第3話 TRY AND ERROR


翌日。放課後の時間に、李空はイチノクニ学院の第一体育館を訪れていた。


グラウンドと同じく全部で5つある体育館の内、最も広いここ第一体育館で行われるは、サイストラグル部の練習である。

特設のリングがいくつも設置され、活気の溢れる声と共に、練習に励む生徒の姿が見て取れた。


「軒坂平吉ってのはどいつだ?」


その入り口から覗き込む李空は、言い慣れない名前を口にした。


昨日、剛堂が言っていた軒坂平吉なる人物に会うため、李空は朝から動いていたのだ。


その成果として、その男がサイストラグル部に所属していることが判明した。

なんでも、エリート集団であるサイストラグル部の部長を務めるスーパースターらしい。


ちなみに捜索活動は卓男と一緒に行なっていたのだが、途中で担任の教師と遭遇し、昨日のサボりの件を餌に雑用を押し付けられていた。

李空に関しては朝一番に謝罪をしていた為、免除となった。


落ちこぼれの「玄」故に規則はゆるく、その辺のさじ加減は教師次第なのであった。


「なんやさっきから熱心に見つめて。誰かの追っかけでもしとんのか?」

「っ!」


突然背後から声が聞こえ、李空の心臓が飛び跳ねる。

というのも、話しかけられる直前まで、その人物の気配を全く感じなかったのだ。


探し人のおかげで無防備だったとはいえ、手練れのなせる技であることは一目瞭然。李空は期待の意を込めて振り返り、その男にこう問うた。


「もしかして軒坂平吉さんですか?」

「なんやワイの追っかけかいな。男のストーキングは勘弁やで」

「透灰李空と言います。剛堂さんから話聞いてませんか?」


剛堂の名前を出した途端。これまで飄々とした様子だった平吉の目の色が変わった。


「お前が李空いうやつか。なんでも自分の才がどんなんか分からんらしいな」

「はい。昨日自分でも分からない能力が発動して」

「なるほどな。そんならここで試してみるといいわ」


そう言うと、平吉は我が物顔で体育館へ入っていった。


「「「キャプテン!チワー!!!」」」


練習中だった生徒たちが動きを止め、平吉に対して深く礼をする。


「いつも言うとるけど、そういうのええから。ちょっとここのリング借りてええか?」

「もちろんっす!どうぞ!」


そのリングで練習中だった男が降りてきて、李空とすれ違う。


「「あっ・・・」」


その男の顔を見て、李空は思い出した。


「てめえ、昨日はよくも!」

「あー、その節はどうも」


今リングから降りてきたのが、昨日喧嘩をしたあの男。


そして、代わりにリングに上がった軒坂平吉なる人物は、昨日卓男が水をぶちまけ、そのことに気づかず立ったまま眠っていた、あの長身の男であった。


「なんや、お前たち知り合いか?」


李空と男の会話を受けて、平吉が愉快そうに尋ねる。


「昨日、軒坂さんに水かけたオタクのつれですよ」

「ん?ワイあん時寝てたさかい記憶がないんよな」

「まじすか。あの後大変だったんすよ」

「その節はボコボコにしちゃってすみませんでした」

「てめえ舐めてんのか!」


李空の発言にとってかかるように、男が睨みを利かす。

昨日の出来事と、恐らくはこの男より数倍強いであろう平吉がいることで、李空の気持ちは平常時より大きくなっていた。


「それでまた、なんでこいつと軒坂さんが一緒に?」

