隠田上等密議上等 遠州もののふ 松井家地侍 井戸六輔薫長

zankich

第1話

遠州もののふ 井戸六輔薫長


 人斬りと女房


 がっ、と右手に持った手桶を水面に叩きつける。流れてくる水を溜めて持ち上げると、今度は左手に持った手桶を同じように叩きつける。

 たっぷりと水の入った手桶を片手で持ち上げて、ざぶざぶと膝まで浸かる川の中を歩き、川辺に立ててある水瓶に移す。

 ふたつの手桶で水瓶は半分まで溜まる。

 そして、ふたたび波立つ川に入り、膝元までの深さに来ると、

「むん」

 がっ、と空になった手桶を水面に叩きつける。

 毎朝の水汲みは遠江二俣城主松井家の若輩、井戸六輔薫長(いどろくすけしげなが)の日課である。正確には六輔だけの日課ではなく、二俣城に勤める多くの者が城の裏手に流れている天竜川から水を汲んでいる。

 他の者たちと違う点でいえば……

「むん」

 一人がひとつ持つので精いっぱいになる手桶を片手で持ち、二人でようやく持ち上げることが出来る水瓶の天秤棒を軽々持ち上げて、崖上の本丸に運んでいく六輔自身の大きな身体だ。

 汗を噴かして裸になった上半身は分厚い筋肉を日焼けした皮膚の内側にみっしりと詰め込んでいる。

「おお、六輔。いつも朝早く、ご苦労だな」

 正面から声がかかる。三十半ばの筋骨隆々とした武士だ。

「おはようございます、主計殿」

 六輔は担いでいた水瓶を下ろして、城主の外叔父にあたる松井主計宗保へ丁寧に挨拶する。六輔は身長が六尺近くあり、低頭してもまだ少しだけ六輔のほうが大きい。

 だが、そんな六輔の額を主計宗保はぴしゃりとはたいて笑う。

「うむ、あいかわらずでかいな、おぬしは。よく働き、さらに肥えよ。はっははは」

 そのような調子のことを嫌味なく言えるのは主計宗保の性根が良いことを表している。

 六輔は身体が大きく、膂力も強い。合戦では大旗を背負って前線に立っていく。たいていの人間は六輔の肩ほどの身長しかない為、六輔が立って前に出るだけで相手は尻込みする。

 若輩とはいえ、侍衆である六輔が半農足軽と共に前に出ていくのかと思われるだろうが、これには理由がある。

 享禄二年に三河国で台頭した松平清康が今橋城を攻め落としたのに際し、既に今川氏に恭順していた遠江国衆の一員として初陣に出た六輔は、その抜きん出た体躯のせいで、敵側から非常に目立って見えており、中衛の備えに立っていたにも関わらず、あちこちから長弓の矢が降り注いできたのだ。

 その時に、いま目の前にいる主計宗保から、

「おぬしは前に出よ。このままここにいては殿の居場所が悟られる。前に出て、あちこち睨みつけて参れ」

 言われたとおり前に出て行った六輔だったが、その時の六輔はまだ十五歳であった。合戦を間近で見るのは初めてで、人殺しの喚声と熱狂に丸太のような足を震わせていたのだ。

 しかし、城主の外叔父で信任厚い武士である主計宗保に背中を叩かれたのである。行かねばならなかった。力自慢で人を殴ったり叩いたりしたことはあっても、殺したことはない。馬もなく、身長に合った長槍を三本目の足として歩いている最中、絶叫とともに赤い飛沫が空に舞い上がり、生きながら首を裂かれた足軽が地面に倒れた。矢合わせ、槍の叩きあいはとっくに終わり、戦場は足軽の乱取り合戦となっていた。太刀、手斧、鍬まで持ち出してきた無数の百姓流民が、自分の生命を守る為に血を浴びて狂気の渦に取り込まれていた。

