五章

五章-01 「私はずっと昔に、友人を失うという経験をするべきだったんだ」

「アーメ……」

 エリスは呻くように名を呼んだ。

 ヴェルト兄弟を紹介したのはアーメで、それは詰まり彼はエリス・カサンドラとエリス・ロサを引き合わせようとしたのだ。間違いなくそれはエリス・ロサの意に反することで、敵対と言っても良い。

 だというのにアーメには、普段と変わるところは何一つなかった。いつもクラスで会うときのまま、《弓張り姫》で会うときのまま。

 同級生の顔で、友人の顔で、アーメはエリスの前に佇んでいる。

「おう、エリス。なんだ、ロサのままか」

 敵意のはずだ。悪意のはずだ。アーメの言動は、それらがなければ説明がつかない。

 だというのにアーメはいつもの友人の顔で、まるでお使いでもちょっと頼んだような顔で、エリスの前に現れた。

「ロサのままか、じゃないわ。アーメ」

 話すべきだ、と思った。何を話すべきかは判らないけれど。

「ルネに助けられたけれど、助けられなければどうなっていたか――。どうしてあんなことをしたの?」

「だってお前、シルヴァに会いたかったんだろう」

 怪訝げにアーメは言った。

「あそこにはずだぜ、シルヴァは」

「でも、エリス・カサンドラもいたわ。彼女は何?」

「何って、お前だろ」

 当然のことを当然だと言うように。

「お前はいつかのエリス・カサンドラだろう、エリス・ロサ」

「違う!」

 ほとんど反射的に、エリスは否定を返した。その返答に、むしろアーメは驚いたようだった。

 違和感に、エリスはぞっとした。

 彼らは、――魔術師だ。魔術師の理論は、エリスには理解できない。

 それと同じように、ただの人間でしかないエリスの理論は、魔術師には理解できないのではないだろうか。

 そう思った。薄らとした絶望と、ずっと友人だと思ってきたアーメへの失望だった。

「違う、違うわ。私とエリス・カサンドラは違う。例えエリス・カサンドラが私の母だとしても、」

 言って、はたと気づいた。今の今まで、理解したようで理解できていなかった。

 ずっと施設に預けられていた。母も父も、名前も顔も知らなかった。

 ルネの言葉を信じるならば、母はエリス・カサンドラで、父はシルヴァなのだ。そしてエリス・カサンドラはエリス・ロサになり――あるいは逆に、エリス・ロサはエリス・カサンドラになり――、シルヴァとの間に子をもうける。

 そんなことを、ずっと続けていたのだ。何百年もずっと。

 なんていびつな親子関係なのだろう。親子、という言葉をエリスは初めて意識した。

「理解して、アーメ」

 懇願するみたいに、アーメにそう言った。

「私とエリス・カサンドラは違うのよ。第一会ったこともないし、今日だってまともに会ったとは言えないわ」

 ただ、感じただけだ。エリス・カサンドラという存在を。

 そこにいる、という違和感。それだけで、何もかもをごっそりと持っていかれるようだった。

 その恐怖が、――アーメに、理解できるだろうか。

 それ以上何をを言うべきか判らず、エリスは沈黙した。その沈黙を破ったのは、低い笑い声だった。

「……ルネ?」

 アーメが不審げにルネの名を呼ぶ。小さく笑っていたルネは、うふふ、と最後にひと笑い零した。

「いやあ、ごめんごめん。私にもいまいち理解できないことなのだけれど、きっと慣れ過ぎてしまったんだね」

 ずっと友人だったから、とルネは言う。

「例えば、私とアーメは違うだろう、アーメ?」

「そりゃそうだ。お前みたいにだらしない女でいて堪るかよ、ルネ」

「それに、ハーゼとアーメも違うだろう」

「当たり前だろ。俺はあいつみたいにルネ狂いじゃないぜ」

「それと同じことらしい」

 今度はアーメが沈黙する番だった。思案するように口を噤んだアーメに、ルネが優しく笑う。

「エリスの子はエリスだね。ずっとエリスだった。ずっと私の友人だった。あまりに長命な私が友人を失わないように、エリスはそういう道を選んだ。それが人の道から外れたことだとしても、彼女にはそれを出来てしまうだけの力があった」

 まるで述懐するように、追憶するように、ルネが口にする。エリスには理解できない理屈を。

「けれどきっと、間違っていたんだね」

 それが人の理だと言うのなら、とルネは笑う。

「私はエリス・ロサを支持するよ、アーメ。それが自然の摂理だと言うのなら」

「……理解できねえな」

 そう、アーメは言った。けれどそれはもう、子どもが理解するべきことを理解したくないというような声音に変わっていた。

「エリスは死ぬんだぜ。だってエリスは、人間だ」

「知ってるよ」

 ルネは笑った。あまりに美しく、まるで不吉みたいに。


「私はずっと昔に、友人を失うという経験をするべきだったんだ」

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