳ねながら抱きついてくる。

首だけ後ろを向いて表情を確認したところ、満面の笑みであった。


どうやら彼女、晴乃智真夏はご機嫌らしい。


「ひさしぶりのガッコーリックンだ!」

「なんだよ、その弱いモンスターみたいな名前は」

「学院に通う時のりっくんだよ!」

「他のリックンもいるのか?」

「いっぱいいるよ!タタカウリックンにゴックンリックン!」

「倒しても経験値低そうなのばっかだな・・」


何気ない会話に。笑顔の真夏に。テンパって口ごもる卓男。

李空にとっては見慣れた、日常のピースたちが作り出す光景。


そんないつも通りの朝が、空に浮かぶ雲のようにゆっくりと流れていく。


しかし、そんな日常とはかけ離れた、非日常の代表ともいえる大会。

『TEENAGE STRUGGLE』は既に始まっている。


イレギュラーはレギュラーよりもエネルギーが高いのが、この世の常というものだ。


李空にとっての日の常は、十代が生み出す膨大な力の前にはあまりにも無力で。


いとも簡単に侵され、自身の力をも呑み込んで、その姿を自在に変えるのだった。




西の親 クラス『玄』


「おはようさ〜ん」


相も変わらず、やる気のあまり感じられない中年の男性教師が、教室にやって来て呼びかける。


まばらな生徒の中には、李空、真夏、卓男の3人の姿も確認できた。

国代表の大会に出たとあっても、その事実は一般には秘匿されており、3人が学院の落ちこぼれであることは変わらないのであった。


「ああ、そうだ。今日は発表があるぞ」


「入って〜」と、教室の入り口に向けて合図を出す教師。

それに合わせて、生徒の視線も集中する。


して、そこから現れたのは、


「おはよ───」

「え!ごーどーさん!?」


壱ノ国代表監督。剛堂盛貴であった。


真夏の声に挨拶を遮られてしまい、少し恥ずかしそうに教壇へと向かう。


「剛堂だ。今日からこのクラスを担当することになった。よろしく」


剛堂の発表に、真夏は目を見開き、李空は目を丸くし、卓男は何故か目を回している。

きっと、怒涛の展開に頭が追いついていないのだろう。


「剛堂は先日までウチの生徒だったが、20歳になり卒業し、先生になった。本来なら他のクラスになるはずだったが、本人の希望でここの担当になったわけだ。全く物好きもいたもんだな」

