四章
四章-01 「忘れてしまいなさい、エリス」
果たしてアーメの言う通り、それきりシルヴァがエリスの前に現れることはなくなった。
エリスの在籍する孤児院では、年齢に応じて二人部屋か四人部屋に分かれている。相方のいない二人部屋で、エリスはベッドに思い切り腰かけた。
ばふっ、と反動で体が浮き上がる。馴染んだ固いベッドは、エリスを慰めてはくれなかった。
清々した、とエリスは思う。そもそもシルヴァから近づいてきたのだって、一方的だったのだ。
「いなくなるときまで一方的だなんて、生意気だわ」
シルヴァのくせに、と独りごちる。シルヴァのくせにといったって、エリスはシルヴァのことを知らないのだけれど。
ただ知っているのは、優しさと、不器用さ。
人間じゃないこと。おそらく、エリスのことが好きだということ。
エリスにとってシルヴァの知っていることはそれくらいで、だからこういうときにどうして良いのか判らないのだ。
だってエリスは、シルヴァの連絡先すら知らないのだ。そもそも連絡先というものを持っているのかどうかも。
ただどうしてか当たり前みたいな顔をして、近くにいた。その理由も知らないけれど。
「……嘘つき」
わたしを選ぶと言ったのに。ルネではなく、あの美しい月ではなく、エリスを選ぶというのなら――。
それは一つの覚悟だったと、エリスは思うのだ。
いなくなってしまった今となってはもう判らないけれど。あの魚の異形と対峙した日に。
「忘れてしまいなさい、エリス」
自分に命じるように、エリスは高らかにそう言った。シルヴァと過ごした日々は少しだけ特別だったけれど、それが元に戻るだけのことだ。
エリスはどこにでもいる普通の少女で、不思議なものこそ見えるけれど、特別なことはなにもない。
それで良いじゃないかと思う。この先の平穏を望むなら、魔物とのこれ以上の関わりなんて危険なだけだ。
そう、思っている。
エリスはベッドから降りて、外に出ようとした。散歩にでも行こうと思ったのだ。
その足に、何かの箱が当たる。何気なく視線を下ろして、エリスは息を詰めた。
いつだったかに、シルヴァから贈られたボードゲームだった。
最大四人でプレイできるから、何度か孤児院のみんなと遊んだ。片付け忘れていただけだ。さっさと片付けてしまえばいい。
だというのに、エリスの足は動かなかった。
「……嫌な人ね、あなた」
散歩に行こうとしていた足を止めて、小さな箱を拾い上げた。嬉しそうにシルヴァが持ってきた様子が思い浮かぶ。
たぶんあのときのシルヴァに、二心はなかっただろう。ただエリスを喜ばせるためにプレゼントを用意したのだ。
「……はあ、」
嘆息して、エリスは顔を上げた。途端、びくりとする。
「アーメ! どうしてここに」
ノックもなく、いつの間にか部屋にアーメがいたのだった。孤児院はセキュリティが厳しいわけじゃないけれど、部外者が簡単に入れる場所でもない。
「それ以前に、どうやってここに」
「まあまあ」
アーメは愉快げに笑った。エリスの手元で大事そうに抱えられているボードゲームを見下ろして、にやりとする。
「迷惑だったんじゃなかったのか?」
「煩いわね、アーメ」
憮然として、エリスは言い返した。
「わたしの感情はわたしだけのものよ。あなたに推し量られる謂われはないわ」
「まあそう怒んなって。良い話を持ってきてやったんだからさ」
胡乱げなエリスに、アーメは笑った。まるでどこかの猫みたいに。
親しげに、けれど悪辣な顔をして。
「シルヴァに会いたいんだろ?」
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