第4話
松の間で行われた合議は、六輔たちが三人でまとまった内容を、報告の面でより散文的に、検討の面でより感情的になって行われた。茶の交換がされること二十回に及び、実行の面で茶の渋みの数十倍の難渋な態度と共に結論を出し終えた時には日付が変わろうとしていた。
「老人たちは話が長い」
深更の月夜を為五郎と並んで歩きながら、六輔は先の合議を両断した。
「おなじ話を延々ダラダラと。よくもまあ己のものでもない代官地のことであれだけ口が出せるな」
「お前、半分くらいは寝ていただろう」
「それはそうだ。毎日毎日何度おなじ話を聞かされていると思っているんだ。お前たちは駿河で退屈はしなかっただろう」
「駿河の合議も、おなじようなものだ……む、待て、六輔」
道は城下の舗装された道から、田んぼの畦道に変わっている。今日は空に雲が少なく、月光が成長途中の稲をきらめかせている。
為五郎が足を止めた時、六輔のほうでも気配を感じていた。
田んぼの畦の影に隠れて、何者かが蠢いているようだった。
「俺が行こう」
太刀に手を添えて、六輔が前に立った。
例の辻斬りかもしれぬと思い、慎重に歩を進める。しかし、相手側の気配が命を狙い潜む加害者ではなく、苦しく呻く被害者のそれであることに気づくと、だっと駆け出した。
「おぬし、無事か! いや、誰にやられたか!」
「あぅ、あぅぅ……たす、たすけてくれ……」
苦しく呻いているのは、粗末な野良着の男だった。おそらくは流民であろう。その右肩から左脇にかけて、赤黒い血が川のように流れており、助かる見込みはない。
「しっかりしろ! 誰にやられたか!」
混濁していた男の意識に、六輔の大声が効いたらしい。膜の落ちかかっていた黒目にわずかに光明が灯り、無念を込めて呟いた。
「あいつら……おとうとを……いっしょにいたおとうとをつれてった……」
「どっちだ、どこへ行った!」
男が死ぬ間際の緩慢な動きで指した畦道の向こう側は、月明かりすらも真っ黒に塗り潰してしまう山林への道だった。
「よし、為五郎、この男を頼む」
「……もう死んでいる」
闇路を指した男は、かっと目を開いたまま絶命している。六輔は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「生かしてはおけねぇ」
しかし六輔の怒りは、男の無念に同情したのではない。流民ひとりにそこまで入れ込むほど情け深くない。
「天竜川の晒し者にしてやる」
二俣の領内で好き勝手にやられている――怒りの源流はそれだった。門前で小便をされている気分だ。
「俺も行くぞ、六輔」
為五郎も眉間を険しくさせて六輔の後ろにつく。膂力は劣るが、太刀を握ればそこらの者に負けはしない。
二人とも先に太刀を抜いておいてから、畦道を歩き出した。二人ともまだ血気盛んな若者であって、城に報告して応援を呼ぶことも考えないではないが、己らの手で始末をつけるという使命に燃えている。付近にいくつかの百姓の家があるが、この夜中にぐっすり眠っているのか、出てくる気配はない。
二人は慎重に、だが大股でしっかりと夜道を歩いていく。合戦に出た時の夜などは、こうやって陣地の周囲を警戒して歩いていた。どこから斬りかかられてもいいように、ぐっと脇を締めて、八双に構える。お互いに剣を振ってもぶつからない間合いをキープして前へ歩く。
二百歩ほども歩いた頃、前のほうから激しい草擦れの音がした。
小声で「六輔」「おう」と合図しあう。ざざ、ざざ、という悲鳴めいた音は続いている。水が引けず、刈り取られた雑草が捨てられる荒れ地がそこにある。
相手のおおよその位置がわかったことで、二人はさっと太刀を下ろし、目を凝らす。月光に反射する刃の煌めきを瞬時に捉えた。
二人は息をおさえて身をかがめ、畦にひそんで更に注意深く観察した。
「多いな、三……いや四人か」
「あぁ」