「別に大した理由はないですよ。ともあれよろしくお願いします」


頭を下げる剛堂に、まばらな拍手が送られる。


さてさて、これだけでも卓男が目を回すほどの衝撃であったが、非日常の暴力はこれで止まらなかった。


「ああ、それともう一つ。発表があるぞ」


「入って〜」と、再び教室の入り口に向けて合図を出す教師。

それに合わせて、生徒の視線も今一度集中する。


して、そこから現れたのは。


「お───」

「きょうちゃん!?」


墨桜京夜であった。


イチノクニ学院の制服を身に纏った京夜の登場に、真夏は思わず立ち上がり、声をあげる。


李空に関しても驚きは相当のようで、開いた口が塞がらない様子だ。


卓男に関しては、


「ぼくの、僕の存在意義がああ・・・」


と、ひどくうなだれていた。


「なんだ、お前ら知り合いか?」


教師が呼びかけ、真夏が首をブンブンと縦に振る。


「りっくんは真夏のおさななじみだよ!」

「またか・・。お前、人類皆幼馴染とか言い出さないだろうな・・・」


男性教師が苦笑を浮かべ、真夏が満面の笑みを浮かべる。

予想通りのリアクションに剛堂は豪快に笑い、京夜は相変わらずの無表情のまま、


「よろしく」


と、端的に伝え、空いている席へと向かった。


「よし、発表終わり。授業始めるぞ」


男性教師が呼びかけ、剛堂が資料を取り出す。

どうやら、教師としては新米である剛堂は、アシスタント的な役割を担うらしい。


李空に京夜に剛堂。それと真夏に、おまけで卓男。


国の代表として闘うメンバーが5人も集まっていることを隠して、落ちこぼれクラスの「玄」は、通常運行を開始した。




───イチノクニ学院 食堂


午前の授業を終え、食堂は若い活気に溢れていた。


「きょうちゃん!どうして学院に!?」


4人掛けの席で真夏が疑問を呈する。

同じ席に腰掛けるのは李空、京夜、卓男の3人だ。


「李空の提案でな」と、京夜。


その発言で、真夏と卓男の視線が李空に集まる。

当の本人である李空は、「なんのことだ?」と、首を傾げた。


暫しの思考の後、ハッと気づく。


それは墨桜家にお世話になった日の夜。


悩む京夜に投げかけた、李空のある言葉。


"それなら一つ我儘を言ってみるといい"


