三章-03 「待って、止めてエリス!」

 以前シルヴァに助けられて以来、エリスとシルヴァの仲は少しだけ縮まった。

「エリス、エリス」

 エリスを呼ぶシルヴァの声は、花の糖蜜がけのようだ。酷く甘ったるい声がエリスの耳を擽る。

「ジェラートを食べようよ、エリス。あそこに座っていて」

 示されたのは公園のベンチだ。公園の反対側では、キッチンカーでジェラートを売っているようだった。

「えっ、あなた――」

 魔物なのにお金を持っているの、と問おうとして、踏みとどまった。野暮だし、今までの経緯を考えれば今さらな話だった。

 浮かれた足取りでジェラート屋に向かう背中を見送って、公園のベンチへ向かう。木材でできたありふれたベンチだ。

「良い天気ね」

 空を見上げて、エリスは呟いた。空一つない快晴の天気で、自然とエリスの機嫌も上向く。

 今日はバイトも休みの休日、シルヴァと行動を共にしているのは、シルヴァが迎えに来たからだった。いつの間に施設の場所を知ったのだという気力もない。

 まるでエリスの場所を把握しているかのように、エリスがいる場所ならばどこにでも現れる。ストーカー一歩手前の行動だけれど、シルヴァにあまりに悪意がないから毒気も抜けてしまう。

 けれどエリス以外の人間にそんなことをすれば通報されてしまうから、そのうち言い聞かせなければ、と頭の片隅に留め置く。

 お出かけ用のワンピースの裾が風に揺れる。ふわりと浮き上がりそうになった裾を手で流して、エリスはジェラート屋に視線を向けた。

 列に並ぼうとしていたシルヴァを眼が合う。シルヴァは瞬いて、それからあっという顔をした。

「エリス、エリス!」

 口の動きからそう呼んでいるのは判るけれど、その先は判らない。何かを問おうとしているようだけれど、どうしたのだろう。

 首を傾げていると、シルヴァが何かを指し示した。メニューの書かれた小さな看板。

 はた、と気づいた。そういえば、味も確認せずに離れてしまった。

 並んでいるシルヴァは動けない。シルヴァに近づいて好みを伝えようと、エリスは立ち上がった。

 ふわりと風が舞う。スカートの裾が翻る。

 シルヴァと眼が合った。シルヴァが眼の色を変えて、こちらに走り出す。

「シルヴァ?」

 不審な動きに、エリスは怪訝な声を上げた。スカートの裾を直そうと無意識に手を動かす。

 その手を、

「――え?」

 間の抜けた声が出る。右腕を見下ろす。

 子どもの手だと思った。

 同じくらい、老人の手だと思った。

 むっちりとした、あるいはひょろりとした、妙にすべすべとした、それでいてざらざらとした手が、エリスの腕を掴んでいる。

「逃げて、エリス!」

 シルヴァの声が耳をすり抜けていく。理解しがたいものを前にして、エリスはひっと息を吸い込んだ。

「きゃあああぁ!」

 反射的に手を振り払った。手がと伸びて、エリスの手に絡みつく。

 それだけではなかった。公園の地面から、植えられた木の根元から、ベンチの木組みの隙間から、次から次に手が湧き出してくる。

 それは一種、悪夢のようで――。今までにない悪意に、動きが取れなくなった。

「待って、止めてエリス!」

 シルヴァが何かを叫んでいる。どこか乞うような響きだ、と思った。

「エリス、違うんだ、違うんだよエリス愛してる、待ってエリス!」

「シルヴァ、あなたは……」

 、と問うよりも先に。

 とぷんと体が沈んだ。公園の地面に吸い込まれて、それきりエリスは気を失った。

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