これは二人の誤算だった。辻斬りという事件の性質上、また犯人は城中の者と推測していた為、手練れの者ひとりの犯行であろうと思い込んでいた。
一人が見張りとなって周囲を警戒し、二人がさきほどの流民の兄弟と思しき者を引きずり倒し、立たせようとしている。その前で抜き身ひとつを構えて立っている者がいる。
目深に頭巾を被っており、顔の輪郭すらもわからない。六輔ほどではないが、白い着物を纏った長身であり、しなやかな所作で背筋を伸ばしている。
「これは……なにかとてつもないお方なのかもしれないぞ」
為五郎が躊躇いを見せた。六輔も相手のたたずまいが見事なものなので、ごくりと生唾を飲み込んでいた。
「どうする?」
為五郎が訊ねた。
「いや、やらねばなるまい。見過ごしてもどうにもならぬ」
六輔が決意すると、為五郎も覚悟した。
「わかった。しかしあれは手ごわいと思うぞ」
「やつが斬りかかる。その瞬間に俺たちも出るのだ。周りのやつらは刀を持っておらぬ。まっすぐにやつを斬る」
幽鬼の如く立っている長躯に集中しようと、二人は呼吸を細くする。視野を狭窄させ、それ以外のものの存在を忘れようと努める。
合戦の術法より、弓矢の稽古に似ていた。
(あれは野を駆け逃げる獣ではない。的だ。弓矢の的だ。動き、斬りつけてくる的だ)
白装束が太刀を上げた。その前に立たされている流民は腕を掴まれ、肩を押し出される。これからの自分の運命に必死に抵抗するが、意味はなかった。布で口がふさがれているのか、くぐもった悲鳴が六輔の耳朶を打つ。
もう少しだ、辛抱してくれ――発狂寸前の生け贄を心の中で激励した時、月光に輝く太刀が動いた。
白装束がはためき、ゆらりと近づく。同じタイミングで流民を押さえていた二人が、突き出すようにして流民の背中を押して左右の逃れた。
六輔は躊躇わずに駆け出した。
「そこまでだ! であえぃ!」
「であえ! であえ!」
為五郎も後ろからついてきている。他にも仲間がいると思わせる為に、しきりと「であえ」と声に出して迫る。
六輔の巨躯は夜風を切り裂いて一直線に白装束へ走る。
「っ!」
こちらに気づいた相手の反応に六輔は違和感を覚えた。不意を突いたからだろうか、さきほどまでの鮮烈な殺気が消え失せている。
「むうん!」
油断してはならぬ――生じた疑念を払拭するかのように六輔は太刀を横に振り、空を斬らせて間合いを計った。残り三歩、二歩――一歩! 六輔は力強く跳躍した。
「どおぉぉ!」
相手の左肩目がけて、袈裟懸けに斬り放つ。目線は肩だが、狙ってるのは胸ではなく、胸の前で太刀を握っている腕だ。腕を両断するつもりで、肩に切っ先を合わせるように踏み込んでいる。
しかし、六輔の剣は虚しく宙を斬ることとなった。
「あぁっ!」
女の声だった。この場に有り得ない声音は、まさしく目の前の白装束の辻斬りから発せられたものであり、しかも背を向けて逃げ、転倒したのである。
「とおっ!」
唖然とする六輔の後ろから為五郎が飛び込み、白装束――今では見れば見るほどに女である――の背中にのしかかった。
「こやつ! こやつは……!」
倒れ伏した女の腕がねじりあげられる間、ただぼうっと見ていた六輔の後ろに何人かが寄ってきた。
「だ、旦那様! お許しを!」
「き、貴様……三太か!」
情けなく哀願してきたのは離れたところで見張りをしていた男――その顔をしっかりと見れば、六輔にの家にいるはずの三太であった。
「お前たち、どういうことか!」
三太の後ろで平れ伏しているのは、流民を捕まえていた三人――いずれも六輔の周りで働いている下男たちだった。
「六輔! 見ろ!」
急速にせり上がってくる予感に抉り込むように為五郎が言う。振り返り、六輔は低い叫びをあげた。
「し、しの……!」
頭巾に隠されていたのは、六輔の愛すべき妻の顔だった。
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