思い当たる出来事といえば、それくらいしかない。

つまり、京夜にとっての我儘は「イチノクニ学院に通いたい」だったわけだ。


「駄目元で言ってみたら二つ返事で了承されてな。その日の内に手続きを全部済ませてくれたよ」

「そうか・・・」


京夜の我儘がよっぽど嬉しかったのだろうな、と李空は思案する。

これが親子の溝を埋めるきっかけになれば、それに越したことはないというものだ。


「学院に編入した経緯は分かったが、なんで『玄』なんだ?」

「俺の『ブラックボックス』は、サイストラグルくらいしか使い道のない才だからな。公表しても面倒しかないと判断して、適当な才を提出しておいた」

「なるほどな」


「金」や「銀」のクラスに入ったからといって、その者の願う将来が約束されるわけではない。

上等な才の持ち主が得られるのは、あくまで豊富な選択肢なのである。


京夜にとって、「玄」以外のクラスに入るメリットは、ほとんど無いのであった。


「とにかく!これからはきょうちゃんも一緒ってことだよね!」

「ああ、そうなるな」

「そういえば宿はどうするんだ?」

「しばらくは事務所に泊まろうと思う」

「そうか」


真夏、京夜、李空の幼馴染組がテンポよく会話を弾ませる。


その様子を恨めしそうに眺めながら、


「僕に残された役割は美波さんの座標。僕は生きる印。動く点P・・・」


ブツブツとぼやき、卓男は好物の海鮮丼を次々と口に運んでいた。




───翌日。


剛堂の招集を受け、一行は事務所に集まっていた。


「よく集まってくれた。今日の本題は他でもない、次の試合の詳細が決まった」

「きたな。早く試合しとうて、うずうずしとったとこやで」


意気揚々と口を開く平吉。

しかし、剛堂はどこか優れない表情だ。


「それで、対戦相手だが・・・・肆ノ国だ」


その名に、平吉と架純の表情に影が差す。


「もう当たってもうたか・・」

「少々、運が悪いみたいやね」


その反応に、李空が思わず口を挟む。


「肆ノ国がどうかしたんですか?」

「肆ノ国は9年連続優勝中。最低オッズの最強国でありんすよ」

「せや。あそこには全勝無敗の最強の漢がおるからな」

「なんですか、その漫画みたいな設定の男」


会話を引き継ぎ、剛堂が皆に説明する。


「肆ノ国代表将 セウズ。奴の強さは桁が違う。現役時代、俺が唯一勝てなかった相手だ」

「こいつのせいで、剛堂はずっとナンバーツープレイヤーやったからな」

「平吉。余計なことは言うな」

「おーと、すまんすまん」


両手を合わせ、軽い調子で詫びを入れる平吉に、剛堂が苦く笑う。


「まあいい、とにかくだ。試合は三日後。そして、形式は『神の采』だ」

「神の采やと・・・」


何が何やら分からず、新参組は揃って首を傾げる。


「試合まであまり時間も無いし、形式上、大した対策もできない。本番まで各自調子を整えて来てくれ。地下の練習場も好きに使ってくれて構わんぞ」


一通りの説明を終え、一行は解散となった。


「剛堂、ちょっとええか」

「どうした?」


皆が部屋を後にするなか、平吉が剛堂になにやら話す。


1試合目の勝利の余韻も程々に、壱ノ国にとっての第2試合目は、すぐそこまで迫っていた。




───時は流れて、試合当日。


壱ノ国代表一行は、試合会場である零ノ国を目指し、その真上の央まで来ていた。


「皆さん見てください!」


ジャジャーン、とセルフで効果音を付けて、美波が何やら取り出す。

その手中には、赤いボールのようなものが握られていた。


「なになに!なにそれ?」


興味津々に尋ねるのは真夏。

美波と真夏は距離が近く、傍から見ると姉妹のようである。


「これは『サイポイント』って言ってね。私の『ウォードライビング』の座標の代わりになるんだよ」


そう言って、美波が城壁の内側にそれを押し付ける。

すると吸盤のようなイメージでそこに引っ付いた。


「前々から頼んでおいたのがやっと届いてね。これがあれば、貼り付けておいた場所にいつでも移動できるんだ!」

「へぇー、すごいね!」


興奮気味の美波のアホ毛が揺れて、真夏も自分のことのように嬉しそうに跳ねる。

他のメンバーも朗報だと解釈するなか、一人浮かない顔の男がいた。


「ぼくの・・僕の最後の役割がああああああ!!!」


伊藤卓男である。


李空と真夏の共通の友人という立場を、幼馴染という完全上位互換的存在の京夜に奪われ、自身の存在意義を見失っていた卓男。

自分には美波の座標という役があると無理やり言い聞かせ、ここまで何とか精神を保っていた卓男だったが、最後の支えが見事に打ち砕かれ、その場に跪いてしまった。


「あれ?私、何か悪いことをしたでしょうか?」

「大丈夫でありんすよ。オタクはMって相場が決まってるんやから」

「えむ?」


架純が横から茶々を入れ、真夏が純粋な疑問を口にする。

女性陣の役割は三姉妹の如くばっちりであった。


さてさて、卓男のことなど置いて行こうと、一行の意思が暗黙の一致を示そうかという頃。


「あっ!見つけましたよオクターさん!早く来てください!」

「え!なんでござる!?」


一人の女性がやって来て、そんなことを言い出したのだった。



「なんだかあっという間でしたね・・」


卓男を引き連れ、風のように去ってしまった女性の方を眺めて、美波が呟く。


