バイアスを乗り越えろ

桜もち

第1話

「…………」


 みなとの目の前に置かれているタブレットを凝視し、思考を巡らす。

タブレットの画面には日本一のユーザー数から指示されているオンラインTCG(トレーディングカードゲーム)の対戦画面だ。

 オンラインTCGとは膨大な種類を持つカードを編成したデッキと呼ばれるものを使用し対戦する戦略的カードゲームだ。

 無料で対戦が可能で幅広い年代で楽しまれているゲームながら、ゲーム性の高さから最近ではeスポーツとしての大会も開催されたりこのゲーム専用のプロ制度を設けたりされている。


 現在湊がしている対戦は高校生の日本選手権大会決勝である。

 3人1チームで挑むこの大会は予選ブロック5000人超のチームの中で予選、本戦勝ち進み、ようやく決勝へと駒を進めた。

 そして決勝。現在のチームは1勝1敗。大将である湊が勝てば優勝。負ければ準優勝という結果になる。チームの命運は湊に委ねられた。


 決勝の大舞台。会場に足を運んでいる観客、動画再生サイトのライブ中継を見ているユーザー。延べ万単位の人が今湊の対戦を観ている。

 対戦相手は湊と同学年の佐竹さたけという眼鏡をかけている細身の男子だ。

 佐竹の使用するものは対戦を準決勝で見た限り今大会の下馬評で優勝すると言われているデッキだった。

 対して湊の使うデッキは佐竹の使うデッキに対して優位に立ち回れるように構築したもので、それは言葉通り今大会で予選、本戦通じて勝率を9割近く叩き出している。

 このゲームは一定以上の運要素もあるため必ず勝てるとも言えないわけだが、それでも今大会で最有力候補のデッキに対してこれだけの勝率を叩きだしているは驚異的といえるだろう。


 湊はチームメンバーとプレイの研究を重ねた通り序盤をこなす。佐竹も眼鏡に手をかけ同様に淡々とプレイを行う。

 お互い長考することがないということはお互い想定通りなのだろう。ボクシングでいう所のジャブを撃ち合いつつの様子見という所だ。


 しかし中盤になっていきなりゲームが動いた。


「──な、なに!?」


 湊は見ている対戦画面の明らかな違和感に言葉を詰まらせた。

 中盤になって湊が想定する相手の動きとは全く異なるプレイを取ってきたのだ。

 佐竹川のデッキであれば本来、中盤できるだけ戦型をよくするように立ち回るはずなのだが、相手は戦型を維持するどころか悪くしているかのように思えるくらいのプレイをしてきた。


 対戦している湊達はチームメイトの助言や観客の歓声が聞こえないよう耳にヘッドホンを装着させられ誰の声も届かないようになっている。

 だが、湊の驚きが顔に出ていたのか相手は湊を一瞥して不敵な笑みを見せた。


「(これは操作ミスではなく、作戦なのか? 確かに相手も湊達の準決勝の試合を見ていたからどういうデッキなのかは把握しているはずだが……)」


 この時、湊に一抹の不安がよぎる。


── このデッキの対策を立ててきたのではないか?


 今大会選手はみな同じ構築のデッキで戦うことになる。よって大会中相手によって有利なデッキにすることはできない。

 しかし湊のデッキ、対戦を観戦したことを経て作戦を企てて今そのプレイを実行したのではないか?

 もしそれが本当であればこのまま続けると湊は負けてしまうかもしれない。 


 湊の不安が手を震わせる。


「(まだ中盤……もし何かあったとしても終盤逆転できるかもしれない。だからいつも通り定石で戦うべきだろう)」


 そう頭で思い、実際そう操作したものの、ターン制のこのゲームで使える制限時間一杯を使ってしまった。

 操作自体は簡略化したものなので本来、目一杯時間を消費することはないのだが本当に研究の通りのプレイで良いのか? と悩ませされたことで結果、時間を多く消費する形となってしまったのだ。


 すると間髪入れず佐竹はノータイムでまたも想定外のプレイを取ってきた。

 その行動に湊の表情が崩れる。

 全くこちらが負けてしまうような状況ではない。しかし佐竹のあの何か企んでいるような表情。考えがまとまっているようなプレイ時間。こちらの見落としがもしあったら……そう考えてしまうと思わず手が止まる。


