第2話


 二俣城は信濃から遠江までを流れる天竜川の終着点――遠州平野の最北端に位置する断崖の山城である。裏門から一歩出れば天竜川は目の前だが、その間には鹿も転がるほどの勾配と密生した樹林がある。

 地理的に駿河、信濃、遠江、三河の四ヶ国を睨む要衝の地で、駿河の守護、今川氏親が尾張守護の斯波義達との遠州抗争に勝利した際、功労のあった松井宗能に二俣の新城の普請を命じ、そのまま領主として認めたのである。

 信濃の飯田からほぼ真南に下ってきた天竜川が、この地で真東にうねり、また南へ下る。城はその湾曲した川筋と断崖の地形を天然の水掘として利用して建てられている。北と西と南の三方を川に囲まれている為、水を引きやすく、稲麦が豊かに実るのだが、暴れ天竜の異名を持つ天竜川はたびたび氾濫をするので、その対策コストもばかにならない。

 六輔はじめ下級武士の家は、二俣城と広大な農業地帯との境目に建てられている。なんの変哲もない長屋に人ひとりが槍を振りまわるのに充分なスペースの庭が添えつけてあるだけの住居だ。厩も共有で二十頭分の馬小屋で何人かの厩番が世話をしている。

 堀ひとつ向こうの農村とさして変わらないのどかな武家町を歩いて、六輔は自分の家に帰っていった。

 日中は開け放しの門をくぐると、妻のおしのが待っていた。

「旦那さま、おかえんなさいまし」

「ああ、うむ」

 おしのが頭を下げると、六輔はこくりとうなずく。井戸家の家訓どおり、おしのは五尺を超える背の高い女である。しかし背が高い以外に取り上げるべき特徴はなにもない村娘である。六輔が妻に迎えたのも半年ほど前で、その時はじめてまともに顔を見たという程度の仲からの婚姻である。

「お食事の用意はできておりますだに、お馬はただいま三太が連れてまいりますだ」

「わかった。ごくろう」

 そんな次第だから、夫婦の会話はそっけないものにならざるを得なかった。

 おしのは他領の半農武士の娘で、言葉遣いなど習ったこともないし、六輔も朴訥な見た目のとおり口が達者なほうではない。

 それでも六輔ははおしのをかわいく思っている。おしのもそれによく応えてくれる。しかし、想像していた夫婦像とはだいぶ異なるものがあった。

「今川の大殿様がご存命の折、今の尼御台様とは、それはそれは仲睦まじくあられた」

 駿河の守護、今川氏親とその妻――夫が他界した今は出家して寿桂尼と名乗っている――二人の夫婦仲は遠江が今川領となる数十年前から有名で、今川館から発せられるあたたかな活気に、これを手本にせよと家臣たちも夫婦仲を良くしようと努めた。夫婦仲が良ければ配下もまとまる。配下の武士たちがしっかりとまとまっていれば領内も安泰となり、こうして駿河の機運は時流に乗るごとに高まっていったという。

 家長である武士に武家内の権力が集中しているのが当然であったが、この潮流を見てとった太守氏親はやがて武士たちの権益を保ちつつ、下の者たちの権利と保障を明確にするよう、法度を整えた。

 すなわち、今川仮名目録である。

 良き夫婦、良き主従、良き君民の関係を保つ為に駿河国内で通用する法度を申し付け、すぐに遠江にも適用させた。

「権利を保証すれば義務が明確になる。つまり、徴税もしやすくなる。年貢も取りやすくなる」

 そう言ったのは今川家の宿老、朝比奈泰能だった。

 六輔も今川家の一員である以上、今川仮名目録のことは知っているし、訴訟の解決に用いたこともあるが、それは字引きや辞典のようなもので、太守や宿老たちが意図したような、政策のことまでは知りえない。また、教えられてもピンとこないであろう。

 夫婦の――とくに女房の――権利が守られている中で、夫が不出来を起こして女房の実家に勘当される。そういうケースも近頃は増えていた。

「なかには、実家から金を送ってもらい、それを夫に貸し付けるような女房もおるらしい。まことしたたかになったものよ」

 そう主計宗保は言っていた。

 そんな尻に敷かれるような関係とは程遠い井戸家の夫婦仲は、明るいとは言わないまでも、おおむね満足すべきものであろう、簡素な肩衣に太刀を佩いて馬上の人となった六輔はそう考える。