「叔父殿は俺の図体が邪魔で、目障りだから、地獄に送り込んだのだ」

 勝手な被害妄想を思い浮かべるほど、実際の合戦に恐怖した六輔だったが、前線に立ってみると、また違うものが目に入ってきた。

「なんずら、あいつは」

「で、でけぇ」

 浮ついた声は、六輔が恐れていた三河の足軽たちのものだった。

 その瞬間、六輔は自分が必要以上に合戦を恐れていたことに気づいた。

 さきほどまで赤と黒の大河のようだった地面が、見慣れた乾いた大地に戻っている。空は怨嗟と怒号が飛び交いつつも真っ青に晴れていた。

「天魔鬼神ではないのか」

 六輔の前にいるのは、どう見てもただの足軽だった。痩せ細った身体に薄い胴鎧を着て、木目がむき出しの槍や太刀を持った百姓だった。

「うおお!」

 試しに六輔が大声を出してみると、口々にひきつった悲鳴をあげた。

「我は井戸六輔薫長だ!」

 何度も練習した名乗りをあげると、足軽たちは恐れ竦んで動けなくなった。しかし六輔も本当なら名乗りの後に「命が惜しくばかかってこい」だとか言うはずなのだが、合戦場の緊張ですべて忘れてしまっていた。

 しかたなく取り繕うように長槍を振り回した。ぶうん、と風が唸ると、

「ひぃ」

「わわわっ」

 足軽たちはクモの子のように逃散していった。

 それが六輔の初陣であった。以来、松井家の大きな馬印を背負って合戦に出ていき、六年が経つ間に背はさらに大きくなり、力も強くなった。顔はまだ年相応の若さが残っている為、惣面をつけて合戦に挑んでいる。

「ではな、わしはお屋形様をお迎えに参ってくる」

「は、道中、お気をつけくだされ」

 主計宗保が去っていくのをしっかりと見届けて、六輔はまた天秤棒を担いで運んでいく。

 初陣から六年の間に合戦は九回あった。井戸家は二俣城の北側、山をひとつ越えたところにある村々のうち、二つの村、三十戸ほどの管理を預かっている。合戦の時に連れていく足軽は二十人ほど。六輔が十七の時、三回目の合戦で父が矢を受け、その傷が原因で死んだ。そして六輔が跡を継いだが、

「たいそうに、跡を継ぐだなどと言うほどの家柄でもござらん」

 と、ぼやいた。

 六輔は五代目だった。そして六輔の身体がこれほど大きくなったのは、二代目である曽祖父からの家訓であった。

「戦乱はいつまで続くかわからん。わしがガキの頃から始まったが、まだ続いておる。とにかく身体じゃ、身体をでかくしろ。武具は粗末でも飯を食え。嫁は醜くとも丈夫の家からもらえ」

 祖父も父も身体の大きな家から嫁をもらい、父も五尺半、そして六輔で六尺となった。

 応仁の乱がおよそ六、七十年前。曽祖父はそのど真ん中で戦っていた侍だった。古くからの侍ではない。それこそ初代は食い詰めて強盗になる直前の流民だった。たまたま戦場跡で武具を拾い、松井家の陣に潜り込んだという程度の人物だった。

 手柄を立て、家をもらい、身体を大きくして六輔が誕生した。六輔という名はもちろん、身の丈六尺になれという意味であった。

 薫長という諱は、六輔が元服した時の二俣城主、松井左衛門尉宗薫から授かったものだが、ほどなくして病死してしまった。

 水汲みが終わると、侍所の若輩の居房に入り、小袖に肩衣を羽織る。若輩と呼ばれる若手の下っ端侍は六人いるが、今日出仕しているのは六輔を含めて三人で、あとの二人は既に政所に入っている。

 ただし、六輔たち若輩の仕事は政所で決裁することではなく、決裁した文書を担いで運ぶことである。それらの仕事はほとんどが散文的なものであり、六輔たちは余計な口を挟む糸口もないまま政所と書院を往復する。

「おう、六輔、邪魔だでかいぞ」

 武士たちの間であっても六輔の体躯は珍奇なものなので、ただ歩いているだけで腰を叩かれる。気味の悪いときには尻を揉まれることもある。

 訴訟を解決するのは午前中までで、それが終われば書類を整理して政所での仕事は終わる。六輔たち若輩は最後まで残って後片付けをして、先輩武士たちの見送りをしてから帰宅となる。


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