六章

六章-01 「退きなさい。私はエリス・ロサ。シルヴァに会いに来たわ」

 ――そうしてエリスは、そこにいる。

 エリス・カサンドラの屋敷。二階建ての広大な屋敷に、エリスは再び足を運んでいた。

 今度は同行者はない。彼らはエリスが再び足を運んだと聞けば、どう反応するだろうか。

 喜ぶだろうか、と思った。何しろ彼らはアーメと同様に、カサンドラの味方だろうから。

 味方がいないのならば、一人で行っても変わらない。エリスがこの屋敷に一人で足を運んだのは、そんな理由だった。

 だってここに、シルヴァがいるというのなら。一方的にさよならだけを叩きつけておしまいだなんて、そんなことエリスは納得していないのだ。

 鉄柵のような門の前に立てば、一人でに柵が動いた。魔術、と言葉が脳裏に浮かぶ。

 あいにく、エリスに魔術はない。持つのはこの心、この命のみ。

「だから、誰にも渡さない」

 エリスは独りごちた。決意に似た言葉だった。

 門から屋敷までの間は、鬱蒼とした草むらが生い茂っている。その草むらに、生じる気配があった。

 獣。けだもの。シルヴァの手足たち。

 だからエリスは、言った。

「退きなさい。私はエリス・ロサ。シルヴァに会いに来たわ」

 強く、強く、言葉を紡ぐ。

 残念なことに、狼たちはその言葉に動じる様子はなかった。一歩、一歩、エリスを囲うように近づいてくる。

 彼らの目的は何だろう、とふと思った。シルヴァの考えを汲むなら、追い出そうとしているのか。

 冗談ではなかった。このまま何もできないままだなんて、エリスの矜持が許さない。

「退きなさい!」

 語気を荒らげた。獣たちは構わない。

 大きな、立ち上がれば人の体躯を超してしまうだろう大きな狼だ。そんな狼が、二匹、三匹。草むらの奥にだってまだ気配がある。

 一噛みでもされればひとたまりもないだろう。エリス・カサンドラよりも間近な、それははっきりとした脅威だった。

 下がりかけて、踏みとどまる。こんなところで、逃げ帰ろうとは思わなかった。

「退いて。……わたしは、あなたたちの主に会いたいのよ」

 また一歩、近づいてくる。エリスは息をのんだ。

 先頭の狼が体勢を低くする。飛びかかってくる、とエリスは身構える。

 今にも狼が動こうとした、そのときだった。

「お退きなさい。レディのわがままに応えて見せるのが紳士というものでしょう」

 草むらが、

 あまりのことに驚いて、声のした方を振り返る。声から誰かは判っていた。

「ハーゼ!」

「ご機嫌よう、エリス・ロサ。良い日ですね。もう数日すれば下弦です。弓張りの月ですよ」

 相変わらず、浮世離れした上機嫌で言いつのる。

「月は良いですね。良いものです。この世の何よりも美しい。そうは思いませんか、エリス・ロサ」

「美しさは比肩するものではないわ」

 言い返してから、エリスは首を振った。

「いいえ、そんな話をしている場合ではないわね。助かったわ、ハーゼ」

 狼たちの方を見れば、足元を氷漬けにされて動けないでいるようだった。

 些か心配だが、シルヴァの手下な時点でただの狼ではないはずだ。大丈夫だろう、と自分を納得させる。

 そんな様子を見て、何を思っていたのだろう。ハーゼがにこやかに、首を小さく傾げる。

「お行きなさい、エリス・ロサ。あなたの求める答えはそこにありますよ」

 元から求めてはいなかったけれど、屋敷まで着いてくるつもりはないようだった。ふと思いついて、問いかける。

「ねえ、ハーゼ。あなたもカサンドラの味方なの」

 純粋な問いかけだった。端から見て、カサンドラに接触しようとしているエリスの行動は無謀なものだろうからだ。

 それが予想外の問いかけだったのか、ハーゼがきょとりとした。何だか初めて、ハーゼと会話をしている気がした。

「なんと、まあ。可愛いことを言いますね」

 今のは間違いなく、馬鹿にした台詞だろう。むっとしたエリスに、ハーゼはやはり浮世離れしてにこやかに、言い返したのだった。

「いいえ、わたしは世界でただひとり、ルネ・プリンセッセだけを助けます」

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