第4話 DEADLY PREPARATION


ひどく長い間眠っていたような気がする。


「・・・・・ん」


意識が覚醒し、視界が徐々に鮮明になる。

開目一番。李空の目に飛び込んできたのは、二つの大きな山であった。


「あら。やっと目を覚ましたでありんすね」


男の潜在意識に呼びかけるような、魅惑の魔法がかかった声が、横たわる李空に語りかける。


ここは、昨日美波に連れられやってきた事務所の一室。

剛堂から大会の説明を受けた場所のさらに奥にある、敷かれた畳から「和」を感じる部屋であった。


「っ、すみません!」


自分の置かれた状況を察した李空が慌てて飛び起きる。

彼が横になっていたのは、見知らぬ女性の膝の上だったのだ。


「そんなに慌てんと。もっとゆっくりしていきなはれや」


正座する膝の上をポンポンと叩き、二度寝を促す女性。


彼女の格好は真っ赤な着物。普通に着てくれていればまだいいのだが、かなりの程度で着崩しており、胸元ははだけ、足に至っては完全な生である。

健全な男であれば、誰もが鼻の下を伸ばすことだろう。


そんな彼女の佇まいに、李空も顔を赤らめ、困ったように視線を泳がせる。


「りっくんデレデレしすぎ」

「羨ましくなんてないでござる。羨ましくなんてないでござるからな!」


そんな李空に、冷たい視線を送る2人の姿があった。

真夏と卓男である。


2人が見ていることに気づいた李空は、わざとらしく咳払いをし、辺りを見渡した。


その視界に、壁に体重を預け、立ったまま眠る平吉の姿が映る。

李空の視線に気づいたのか、平吉の目がうっすらと開いた。


「おー、李空。目え覚ましたか」

「はあ。俺、どうしてここに?」

「覚えてないんも無理ないか。気絶しとったからな」


滝壺との闘いで気を失った李空を、平吉は事務所まで背負ってきたのだ。

学院から事務所まではさほど離れていないが、息一つ乱さず運ぶ姿は、鍛えられた肉体の証であった。


「迷惑かけたみたいですみません。それでこの人たちは?」


李空が主に2人のことを指して尋ねる。


部屋には李空の他に、真夏、卓男、平吉、そして李空を介抱していた色っぽい浴衣の女性ともう1人。隅っこで膝を抱えて体育座りをしている小さな男の子の姿があった。


右手と左手にそれぞれ腹話術に用いるような人形をはめており、如何にも近寄ってくれるなといった雰囲気を醸し出している。


初めましてとなる女性と男の子の説明を求める李空の声は、次いで部屋にやってきたゴツい声によって阻まれた。


「おー!集まってるな!!」


声の主は剛堂であった。その後ろには美波の姿もあり、2人は部屋の前に不自然に置かれたホワイトボードの前に立った。


「ん?もう1人来るはずだがまだみたいだな・・」


顎を触りながら考える剛堂だったが、「まあ、いいか」と、割り切って話を始めた。


「今日集まってもらったのは他でもない。初戦の相手と試合形式が決まった」


剛堂の言葉に、平吉や李空らの目の色が変わる。


「と、その前に。初めましての面子も多いだろう。改めて自己紹介といこうか」


ごほん、と喉の調子を整え、剛堂が続ける。


「この度、壱ノ国代表の監督を務める剛堂盛貴だ。よろしく」

「かんとく!?ごーどーさんは選手じゃないの?」


手をまっすぐにあげ、驚いたように質問をするのは真夏だ。


「ああ。『繰り上がりの法則』は知ってるか?」

「くりあがりのほうそく?」


その調子から、真夏が知らないと判断した剛堂は、ホワイトボードになにやら描き始めた。


「いいか。才を授かるのは、皆平等に10の歳だ」


ホワイトボードの下部に10、20、30と10おきに数字を書き、10の真上に点を打つ。


「その10年後の20の歳。才の威力や精度は約半分に下がるんだ」


平行に引かれていた線が、20の位置でガクッと下がる。


「30の歳には更に半分。10年毎に才は弱まっていくというわけだ」


剛堂の手によって引かれる線は、最初とは比べものにならないほどの位置に下がっていた。


無論、時間経過による慣れや努力による上昇も見込めるが、法則による下り幅を上回ることはまずない。

この性質ゆえ、サイストラグルの一般的な選手生命は20まで。極めて短いのであった。


「今年の大会が始まるのが1週間後。なんの嫌味か俺の20の誕生日と同じ日だ。才の性質を鑑みても、とてもじゃないが他の猛者とは渡り合えない。ここらが潮時ってわけさ」


悔しげに話す剛堂。

しかし、李空、卓男、真夏の感想は共通して違うものだった。


(あの風貌で20手前だと・・・)