「(くそっ相手の考えが読めない……。このままいつもの通り戦えば勝てるのか?)」


 本来であればこちらの方が圧倒的に優勢に見える。なのにこの大舞台で立って優勝を決めるこの場面でのプレッシャー、相手の想定外の戦い方湊の判断をどんどん鈍らせる。


「はぁ……はぁ……」


 湊は知らず知らずに呼吸も荒れてきた。考えても考えても相手の意図が読めずどうしたらよいのか次第に焦燥感が駆り立ててくる。

 ターンの残り制限時間を知らせる砂時計のマークが見え、渋々いつも通りのプレイを行ってしまった。


 いつもであれば価値を確信しているこの場面なのにそれが今は正解なのかすら見えてこないのが怖い。


 先2戦を振り返る。お互いのチーム同士は皆同じデッキ同士を使い挑んできた。そのため下馬評優勝候補であるデッキに対して有利に働く湊達チームが断然優勢に見えた。

 先方戦ではその有利な立ち回りと相手の運の無さが追い風となり湊チームの勝利だった。しかし次鋒戦では湊のチームメイトが運の無さに見舞われてしまい勝負の結果を湊達、大将戦に引き継がれた。

 そして今、お互い運としてはお互い五分五分といった具合。つまり今までの研究で有利と見てきたデッキが相手ならば負けるはずもなかった。


 だが、それは定石どおりであればだ。

 中盤考えたこともないプレイをした上にもし湊の見落としがあれば勝利の女神が佐竹、もとい相手のチームが優勝を決めることにもなるかもしれない。


 佐竹はこちらの不安げな様子を悟っているのか、自信ありげに画面を操作してきた。


「嘘だろ!? 本当にそんなことしてくるのか!!」


 今しがた佐竹の起こしたプレイこそ一気に強引に終盤の局面に持ってこようとするものだった。

 本来であればもう少しお互いターンを重ねて中盤のやりとりを行うはずなのだが、そんなこと知らないといった風に佐竹は攻めてきた。

 声は聞こえないが会場も騒然としている雰囲気が伝わってくる。湊も驚きを隠せず声をあげた。


 もはやこちらに取れる手段は2つ。

 今の局面今まで通りのプレイを取るのがひとつ。これを行えばいつも通り勝てるだろう。しかし相手がそれを読み切っていた場合相手が逆転するかもしれない。

 もう一つは相手の出方をもう少し見るプラン。あまりにも定石外の行動をとられているため多少後手に回っても挽回できるかもしれない。ただこれを行えば今までの研究の内容を放棄して戦うことになり完全にアドリブの勝負になる。試合がもつれすぎると負けてしまう恐れもある。



 湊は唇を震わせながら長考する。

 ここが天下分け目の天王山だ。判断材料があまりにも少なく、どちらを選択肢も必勝とは呼べない。

 だからこの場面は湊の直観で選択するしかない。


 佐竹も決勝まで勝ち続けてきたチームの大将。下手なプレイを取ることはないだろう。ということは客観的にも佐竹不利に見える局面だがそれを覆せる作戦があるかもしれない。であれば相手の掌の上で踊らされることは避けなければ……





 人間だれしも『なんとなく』行動するであることがある。これこそ『直観』であり、それを実行する力こそが『直観力』である。

 しかしその直観であるなんとなくは人間の経験や知識の蓄えなどから行動の裏付けとして『直観力』として引き起こせる。

 しかし変な先入観や場の雰囲気などでフィルターを通すことで冷静な判断ができなくなることがある。こうしたものをバイアスと呼び、正しい『直観力』を妨げることがある。



 湊自身、研究を重ねた末に今大会、色々な相手のプレイに多少差異があってもそれを『直観力』でプレイをして勝つことができていた。

 しかし今は多くのものが見守る決勝の舞台、対戦相手の力量、驚愕する定石外のプレイ……それらがバイアスとなって湊を追い詰める。


 最後の勝負2択……差し迫る制限時間……湊は腹をくくり研究を捨てアドリブ勝負に出ようとタブレットを触る……


──その瞬間、チームメイトの顔が見えた。


 先方で勝ってくれた奴は自分が勝ってもまだチームの勝利にならないのを知っているためいつも残りを任せると頼むといった表情。

 次鋒戦で負けてしまった奴は運に見放されたものの負けは負けで目頭が赤くなりながらもチームの勝ちを湊に預けたといった涙を堪えている表情。


 彼がとチームを組んできたからここまで来れている。彼らと研究を重ねたからこそ今、湊はこの舞台で戦っていられる。

 時には研究の最中にチーム内で衝突もあった。周りからは「たかがゲームで……」と冷ややかな目を向けられたこともあった。

 しかしそんな逆境を乗り越えた先に得られた研究のおかげで湊達は強くなれた。

 今は声も聞くことができないチームメイトを一瞥して「すぅ……」と湊は呼吸を整える。


「やっぱり研究した通りなら勝てる」


 湊は頷いていつも通りプレイを実行した。

 すると佐竹は目を閉じ「負けました」と一言かすれた声で呟きリタイアのボタンを押した。


 湊達が佐竹チームに勝利で幕を閉じたとともに湊がチームメイトのおかげでバイアスを乗り越えられた瞬間だった。

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