第3話


 二俣城松井家に仕える武士は二十二人。筆頭は一門衆の松井主計宗保。六輔は四人いる若輩の一人で、一番下っ端だ。

 そして当主となる人物が松井五郎八郎宗信(まついごろうはちろうむねのぶ)である。官位は左衛門佐。当年二十二歳。六輔より一歳だけ上の若き当主である。

 二俣城は天竜川の川沿いにある山林のひときわ高い丘に建てられており、本邸の門を出るとすぐにうねった坂道が下って、その先に二の門がある。

 六輔ら家臣団はその坂道で順に座って当主の帰還を待っていた。

「城門、開け!」

 外の声を聞いて内側の門番が二の門を開ける。その向こうから八郎宗信が姿を現す。

 勇壮な武者であった。背丈は六輔に及ばぬまでも五尺をゆうに超え、均整のとれた体つきでまっすぐに背を伸ばして馬の背に乗っている。六輔より仕立ての良い着物を六輔よりもはるかにうまく着こなしている。

 八郎宗信は二人の武士を左右に従えている。一人は馬の左で並んで歩く叔父の主計宗保。もう一人は右に並んでくつわ取りをしている若武者だ。

 若武者に引かれて馬はゆっくりと門をくぐり、城中の人となった八郎宗信が降りると、厩番に預けられる。手綱を預けた若武者は中腰で小走りして六輔の隣りについた。

「久しぶりだな、六輔」

「無事でなによりだ、為五郎」

 小さな声で口元を綻ばせた。

 阿多古為五郎薫俊(あたこためごろうしげとし)。六輔と同じ二十一歳で二俣城で働く同輩の友である。六輔よりずっと背は低く、武芸に優れているものでもないが、如才なく人好きのする性格の為、八郎宗信の供回りを務めている

「六輔、ご苦労であった」

「はっ、殿のほうこそ祝着至極にございます」

 同輩の郷愁の一端を担っていた六輔の前に、主君がねぎらいの言葉をかけた。六輔だけではなく居並んだ二十二人全員に言葉をかけて八郎宗信が歩いていく。その後ろに主計宗保がついていき、一の門の前まで着くと、さっと身を翻して家臣団の列に加わって腰を下ろし、若い主君が一段と謝意のこもった言葉をかけて帰城の儀は終わる。

「為五郎、六輔、おぬしたちはしばし留まれ」

 主計宗保から告げられる。これから城主の八郎宗信と数人の重臣たちによる合議が行われるが、その際に脇侍として補佐にあたるのだ。もっとも、補佐の役目を担うのは同行していた為五郎だけで、六輔は同輩というだけで存在するただの置物になる。

 とはいえ、この置物もとにかくでかくて異様な存在感があるので、上座の脇から見ているだけで全員がぴりりと締まるのである。六輔も時折り居眠りすることがあるが。

 二人は主君の後を追って主殿に入り、奥御殿との間にある待合の場で奥方のおひろへの挨拶が終わるのを待つのだが、すぐ後に合議が控えているのもあり、奥方自らが女中と共に待合まで出てきて、手早く挨拶を済ませていた。

「六輔、また背が伸びたか」

 着かえながら八郎宗信が微笑混じりに言った。その口元には城主らしい威厳を得る為に伸ばしている途中の髭がある。

 三人は一歳違いで同じ寺に学んだ同士だった。その頃から八郎宗信を主として六輔と為五郎が仕えているようなものである。三人だけの間となれば、お互いに軽口を叩き合うのが常であった。

 また、為五郎の姓の阿多古は天竜川の西側に土地を持つ豪族であり、本来は愛宕神社にもつながる名勝の地なのだが、為五郎の生家の阿多古家は傍系であり、ほとんど関係はなくなっている。それでも六輔の井戸家よりは実力のある家名であった。

 本当なら六輔が対等な口をきける相手ではないが、その垣根を越えるのが、同じ釜の飯を食った仲である。

「今川殿から出陣を仰せつかるかもしれぬ」

 六輔よりいっとう上質な肩衣に裃をかけて座り込んだ。広間ではすでに重臣たちが待っているはずだが、八郎宗信もまた城主としては若輩のみにあり、その意見は軽んじられることが多い。信用できる腹心というのは六輔と為五郎だけなのだった。為五郎は同行していたのでいきさつを知っているが、ほとんど関係のない若輩の六輔は先輩の家臣からも事情を聞かされていない。為五郎らと比べて知恵のまわる六輔ではないが、二俣城にあって三人の若武者同士の相談で省かれることはなかった。ちなみに若輩という身分ではあと二人いるが、二人とも三十近い年で、便宜上若輩としているだけで実質的には奉行衆と変わらない。