(どうみてもおっさんじゃないか)

「うそ!?おいちゃんじゃなかったの!」


1人だけ声に出してしまった真夏。


「ハハ!よく言われるよ!」


剛堂は愉快そうに笑い、結果として場は和んだ。



「晴乃智真夏です!美波ちゃんと一緒にマネージャーとして活躍する予定です!」


可愛らしく一礼し、皆が拍手を送る。


剛堂に次いで美波、平吉、李空、卓男、真夏の順で自己紹介を済ましたところだ。


「次はあちきの番やね」


なんとも言えない色気を醸し出しながら、女性座りをしていた着物の女性が立ち上がる。


真夏と美波に加えてこの女性がいたおかげで、卓男の自己紹介がこの世の終わりのようになっていたことは、言うまでもないだろう。


「あちきは借倉架純いうもんです。お見知り置きを」


優雅な礼を披露する架純。


するとどうだろうか。

気持ち程度に留められていた帯が解け、豊満なボディが露わになった。


「ぶっ!!」

「ここには痴女さんしかいないの!?」


卓男が鼻血を吹いて倒れ、真夏が驚異のスピードで李空の目を塞ぐ。


「あらあら」


当の本人である架純は、まるで恥ずかしがる素ぶりを見せず、むしろ皆の反応を楽しんでいるようだった。


「架純。あんまり自分を安売りせん方がええで」


見兼ねた平吉が着物を拾い、架純に着せる。


「あら。ワイだけの女いう意味でありんすか?」

「ちゃうわ。風紀と心は乱さぬが吉ってだけや」

「もう。素直やないんやから」


面白くなさそうに唇を尖らせるも、おとなしく着物を羽織る架純。


色気の他に年相応の可愛らしさも混じったその姿は、男をどうにかしてしまう、さながらサキュバスのようであった。


「後はみちるだな」


ひと段落つき、剛堂が部屋の隅に座る少年を指名する。


少年は、架純の自己紹介でのドタバタにも全く反応を見せず、体育座りを続けていた。

ここに呼ばれている以上、卓男や真夏といった特殊な事情がなければ、恐らくは才の相当の使い手と思われるが、何処となく人を寄せ付けない不気味さを感じる少年である。


仕方なくといった様子で立ち上がると、少年。正確には少年の両手にはめられた人形たち。もっと正確には、少年の閉ざされたままの口から、次の言葉が発せられた。


「主人の名前は犬飼みちるえ〜る!」

「主人は人見知りだから代わって我らが紹介するあ〜る!」


左と右の人形が息ぴったりに話し出す。


「主人に質問があれば受け付けるえ〜る!」

「プライベートな内容は控えるあ〜る!」

「はいはい!みちるくんは何さい?」


そんなシュールな光景に、一番に飛びついたのは真夏であった。


「主人は東の子。10歳え〜る!」

「この歳で国の代表。まさにあ〜る!」


鉄板すぎる親父ギャグに、みちるが肩を揺らす。

どうやら、笑いのツボはダジャレのようだ。


「みちるくんは私がスカウトした期待の新人ですよ!」


と、誇らしげに語るは美波。


「すごいね!美波ちゃん!」

「えへへ。そうですかね〜」


真夏の褒め言葉に、美波はポリポリと頬を掻いて、照れ臭そうにしている。


もう出番は済んだと言うように、みちるはそっと座り込み、体育座りに戻った。


「よし!全員終わったな。説明に移るぞ」


剛堂が呼びかけ、皆の視線がホワイトボードに注がれた。


「さっきも話したが大会は1週間後だ。初戦の相手は弐ノ国。それから、試合形式は『五つの砦』だ」


剛堂の発表に平吉と架純は静かに頷き、李空と真夏は仲良く首を傾げた。

ちなみに卓男は鼻血を吹いて倒れたままだ。


「そうか。今回が初めてのやつも多いし、軽く説明しとくか」


そう言うと、剛堂はペンを手に取った。


「大会は6国の総当たり戦だ。つまり全部で15試合。一日空けて試合が行われるから、1ヶ月かかる計算だ」


大柄な体からは想像がつかない丁寧な所作で、6かける6のリーグ表を書いていく。


「次に試合形式だが。毎試合ランダムな内容が適用される。まあランダムといっても、出資者たちの投票で決められているという噂だがな」


剛堂は苦笑いを浮かべて続けた。


「対戦相手と試合形式は、前日に通知される。その期間で条件に合った才の持ち主を選出し、対策することが出来るというわけだ。そして今回の『五つの砦』だが・・」