「あいつの巻き込まれ体質は折り紙つきだな」

「クレープみたいに巻き巻きだね!」

「クレープはおしゃれすぎだろ。かといって他の料理に例えるのも料理に失礼だな・・」

「うーん。たしかに」


李空と真夏は、真面目な口調で卓男の悪口を言い合っている。


「結局今回もこの8人か。時間もないし行くぞ」


剛堂がまとめ、一行は進む。


その先にあったのはやはり、


「ここから行くのは変わらないんですね・・・」


零ノ国、唯一の入り口。ただの大きな穴であった。


「ごめんね。まだ『サイポイント』を置いてないから」


と、李空のぼやきに美波が答える。


「ということは、次からは美波さんの『ウォードライビング』で行けるんですね」

「そうだね。最後だと思って我慢して」


なんとも朗報であったが、一行のなかで唯一不満そうな人物がいた。


「えー。落ちるの楽しいのに・・・」


晴乃智真夏である。


「お前なぁ。前回も俺がいないと───」

「れっつらすとばんじー!」

「ばっ!」


話をまるで聞かず、穴の中に飛び込んだ真夏。

慌てた様子で李空が後を追う。


二人が消えていった穴を眺めて、


「マットがあるから大丈夫なのにな」


京夜は無表情のまま呟いた。




「壱ノ国代表の皆様。お久しぶりです」


マットに落ちてきた一行に向けて、零ノ国案内人コーヤが呼びかける。


挨拶もほどほどに「こちらです」と歩き出すコーヤに、一行も倣ってついて行く。

「真夏はいつも・・」とか「りっくんは・・」とか言い合っていた李空と真夏も、迷子になってはどうしようもないので、大人しく後に続いた。


「コーヤいうたっけ?一つ質問いいか?」

「はい。なんでしょう?」


コーヤのすぐ後ろを歩く平吉が、雑談ついでに尋ねる。


「いつからマットんとこでスタンバっとるんや?」

「え?」

「いや、前回も今回も穴の下で待っとったやろ。ワイらいつも遅刻ギリギリやから、長いこと待たせとるんやったら申し訳ないな思うてな」

「ああ、それなら問題ないですよ。僕は皆さんのことを

「ん?どういうことや?」

「僕の才は『千里眼』と言いまして。離れた場所でも目の前の出来事のように視ることが出来るんですよ」


そう言って、コーヤは指で丸をつくってみせた。


「この中に頭で浮かべた場所の光景が視えるんです。といっても、央を囲む城壁の関係で、範囲は央と零ノ国に絞られますけどね」

「なるほどな。せやから、前回ワイらが来たことは分かっても、その正体までは分からんかったわけか」

「そうですそうです。時間的に壱ノ国代表の皆様とも推測できたんですが・・・。その節は申し訳ありませんでした」

「全然かまへんよ」


そんな会話が聞こえてきた李空が、「ん?」と一つの疑問を抱いて近づく。


「というか。コーヤくんの才を登録すれば、美波さんの『ウォードライビング』使えるんじゃ・・・」


その言葉に皆がハッとした顔をする。

そこに、特注の『サイポイント』を穴の下のマット近くに貼り付けてきた、美波がちょうど合流し、


「どうかしましたか?」


と、疑問を投げかけた。


その天然で純粋な顔に、今更ケチをつけるのも野暮だと考え、


「なんでもない」


と、皆は口を揃えて答えた。




『央』放送ブース


「さあ、本番始まりますよ。準備してください!」


卓男を連れ出した女性、実況者のミトが、隣に座る卓男に呼びかける。

いつも通りパニック状態となった卓男は、気づいたらここ放送ブースまで連れてこられていた。


「ち、ちがうんだ。僕はオクターじゃない」


一瞬、我に返った卓男が言う。


「違うんだ・・僕は何の価値もない人間なんだ・・・・」


悲しげに呟く卓男に、ミトは何やら思案している様子。

思考がまとまったのか、やがてゆっくりと口を開いた。


「あなたがオクターさんと別人であることは知っています」

「ミトさん・・・」

「ですが、今はあなたの力が必要なんです」

「僕の力が・・」

「そうです。あなたにしか出来ないんです!」

「僕は必要な存在・・・僕にしか出来ない・・僕の居場所はここだったんだ!!」


卓男の表情がパッと明るくなり、その手がマイクに伸びる。

ミトの思惑通り、すっかりやる気になった様子だ。


「はぁ・・」


その様子を見届けたミトは、気づかれないように大きな溜息を一つ。


それは今日の明け方。

本来の実況者オクターから「楽しみにしていたイベントが中止になったから行けない」といったメッセージが届いたのだ。


予定が無くなったのに行けないとはどういうことか。

意味が分からなかったが、ミトは考えることをやめた。


それからミトは、代わりとなる人物を見つけるべく、央の街を奔走していたのだ。

その途中で運良く壱ノ国代表一行を見つけ、卓男の姿を確認したというわけだった。


「これだからオタクは・・・」

「何か言いました?」

「なんでもないですよ!」


慌てて笑顔を取り繕い、「んん」と喉の調子を整えるミト。


「それじゃあ本番いきますよ!」

「よろしくでござる!」


通常運行のパニック状態に戻った卓男と共に、いざ放送がスタートした。

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