 松井五郎八郎宗信は先日まで二俣城主左衛門佐として駿河の今川館へ出仕していた。

 駿河への出仕は特別なことではない。領地の貫高はどうとか、裁判がどうとか、一ヶ月ごとに報告しなければならないことを伝える定時連絡だ。しかし遠江から駿河へは一日二日で往けるとしても、現太守今川氏輝への面会は要請してから数日かかる。面会と報告自体は半日もかからず終了するのだが、ともかくこれを毎月繰り返すので、一ヶ月のうち半分くらいは八郎宗信は城主として二俣城に留まれないのだ。

 自領のことを外叔父の松井主計宗保に任せきりとなっているのに、出陣を命じられそうな若き当主の顔色は重苦しさに満ちていた。

 その複雑な心中を察しつつも、六輔は訊ねた。

「どこへ、やはり三河でしょうか」

「いや、甲斐だ。富士吉田のほうへ、相模の北条と共に攻めるという」

「甲斐、武田でございますか」

 わずかに身を乗り出した六輔に対して、八郎宗信と為五郎は重ねて嘆息した。

「そうだ。北条殿と協力して富士以南から武田を追い出すのだ」

「今川殿の軍勢は蒲原から出陣できるが、我等は遠征を強いられ、しかも相手は戦上手の武田だ」

「……難儀でござるな」

 客観的な事実に六輔も肩を落とす。

「だが、決められたのなら、四の五の言うことはできん。往けと言われた場所に往くだけのことだ」

 二俣城松井家は今川家初代範国からの臣下である。大恩ある主家の意にたやすく逆らえるほど八郎宗信の反骨心は強くなかった。

「それより、留守中に変わったことはなかったか」

「そうですなぁ」

 わざとらしく考えるフリをする六輔の肘を為五郎がつついた。

「聞いているぞ、辻斬りが出ているらしいな」

「なんだ知っていたのか」

「それは聞かされるさ、狼藉者は城中の者かもしれぬとあってはな」

 しかし二人が聞いているのはかいつまんだ内容のみで、六輔があらためて話すと、

「捨ててはおけぬな」

 若い城主はまじめな顔つきになって、うなずいた。

「なにせ時期が悪い。明日にでも陣触れを告げられるかもしれぬ状況だ。悪党を残して城を空けるのはまずい」

「事が太守様に露見すれば、検断介入のおそれがありますな」

 為五郎が主家への気遣いを口にして、またも八郎宗信はうなずいた。

 駿河の今川家は元来遠江守護も兼ねており、先代氏親が斯波氏から遠江国を取り返したのはおよそ二十年前である。遠江北部の天竜川流域を支配する二俣城松井家は重要な役割を担っていた。

 その恩情もあってか、二俣城は主家からの抑圧は少なく、半独立の知行体制を維持している。氏親の遠江奪還を機に始められた遠江検地においても、二俣城は自治裁量を認められており、実質的に免除されていた。

 しかし領内で騒ぎがあり、しかも城中に犯人がいるとなれば黙ってはいない。氏親が没して新しく当主となった今川氏輝はまだ若く苛烈な性格でもないが、譜代の重臣たちは違う。いい機会だとばかりに監査人を送り込んでくる。そうすれば事件の解決だけではなく、細部にわたって粗探しをされてしまう。昼の六輔が話していた隠田の件も露見してしまうだろう。最悪、八郎宗信が謹慎させられて主家から城代を置かれてしまうかもしれない。

「あいわかった。辻斬りの捜索には全力を尽くそう」

 八郎宗信の言葉に為五郎が膝を寄せてきた。

「太守様にもお知らせだけはしておいたほうがよいでしょう」

「なぜ知らせるのだ。事は秘するのではないのか」

「ばか六輔、すべてを知らせるのではない。辻斬りがおることだけを伝えるのだ。そして我等だけで解決できるであろうことを重ねておき、介入する必要の無いことを告げるのだ。これくらいもわからないのか、ばかめが」

「ぬ、ぐぬ……ばかとはなんだ、ばかとは、それも二度も言ったな」

「ばかなのだから仕方ないであろう」

 反論できない六輔に、八郎宗信が笑った。事実として六輔の知恵袋は為五郎と比べてかなり小さい。とはいえ為五郎の膂力もまた、六輔には遠く及ばぬ。同年代の三人はこうしてうまいことお互いの不足したところを補っているのであった。

「そろそろ行くか、叔父上たちが待っておられる」

 茶がぬるくなったのを頃合いに三人は立ち上がり、重臣たちの待つ広い松の間に向かっていった。

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