「ちょっと確かめたいことがあってな。ああそうや、太一。こいつの練習相手頼めるか?」

「もちろんっす!」


どうやら太一という名らしい男は、平吉の提案を受け、意気揚々と腕を回し始めた。

すっかり平吉が手取り足取りやってくれるものだと思っていた李空は、危険を察知して身震いする。


「俺、今度こそ殺されそうなんですけど・・・」

「大丈夫や。太一はこう見えて加減のできる男やで。そうやろ?」

「え?はっ、はい!もちろんっすよ!」


靴の紐をいじりながら、太一が焦った様子で答える。

口笛でも吹きだしそうなくらいの取り繕った言葉に、李空は自分の背中に冷や汗が分泌されるのを感じ取った。


「まあリングに上がりな。話はそれからだ」

「話し合う気ゼロのくせに・・・」


平吉と再び立ち位置を入れ替える太一に、李空は渋々ついていった。



リングに上がった李空に向けて、太一は熱心に睨みを利かしている。


「制限時間は特になしでワイが止めるまでな。ほなスタート」


平吉のやる気のない合図で試合は始まった。


「今回はいきなりフルスロットルでいかせてもらうぞ!・・っと、その前にちょっと靴紐」

「えー」


太一は中腰になり、悠長に靴紐を結び始めた。

構えていた李空が気の抜けた声を出す。


「なんてな。『ファイアウォール』発動!」

「なっ!卑怯な」


李空の意表をつく形で、太一の掛け声と共に現れたのは、燃え盛る炎の壁。

優に2メートルはあるだろうその壁は、李空の視界から太一の姿を奪った。


「これが俺の才、本来の状態だ!この壁は不動の壁。てめえが酸素の風を送ろうが、この場からピクリとも動きやしないってわけだ!」


姿の見えない太一が高らかに笑うのが聞こえてくる。


「確かに防御力はあるかもですけど、それじゃあ攻撃出来なくないですか?」

「ふっ、やっぱり玄の野郎は甘いな。俺はこの炎の壁を、半径5メートル圏内の建てることが出来るんだよ!」


そのセリフが終わると同時に、李空の視界は更に狭くなった。

というのも、の炎の壁が李空の四方を囲ったのだ。


自然と李空は身動きが取れず、加えて炎の熱でジリジリと体力が削られていく。


太一は初手で放った壁の前に躍り出て、眼前に出来上がった、さながら炎の棺桶を満足げに眺めた。


「俺はあんまりこの才を気に入ってねえんだ。なんてったって、苦しみもがく相手の姿が見えねえからな!」


勝ち誇ったように言い放ち、ケラケラと笑う太一。


しかし、その笑顔は数秒で消えることとなる。


「・・・は?」


呆けた太一の顔が向くは

そこには、2メートルはある炎の壁を飛び越えてみせた李空の姿があった。


「隙あり」


小声で囁く李空が、隙を見せた太一の足を払う。バランスを崩した背中に馬乗りとなって、両の腕を掴み、動きを封じた。


「太一さんでしたっけ?炎の壁とやら、ここに出しちゃうと自分も喰らっちゃいますけど、どうします?」

「・・・・・」

「ああそうか。そもそも発動できませんよね」

「なっ!なんでそれを!?」


図星だったのだろう、心底驚いたように太一が目を見開く。


「簡単なことですよ。です」


試合が始まる前に靴紐が解けていることに気がつけば、その時に結び直すのが普通だ。

試合が始まってからでは、大きすぎる隙を生むことになってしまう。


それなのに太一は試合が始まってすぐに、靴紐を結び直した。


それは油断からくるものか?