「簡単に言うとタイマンや。細かい話は当日でええやろ」

「それもそうだな」


長い話があまり得意ではない平吉が、横から口を挟む。


「それでだ。今回の試合は、今日呼んだに出場してもらうつもりだ」


剛堂の言葉に合わせ、それぞれが互いに顔を合わせる。


「5人って、4人しかいなくないですか?」


そう尋ねるのは李空。


ここにいる人物のうち、剛堂、美波、真夏、卓男については選手でないはずだ。

つまり、消去法で李空、平吉、架純、みちるの4人が出場選手と思われる。


剛堂が言う5人には、1人足りない計算だ。


「ほんとはもう1人呼んでるんだが、まだ姿が見えなくてな・・」


困ったように呟く剛堂。


ちょうどその時。


タイミングを見計らったかのように、部屋のドアがゆっくりと開いた。


「すみません。遅れました」


短く言い、入室してきたのは、李空と同じくらいの背丈の男であった。


その男の登場に、全く同じ反応を見せる者が二人。


「京夜!?」

「きょうちゃん!?」


李空と真夏である。


「・・・なんでいるんだ?」


対する男。

墨桜京夜は、二人ほどのリアクションは見せず、冷静に疑問を呈した。


「なんだ?お前ら知り合いか?」

「はい。昔よく3人で遊んでて」

「りっくんと一緒でおさななじみだよ!」


「そうかそうか」と、剛堂がどこか嬉しそうに頷く。


「京夜はコミュニケーション下手やからなあ。李空が通訳できるなら助かるで」

「そうっすか。なんかすみません」

「そういうとこやで。どこがっすか!みたいにツッコめや」

「えーと、すみません?」

「だから謝るなて・・・」


平吉の物言いに、京夜の頭上にはてなマークが浮かぶ。

京夜の不器用ゆえに誤解を招きやすい性格は、どうやら今も健在のようだ。


「きょうちゃん久しぶりだね!なんかかっこよくなった!」

「久しぶりだな。真夏は・・・ちっちゃくなったな」

「ちっちゃくないもん!きょうちゃんのいじわる!」


プイっとそっぽを向く真夏。

まるでその道のプロであるかのような手際で、京夜は真夏の機嫌を損ねてみせた。


「はあ・・また大変な日々になりそうだな・・・」


そう呟き、溜息を溢すのは李空。


しかし、その顔はどこか嬉しそうであった。



「よし。今度こそ全員揃ったことだし、作戦会議といくか」


剛堂が皆を見渡して話す。


あまり重要ではないが、架純の色気に当てられ倒れていた卓男も目を覚ましていた。

その視線は、いつの間にか増えた男、京夜に注がれている。


李空と真夏の共通の友達という、自分のポジションを脅かす存在が出現したことを、幸か不幸か、彼はまだ知らなかった。


「平吉。李空の才についての報告を頼む」

「任しとき」


剛堂と入れ替わる形で、平吉が前に立つ。

して、慣れた手つきでホワイトボードに絵や文やらを書き始めた。


「李空の才について。今んところ確認できたんは、この3つのケースや」


一つは、太一の炎を跳ね返した酸素の暴風。

二つは、炎の壁を飛び越えた驚異の跳躍。

三つは、滝壺の滝の流れを真逆に変えてみせた能力。


「そして、自ら攻撃しようとしたんは不発に終わった」


対滝壺の際、電気を送ろうと拳を突き出すも、そこからは何も生まれなかった。


「加えて、他人の才を読み取ることができる。そうやな?」


平吉の問いに、李空は頷いて見せた。


「これらの情報から、ワイの中で一つの仮説が生まれた。李空の才は、ずばりや!」


平吉のその言葉は、李空の頭にスッと入ってきた。


それは、李空の中の引っ掛かりを全て回収する話だったからだ。


「もしこの仮説通りで、なおかつ発動する才が必ず相手を負かすことができるものなら、李空は最弱であり最強の選手っちゅうわけや」


得意げに話す平吉の言葉に、李空は自分の胸が熱くなるのを感じた。


最弱にして最強。

その言葉は李空の厨二心を激しく刺激した。


「といっても才は万能やない。発動条件や制約なんかもきっとあるやろ。本来は時間をかけて検証したいとこやが時間もないしな・・」

「それなら俺から提案がある」


そう言って手を挙げたのは、剛堂だ。


「後は俺が引き受ける。幸運にも俺の才は大会までは本調子で使えるからな」

「なるほど。それはこの上ない適任やな」