 今度は二俣城とは逆の方向――北側の盆地で六輔が代官を務めている村の巡見に行く。

 馬を走らせればすぐに着くが、不用意に走らせることは禁止されている。馬に乗るのは代官という身分をアピールするのと、ひとつ高いところにいることで遠くまで眺めることができる為だ。くつわ取りにはおしのの弟の三太を小者として借りている。

「洪水の被害は抑えられたほうか」

 六輔が訊ねると三太は、へぇ、と答えた。

「なんとか、年貢はお出しできるだと、おっ父は言っとったずらでさ」

 三太の言葉遣いはひどいものだった。半農武士の三男坊で、教育も受けておらず、おしのの婚姻によって六輔に奉公するようになったので、色々な言葉が混じってしまっている。六輔は寺で勉強したゆえに平易な言葉遣いをしているが、気を抜くと遠州なまりが出ることがある。

 季節は梅雨明けだった。二俣の田地は暴れ川と名高い天竜川から直接水を引いている為、長雨の洪水には弱かった。

 年ごとに先人たちが築いた堤防を補修して難を逃れているが、根本的な解決には程遠く、数年前の大暴れの際には二俣城だけの問題ではなくなり、三河動乱の遠因ともなるほどの被害が出た。

 今年も梅雨の長雨で川の水が氾濫したが、六輔た城士も総勢で堤防を補修したおかげで、被害は最小限に抑えられたという。

「それでも不作の兆候が見えているのか」

 六輔はため息を吐いた。不作というのはまだ控えめな言い方で、日本という島国全体が深刻な飢饉に陥っているのだ。

 聞けば、室町における応仁年間を巻き込んだ大乱により、農業に従事する百姓が足軽として駆り出され、極端に数を減らしてしまったことが原因だという。

 しかし、よくよく聞けばその応仁の大乱も、荘園権益を含めた権力争いが根本となっている。つまり、飢饉で米が取れないから、あいつの畑が欲しい、ということだ。

 つまり、飢饉が元で乱が起き、乱が元で新たな飢饉に陥っている。

 救えないことに、後になってみれば都からは遠い荘園では不作ではあるものの飢饉と呼べるものではなく、土豪と国司が結託して虚偽の申告を行って都に送らず着服していたというのである。

「馬鹿なことをしている」

 寺で勉強していた時には、既に過去の歴史となっていた出来事を聞かされて、六輔はそう思ったものだ。六輔だけではなく、同じように寺で学んでいる各家の子息たちも大人同士の悲喜劇を笑っていた。

 果たして、大人になった六輔たちはまじめに年貢をとっているのか。

 答えは否であった。

 不作続きで米の余剰分などとうに無い。徴税は増えているのに人は減っていく一方だ。

 まじめに年貢など納めていたら百姓どころか武士でさえ食うものがなくなってしまう。

 追い詰められた国司と領民はどうするか――

「川爺、様子はどうかね」

「へぇ、ごろんのとんり、年貢は出せらぁずら」

「そうか、おぬしらのほうはどうだ。あちらのほうだ」

「そんれはも、おかぎゃあずらで、やってらぁずらで」

「そうか、まさかとは思うが、新たに増やしてはいないだろうな」

「そげなこたぁしゃあせんずら……つうより、できゃあせんずら。耕すもんがおりゃせんずら」

「わかった。今年もお上には伝えておこう。どうせどこも不作だ。いちいち取り調べることもできぬ」

 六輔は村の長老のあばら家に入り、山菜に粟、稗を煮詰めて茶色と白を滲ませた汁ものを飲みつつ、長老の川爺と話し込んだ。川爺にとって六輔は先々代からのお代官様であり、六輔にとっては生まれた時から川爺という付き合いである。

 二人はごくごく普通の茶飲み話のように、不正について話し合っていた。

 すなわち、過少申告と隠田看過である。

 あの時、馬鹿にしていた不正行為を六輔は――六輔だけではなく、井戸家の先祖代々から――やっている。事は井戸家だけではもちろんない。二俣城全体で、この隠田耕作は行われている。

