三章-05 「シルヴァは戻らないぜ、エリス」

 エリスは眼を覚ました。

 見覚えのない室内だった。暗く落ち着いた室内で、革張りのソファに寝かされている。

「ん――」

 エリスはぐるりと室内を見回した。小さな給湯室に、観葉植物。端にはデスクが置かれている。

 デスクの上のパソコンを眺めていると、後ろから声がした。

「眼ぇ覚ましたか」

「!」

 覚えのある声をかけられて、エリスははっと顔を上げた。横たわるエリスを、アーメが見下ろしていた。

「アーメ、ここは?」

「《弓張り姫》のバックヤードだよ。ルネはいないけどな」

「バックヤード……」

 小さなロッカーも見える。簡易な事務室のようなここはなるほど、バックヤードと言われればそれらしかった。

 狭い部屋を見回して、エリスは納得した。入るのは初めてだった。

「一体、何が――」

 言いさして、エリスは言葉を止めた。

 じわじわと記憶が戻ってきた。エリスは謎の女に攫われて、誰かに助けられたのだった。

 否、誰かではない。最後にかけられた声は知っている。

「あなたが助けてくれたのね、アーメ」

 体を起こせば、くらりと視界が揺れた。眼を伏せて一瞬の目眩をやり過ごす。

 顔を上げれば、向かいのソファにアーメが座っていた。面白そうに眉を上げている。

「シルヴァじゃなくて残念だったな」

「もう、そういうことを――」

 言いかけて、口を噤んだ。

 そういえばこの場には、シルヴァがいないのだった。攫われる直前までは一緒にいたのに。

 あのまま放置されたのだ、とはさすがに思わなかった。

「シルヴァは大丈夫なの?」

 シルヴァが強いことは、もう知っている。けれどこの場にいないということは、何かがあったのかも知れなかった。

「さあ?」

 エリスの焦りに反して、アーメの反応は暢気なものだ。

「エリス、お前は好ましい性格だが、敵と味方を見誤ってるのは良くねーな」

「敵? 味方? 何の話?」

「だから言ったろ、あのストーカーのせいじゃねーのって」

「わたしが襲われるのは、シルヴァのせいだと言うの?」

 つい、咎めるような声が出た。それが面白いと言うように、アーメが片目を眇めて見せる。

「そうかも知れないし、」

 アーメが机に何かを滑らせた。それがいつの間にか用意されたアイスティーだと気づいて、大人しく受け取る。

「そうじゃないかも知れない。お前は知らなさすぎるよ、エリス・ロサ」

「わたしが何も知らないのは!」

 思わず出た声だった。責めるような語調が物珍しかったのか、アーメが動きを止める。

 先を促す視線に、一瞬怯んだ。言葉を止めるわけにはいかず、口を開く。

「……あなたたちのせいでしょう、アーメ」

 自分でも、どうしてそう思ったのか判らなかった。居たたまれなくなって視線を逸らす。

 対して、アーメが喉を鳴らした。何かが面白かったのかも知れなかった。

「違う違う、逆だ。俺たちは知っているはずのことを教えてないだけ」

 滑らされたアイスティーに、口を付ける気にはどうしてもならなかった。無作法を承知でくるくるとストローでかき回す。

「俺はお前の友達だからな、もう一回言うぜ。誰が敵か、味方かを見誤るなよ、ロサ」

 エリスの様子を見て何を思ったのか、アーメがシロップとミルクを転がした。そうではないのだけれど、と思いながら苦笑して受け取る。

「……ありがとう。受け取っておくわ」

 忠告とアイスティー、両方に対してそう返せば、満足したのかアーメが頷いた。それから、まるでついでのように。

 事務連絡でもするみたいに、簡単な口調で言う。


「シルヴァは戻らないぜ、エリス」


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