四章-05 「お帰り、エリス・ロサ」
それは、寒気がするほど美しい不吉だった。
はっ、とエリスは眼を覚ました。慌てて身を起こす。
いつの間にか寝ていたらしかった。周囲を見回せば、見覚えのある事務室。
《弓張り姫》のバックヤードだった。
いつだかも寝かされていたソファに横たわっている。正面の椅子にはルネが腰かけていた。
そうだ、とエリスは気づいた。シルヴァを探しに行って、それで。
赤い女。エリスとそっくりな髪の、そっくりな顔の女。
そんな女が、――果たしていたか。どこに。
けれど脳裏に強烈に焼きついて、イメージが離れない。エリスは頭を抱えた。
「大丈夫かい、エリス」
美しい、アルトの声だった。美しい女は、声まで美しい。
指先まで完璧に美しいルネが、ついとその爪先でエリスの顎を摘まんだ。
「まだ顔色が悪いね」
「いいえ、ルネ。わたしは大丈夫よ」
心配げな、もしかしたら半分ほど面白げなルネの指を、エリスはそう言ってそっと外した。
「けれど、教えて欲しいわ。私はどうなったのかしら。それに、どうしてルネがあそこにいたの?」
立て続けに問いかければ、ルネが喉を鳴らした。面白かったのだろう。
「君はせっかちだ」
「ルネが悠長なだけよ」
唇を尖らせる。子どもっぽいな、と思ってすぐに止めた。
「君がエリスの元に行ったと聞いて、まさかと思ってね」
「エリス? エリスは私よ」
「いいや、エリスは二人いる。違うね、本当は一人なのだけれど――」
そこでルネは、言葉を切った。戸惑うように。
「少なくとも私は、二人だと思っているよ。エリス・ロサ」
エリスの脳裏に、赤い女が瞬いた。エリスと同じ髪と、瞳と、そっくりな顔をした女。
「その女が、シルヴァと関係があるの?」
「シルヴァは元々、エリスの使い魔さ。エリスと交わってエリスを生み、またエリスと交わる」
言われた言葉が、理解できなかった。
理解できなかったことを理解したのだろう、ルネが再度口を開いた。幼子にそうするように、優しく。
「エリス、というのは一族の名前だ。あるいは個人の名だ。あるいはある女の名だ。エリスはエリスを生み、エリスはエリスと溶け込み、またエリスを生む。……判るかい?」
「……判らないわ」
嘘だ。本当は半分ほど理解した。だって彼らは、魔術師だ。エリスには使えない、神秘の力を使うものたち。
そんなこと――。
「エリスは私の友人なんだ。ずっと。この数百年、ずっと。――産んだ子に記憶を継承させて同一化し、エリスは実質この数百年を生きている」
それは、おぞましい実験のようだった。
シルヴァを思いだす。出会った途端に好意を見せてきたシルヴァ。ずっと疑問だった。
エリスは使い魔と交わる。その使い魔がシルヴァだとしたら、――残念なことに、何もかも疑問が解けてしまうのだった。
何だか笑い出したくなった。シルヴァはずっと、エリスを見ていたのだ。エリス・ロサじゃないエリスを。
「彼女の今の名は、エリス・カサンドラという。カサンドラが呼んでいるよ、ロサ」
「冗談じゃないわ!」
エリスは叫んだ。気高く、一人の少女のように。
「わたしにそのカサンドラと同化しろというの? 残酷なことを言うのね。わたしはわたしよ。ルネにも、シルヴァにも、否定はさせない!」
その主張を予想していたのか、いないのか。
ルネは、ひどくゆっくりと瞬いた。瞳は深い、深い翡翠で、夜のような容姿に瞳だけが浮いている。
静謐な、一言喋っただけで首を刈り取られるような。
圧倒的な夜が、ひそりと紡ぐ。
「君は不思議だね、エリス。どうしたらそう育つのかな。今までは同化するのが普通だったんだ。エリスの母は当たり前のように同化を望んだし、エリスの娘は当たり前のように同化を受け入れた。今のエリスだって、元はエリスの娘だよ」
首を傾げて、それから一人で得心したように。
「そういえば君は、施設育ちだったか。エリスの手から離れて育ったから、そうなったのかもね。興味深いなあ」
うふふ、と笑う。その姿は、エリスがどうなろうと構わないような、心から憂うような、どちらとも取れない感情が揺らぐようだった。
敵か味方かも判らない姿に、けれどルネは助けてくれたのだと思い出す。ならば。
「ルネ、私は――」
「お帰り、エリス・ロサ」
軽い声をかけられたのは、そのときだった。エリスは振り返る。
事務所の入り口で、アーメ・サバンツがひらりと手を振っていた。
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