 年貢を納める相手は遠江を納めている守護の吉良氏で、その上には駿河の今川氏がいるのだが、そこには知らせていない。まさしく城ぐるみで租税をごまかしているのだ。おそらく全国どこでもやっていることだろう。

「例の件はどうなった」

「へぇ、あんの、辻斬りのことずら?」

 六輔はうなずいた。近頃、二俣城の付近でいくつか確認されている事件だ。

 末法のような世の中だ。追い剥ぎ、打ち捨てなど日常茶飯事であり、捜査にかかる人数を事件の数がはるかに上回っている。民間の事件などは現行犯でなければたいていは黙殺されてしまう。お勤めの城士にできるのは領内を見回って流民を排除するくらいである。

 しかし、六輔が気にかけているのは、少し並外れた事件であった。

 五ヶ所の現場で確認された死体の数は今のところ八体だが、すべてが見事な太刀筋でばっさりと斬られている。とても流民や悪党、足軽のしわざとは思えない。どこかの武家にあった者が浪人して流れ着き、手当たり次第に憂さ晴らしをしているのかもしれない、と調査に乗り出したのだが、あらためて死体を検分しているうちに、新たなことがわかったのである。

「殺されたのは、手配されている悪党ばかりらしい」

「ほんとずら」

「人相見が見たとたんに、あいつはこいつはと言い、調べれば確かにそうであった」

「なぜにそげなことがわかるずら」

 川爺はうなだれて考えるが、それがフリであることはわかっていた。立場的に川爺から言うのははばかれるのである。

「我等の内におるかもしれぬ」

 嘆息しつつ川爺の推測を代弁した六輔だった。

 手配されている悪党は制札にて周知されているが、民衆もいちいち覚えていない。しかし探し回る役目である武士たちは頭にいれておかねばならない。もっとも、六輔も流民を一人ずつ照合できるほどには覚えていない。ほとんどの人相書きは二つか三つの特徴が書いてあるだけで、別の事件の現行犯で捕らえた罪人を人相見の得意な者が見て、発見するのである。

 また悪党の中でも何年も前に手配されたっきりという者もいれば、つい先日手配されたばかりの者もいた。それらを見抜けることができるのは、今もまだ出仕している役人だけであろう。

「ひとまず、担当の者たちに謹慎を申し付けている。村の者にも、用心するように言ってくれ」

「ははぁ」

 すこし喋りすぎたかもしれぬ――頭を下げる川爺を見やって六輔はそう思った。村のことはなんでも川爺に話すのが一番だと、子どもの頃から思っていたので、つい話し込んでしまった。

(俺も武士になっていくつも経ったというのに)

 赤ん坊の頃から知られている、という人物にえらそうな態度をとるのは、なんとも難しいものだった。

 川爺のあばら家を出て六輔は大きく背伸びをした。六尺の長躯に老爺の屋根は低い。

 あとは村を一回りして自宅に戻り、帳簿に署名をすれば六輔の仕事は終わる。夏場でまだ日は高いので余暇を過ごすことになる。

 六輔は三太に手伝わせて武具の手入れをした後、将棋を指すことにした。おしのを嫁にもらうまでは三太も百姓だったので、ルールどころか駒の読み方も知らなかった。六輔がじっくりと教えて数ヶ月、最近では櫓組みまでやるようになって、百戦百敗が百戦九十九敗くらいになっていた。もっとも、六輔も将棋がうまいほうではなく、三太に与えている以上の敗戦を城中で重ねている。

 城から使いの者が来たのは、三太が十日ぶりの勝利を手中にしかけていた時だった。勝率一パーセントが二パーセントになるかの瀬戸際で、不平を示す三太をとどめて六輔は伝言を聞いた。

「なに、もうお帰りになられるのか」

 伝言の内容は城主の帰城を知らせるものだった。

 早ければ今日中にと主計宗保は言っていたが、それでも夜中になり、出仕はないと思っていた。しかしもう半時となればそうも言っていられない。急いで着かえて行かなければならない。

「三太、駒は片付けておけよ」

「へぇ」

 しっかり敗北の芽を摘んでおいてから、六輔はおしのに言って衣服を用意させた。

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