否、太一の負けず嫌いな性格を鑑みるに、一度負けた相手にわざわざ隙を見せるとは考えにくい。


となればその行為は挑発。もしくは、と考えるのが普通だ。


「これは恐らくですが、床に手をつけると言った具合の行為が、ファイアウォールの発動条件じゃないですか?」

「・・・ちっ!その通りだよ!」


つまり、靴紐は発動条件を悟られないためのカモフラージュ。

そして初手の壁は、床に手をつく自分を隠すためのものだったわけだ。


よく思い返して見ると、李空と試合をすることが決まった後、太一はわざわざ靴紐をのだった。


「昨日も炎は手から出ていた。両手を塞がれた状態では何も出来ないんじゃないですか?」

「・・・・・」


太一は何も答えない。その沈黙は肯定を意味していた。


「勝負ありやな。しまいや」


平吉の合図があり、李空が太一の上から離れる。


「くそ!」


晴れて自由の身となった太一は、拳を振り上げ、そのまま思い切り床に叩きつけた。



「いやあ、太一!見事にやられてもうたな!」


リングを降りる太一に向けて、平吉が明るく声を掛ける。


「悔しいっすけど完敗っす。というかあいつ本当に玄っすか?あの跳躍力も才ですよね。才の複数持ちなんて聞いたことないっすよ」


太一が発した疑問は、ここにいる人間すべて。

李空も含めた全員の共通の疑問であった。


部員のなかでも指折りの強さらしい太一が負けたとあって、他の部員もわらわらと集まり出している。


「うーん。なんとなく推測はつくがまだ確定はできひんな。ワイが相手して確かめてもいいが、仮説が合っとるなら他の奴の方がええか・・・」


思考をまとめるようにボソボソと呟く平吉。

やがて、その目は1人の部員のことを捉えた。


「そうや、滝壺。お前が相手してくれ」

「俺か?まあいいが、加減はできんぞ」


平吉が指名したのは、いかにも格闘技やってますといった風貌の、平吉よりも主将らしい見た目の男であった。


「滝壺さんがやるのか!」

「これは面白くなってきたな」

「でもあいつ大丈夫かな」

「誰か知らんが無事を祈っておこう」


その男の登場に、周りに集まったギャラリーたちが思い思いの感想を述べる。

滝壺の登場による歓喜の声が半分、李空への心配が半分であった。


「滝壺は強いで。まあ死なん程度に頑張れや」

「まだ心の整理が出来てないんですけど・・・」


滝壺なる男が、ゆっくりとした足取りでリングへと上がる。

未だ詳細不明の諸刃の剣を携えて、あれと言う間に2回戦が始まった。




一方その頃。先生からの頼まれごとを片付けた卓男は、李空と合流すべく動き出していた。


「まったく僕が暇そうだからって散々コキ使いやがって。ん?」


先生への愚痴をぼやいていると、ポケットの携帯電話が振動していることに気づいた。

慌てて取り出すと、画面には晴乃智真夏の名前があった。


「おっ、おっ、女の子から電話だと!?」


生まれて初めての出来事に、動揺を隠せない卓男。

震える指でなんとか応答ボタンをタップする。


「もっ、もしもしでござる!」

「こちら剛堂。透灰李空はいるか?」

「・・・いませんけど」


悲しいかな。電話の相手は剛堂であった。


「そうか。軒先も電話に出ないし、やはり取り込み中か」

「あのー。なんで真夏ちゃんの携帯から?」

「ああすまない。透灰李空と連絡が取りたかったんだが出なくてな。君に取り次いでもらおうと思って借りたんだ」

「ということは、真夏ちゃんはそこにいるってことですね」

「ああ、うちの美波と仲良くやってるよ。君は学院にいるのか?」

「はい」

「それじゃあ軒先と透灰李空にこの後事務所に来るよう伝えてくれ。頼んだぞ」

「あっ、ちょっと」


電話は一方的に切られ、ツーツーと虚しい電子音だけが聞こえてくる。


「まあ、最初からそのつもりだったし、いいけどさ」


頼まれごとの連鎖に面倒さを感じつつ、卓男は歩き出す。


「なあ、今体育館で面白いことやってるの知ってるか?」

「聞いた聞いた。なんでも玄とサイストラグル部が試合してるらしいな」

「そうそう。しかも、玄が勝ったらしいぞ」

「まじで!?」

「ああ。でも次の相手はあの滝壺さんらしい」

「まじか。それは気の毒だな」


近くにいた男子生徒の会話が聞こえてくる。


「・・・李空、死ぬなよ!」


情報を得た卓男は汗をにじませ、移動を歩きから走りに変えた。




───第一体育館。


平吉による開始の合図があっても、リング上のふたりは睨み合いを続けていた。


「水の系統か・・・」


相対する滝壺なる男を捉え、李空が呟く。

才によって、李空は相手の才が水に起因するものだということを読み取っていた。


「一瞬でやるのも芸がないからな。そっちから仕掛けてきていいぞ」

「そう言われましてもね・・・」


先ほどの試合を経ても、李空は自分の才を掴めずにいた。

いや、むしろ謎は深まっていた。


炎の壁に囲まれた時。李空は自分ならこの壁を超えられると、そう感じたのだ。

普段なら思考の余地もなく無理と判断するだろうが、この時は不思議といける気がした。


して、案の定飛び越えることができたのだ。


(想像を具現化する才か?)


