四章-04 「やあ、おいたが過ぎるんじゃないの」

「ご機嫌よう、シルヴァ。あるいはシルヴァの手足」

 動くことの出来ないエリスを置き去りに、上機嫌にそう声をかけたのはオセアンだった。エリスがオセアンを振り返る。

「どういうこと?」

「あなた、本当に何も知らないのね」

 うふふ、と笑う。悪意もなく、嫌味もない。

「でも大丈夫よ。すぐに判るわ」

 そしてエリスの手を取って、ぐいと強引に引っ張った。

「ちょっと!」

「行きましょう、エリス! エリス・ロサ。あなたの後ろに嘯きはなく、あなたの前に隔たりはない」

 言いながら、躊躇なく足を踏み出していく。獣の群れのど真ん中へと。

 戦慄とともに獣を見回して、エリスはふと気づいた。彼らはただの獣ではない、狼の群れなのだった。

 瞳には獣の理性が宿っている。まるで、誰かの命令に従っているような。

 誰かの命令に。主の命令に。

 シルヴァ、とオセアンの呼びかけた名前が脳裏に響いた。

「シルヴァ……?」

 まるで、に従っているような。

 馬鹿みたいな話なのに、不思議な実感を持って呟く。シルヴァ、あなたなのと。

 返事はなかった。それが答えの気がした。

「シルヴァ、シルヴァ、いるの?」

 声を張り上げる。周囲を探るエリスに、オセアンはくすくすと笑った。

「そんなに焦らなくても大丈夫よ。すぐに判るわ」

 先ほどと同じ台詞で結んで、ぐいぐいとエリスを引っ張っていく。

 邪魔をしてくるかと思われた狼たちは、何をするでもなかった。エリスたちが一歩踏み出すたびに一歩下がり、一定の距離を保っている。

 それは確実にただの狼の動きではなくて、そのことがエリスを否応なしに不安にさせるのだった。

 踊るような動きでオセアンが前に滑る。エリスは引っ張られて、シエルはしずしずとその後ろをついて歩く。

 古い、洋館のようだった。待っていたかのように、迎え入れるかのように、ぎい、と扉が開く。

 三人は扉をくぐり抜けた。赤い絨毯が奥まで続いている。

「シルヴァ、……いるの……?」

 今度はやや押さえた声で、エリスが言った。その、隣で――。

「エリス、エリス」

 オセアンが唐突に、声を張り上げた。

「エリス、エリス。エリスはここよ。あなたのエリス。あなたたちは一つになって、二つに分かる」

 驚いて、エリスはオセアンを振り返った。

 理由はわからない。ただ、駄目だと思った。

 ぞわりと肌が総毛立つ。何故かなんてわからない。ただ、駄目だ。

 それは、駄目だ。

 だって私は、――。

「エリス、エリス。可愛いエリス・ロサ」

 オセアンが、笑った。それしか表情を知らないみたいに。

 可愛らしく、悪辣に。

 ふと、アーメの言葉を思い出した。味方を見誤るなと、彼は言った。

 それは、何のことを言っていたのだろう。

「あなたはエリス・カサンドラになるのよ、エリス・ロサ」

 そして、意識が吹き飛んだ。




 赤い女。赤い女だ。エリス・カサンドラ。

 エリス。あるいは諍いを喚ぶもの。

 エリス。赤い魔女。赤い占術師。赤い巫女。

 そして、――

 記憶が流れ込んでくる。自我がかき消される寸前で、聞き覚えのある声が聞こえた。


「やあ、おいたが過ぎるんじゃないの」

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