よほど信頼のおける提案だったのだろう。平吉は満足げに頷くと、そのまま部屋の外に向かって歩き出した。


「話はしまいやろ。ワイはおいたまするで」

「ああ。本番頼むぞ」

「任せとき〜」


ひらひらと手を振り、部屋を後にする平吉。


「話は以上だ。透灰李空以外は帰っていいぞ」

「え、俺居残りですか?」


剛堂の呼びかけに、皆バラバラと帰っていく。

李空としては久しぶりに京夜と話したかったのだが、京夜はそのような素ぶりを一切見せず、早々と部屋を出ていった。


真夏や卓男にしても心配そうにはしていたが、時間も時間であるため、結局帰ってしまった。


最後に美波もいなくなり、誰もいなくなった部屋で、


「ふん!」


剛堂は突然、畳の一枚を豪快に剥がした。


「・・えーと。何してるんですか?」

「まあついて来い」


するとどうだろう。

畳の下に地下へと続く階段が現れたではないか。


「さあ李空。これから楽しい楽しい修行の時間だぞ」

「笑顔が怖いんですけど・・・」


これ以上ない嫌な予感を抱きながら。李空はぶるりと武者震いをして、階段を下りる剛堂の後に続いた。



畳の下に現れた階段の先。開けた空間の中央には、学院のものよりも少し大きい、サイストグル用の特設リングが一つあった。


「さあ李空。楽しい修行の始まりだ」

「だから笑顔が怖いですって」


一足先にリングに上がり、構える剛堂。

その顔は戦闘へのワクワクが隠せないといった様子で、彼の闘争本能が滲み出ているようだった。


「さて、修行をするにあたり、まずは俺の才を紹介しよう」


そう言うと、剛堂はパチンと指を鳴らした。

その音を合図に、何処からかアタッシュケースが出現。どういう原理か、剛堂の目の前に浮いている。


それを慣れた手つきで開くと、綺麗に並べられた片手サイズのメモリのようなものが露わになった。

その内の一つを手にとって、剛堂が続ける。


「このメモリには他人の才が封じ込められている」

「才を封じる?」

「ああ、正しくは『才の情報を』だな」


そこまで言うと、剛堂は手に持っていたメモリを


「ちょっと!何してるんすか!?」


驚く李空をよそに、剛堂はを手に取り、またしても口に入れた。

バリボリと噛み砕き、最後まで美味しく頂くと、剛堂は体の前で一度手を合わせ、その後、手のひらを上にして開いた。


するとどうだろう。

右の手には火柱が。左の手には水柱が。それぞれ発生したではないか。


「俺の才は『チーミング』と言ってな。一度手合わせした相手の才をメモリとして保存し、そのメモリを食らうことで、才を借りることが出来るんだ。一度に最大で二つまで使用可能だ」


剛堂の説明を聞き、李空は目を輝かせた。


持つ者と待たざる者で0と100ほどの差がある才を、二つ同時に使える。

さらに相手によって選択が可能ときた。


実戦経験でいうと素人である李空から見ても、強力な才であることは一目瞭然であった。


「メモリは一度しか使えず、一つにつき制限時間は3分。いざと言う時に備えてメモリを貯めてきたが、俺にはもう時間がない。この全てを李空。お前の経験値として消費するつもりだ」

「なるほど。そういうことですか」


平吉が李空の件を剛堂に託したのは、彼の才やタイムリミットが近いといった状況を全て考慮したうえでの判断だったわけだ。


「さて、俺が貯めに貯めたメモリの数は、じつにを超える」

「1000!?」

「ああ。これから1週間。お前にはここで千人分の才と対峙してもらう」

「あのー、学院は・・」

「なに心配ない。学院には俺から連絡しておく。『央』からの要請ということにしておけば学院も断れないからな。休み放題だ」


ガハハ、と笑ってみせる剛堂。


未知数だった才の概要が判明したことで、李空にもチャンスがあることが分かった。

しかし、まだ圧倒的に足りないものがある。経験だ。


才を授かってから5年。それだけの期間を埋めるには、これくらいの荒行時が丁度いいのかもしれない。


「時間が惜しい。早速はじめるぞ」

「やるしかないみたいですね」


薄く笑い、李空も構える。


5年の空白を取り戻すための修行。


剛堂との千人組手が、いざスタートした。

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