己の中で浮き出た一つの解に従って、行動を起こしてみる。


「後悔しても知りませんからね!」


自分ならできると言い聞かせ、水に効果抜群であろう電気が出るイメージで拳を突き出す。

滝壺はとりあえずの様子見といった具合で、防御の構えをとった。


観客もワクワクを隠しきれない様子で、リング上を見つめる。


しかし、


「「・・・・・・」」


自信満々に突き出した李空の拳からは、たった1ボルトの電気すら発生しなかった。


ヒーローごっこをする子どもとお父さんのような構図となり、一瞬の沈黙の後、リングを盛大な笑いが包んだ。


「・・よくも、俺をコケにしやがったな」


李空にとっては大真面目であったのだが、バカにされたと解釈した滝壺は、わなわなと身を震わせた。


「あの世で後悔するんだな」


そう言うと、滝壺は踵でリングの床をなぞり始めた。

何かの願掛けであろうか。その跡がひと1人入るほどの四角を描くと、滝壺は李空目掛けて走り出した。


「おっと」


銃のように構える指からは水の弾が飛び出し、無防備な李空を襲う。

李空は持ち前の運動神経だけでそれらを躱し、一定の距離を保ち続ける。


水鉄砲は大した威力はなく、当たっても大丈夫かと思われたが、なんらかの効果が付与されていることを危惧し避けることに徹した。

李空の才を以ってしても、受けるダメージは未知数なのであった。


防戦一方の李空が、滝壺の動きに合わせて逃げ惑う。


やがてその位置が初めの滝壺の立ち位置と重なる時。


「終わりだ」


短くそう言い放ち、滝壺は合掌した。


その刹那。


「っ!」


李空の姿は忽然と消えた。




卓男が第一体育館に着く頃。その中は異様な盛り上がりを見せていた。

サイストラグル部の部員や、噂を嗅ぎつけた生徒たちが一つのリングに群がっている。


そこにいるのが李空であると確信した卓男は、人混みを掻き分けリングへと向かった。


「・・・あれ?」


しかし、その先にあったリングには、1人の男が立っているだけであった。


「すみません。透灰李空ってやつがここに来ませんでしたか?」


思わず、近くにいた長身の男に声を掛ける。

なんの因果か、卓男の呼び掛けに振り返ったその男は、先日水をかけてしまった相手。軒坂平吉であった。


「あっ!そっ、その。この間はすみませんでした!」

「ん?なんのことや?」


本気でとぼけた顔をする平吉。言葉の通り記憶に全くないのであった。


「まあええわ。それで李空を探しとんか?」

「え?あ、はい、そうです」

「李空ならほれ。あそこやで」


顎をしゃくり、リング上を指す。


そこにいるのはやはり1人の男。

滝壺の姿だけがあり、その眼前には、何故か


どこから湧いているのか。さながら滝のようなその水は、リング上に不自然に空いた穴へと降り注いでいた。


「まさか・・・」

「そう。そのまさかや」


平吉はニヤリと笑って見せ、こう続けた。


「滝壺の才。『ウォーターフォール』や。踵で描いた図形に水を張った落とし穴をつくり、相手が落ち込んだら大量の水を打ち込む。穴は限りなく深いし生まれる対流によって這い出るんは困難っちゅうわけや」


本来リングの下に深い穴を掘るのは不可能だが、才にその三文字はない。

不可能を可能にし、物理法則をまるで無視する。それが才なのだ。


「そんなの死んじゃうじゃないですか!早く助けてくださいよ!」

「大丈夫や。落ちてからの時間は計っとる。デッドラインに入ったら滝壺に解除させるつもりや。それに・・」


ストップウォッチを片手に、平吉が薄く微笑む。


「ワイの読みが正しければ、李空はあそこから這い出てくるで」


そう言う平吉は、どこか楽しげであった。




(・・・あれ?俺、死ぬのか?)


薄れいく意識の中。李空はそんなことを考えていた。


水の流れに従い、李空の身体はどんどん底へと沈んでいく。

うっすらと見える水面が、ひどく遠くに感じられた。


自分の身に一体何が起こったのか。

李空は理解できていなかった。


水の冷たさで体温は奪われ、酸素も補充できず、思考はままならない。


そんな状況下で、素人の李空ができることはゼロに等しく、この状況をひっくり返す対抗策が思いつくはずもなかった。


(くそ。せっかく道が拓けたと思ったのに・・・)


何かが始まりそうな予感があっただけに、歯がゆいという気持ちが溢れてくる。


虐げられてきた今までとは、逆の流れが生まれつつあったのに。


期待が高ければ高いほど、裏切られた際の落差は激しい。例えるならばそう、それこそ滝のように。


希望の分だけ絶望は大きくなる。

何かが変わる予感は、李空にとって大きな期待であり、希望だったのだ。


(くっ・・・)


悔しさを全身に滲ませ、李空は最後の力を振り絞り、水面に向けて弱々しく手を伸ばした。




リング上に発生した滝の前で、修行僧のように手を合わせ続ける滝壺。


「軒坂。そろそろ解除するか?」


閉じていた目の片方を開き、リング外の平吉に尋ねる。


「いや、あと少しや」


ストップウォッチに目をやり、平吉が素っ気なく答える。


穴の中の李空を少し心配に思いながらも、滝壺は合掌を続け、開いた片目を閉じようとした。


が、その瞬間。


目を疑う事象が発生し、その目はもう片方の目も道連れに、見開かれることとなった。


「何が起きている?」


滝壺が驚くのも無理はない。

なぜなら、自らの才で生まれた滝が、一度その流れを止め、のちにのだ。


まるでくじらの潮吹きのように溢れるのは、どうやら穴の中からのようで。

水に押し上げられるかたちで、沈んでいた李空が飛び出した。


「貴様!なにをした!?」


たまらず才を解除する滝壺。

打ち上げられた李空はしばらくの間咳き込み、やがて落ち着くと、こう発した。


「こっちが聞きたいよ・・」


奪われた体力は相当のものだったのだろう。


そう言い残すと、李空は倒れてしまった。


「マイメん!大丈夫か!?」


リング外からその様子を見ていた卓男が、慌てて駆けつける。

遅れて平吉もリングへ上がった。


「試合はしまいや。滝壺、ご苦労やったな」

「・・・・・ああ」


自分の才に相当の自信があったのだろう。

滝壺は未だ信じられないといった様子で立ち尽くしている。


こうして、李空の初陣は一勝一敗というまずまずの結果で、その幕を閉じたのだった。

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