三章

三章-01 「いやだわ、好かれてばかりね」

 ――なんだか最近、よく出くわす気がする。

 通学路、チェックのスカートをひらりと揺らして歩きながら、エリスはそんなことを思っていた。

 何にって、にだ。空を飛ぶ魚、小さな老人、一つ目の猫。

 そういった、この世のものではない、不思議な生き物たちに。

 スカートに纏わり付いてきた小さな猿のような何かを、エリスはさり気ない動きで払った。周囲の目を、あるいは自分を誤魔化すようにスカートの裾を指先で摘まんで調える。

 放課後のことだった。今日はアルバイトもないから、あとは帰るだけだ。

 友人たちとは既に別れ、一人で歩く。途中、エリスは足を止めた。

 何だか嫌な予感がする、と思った。シルヴァと出会ってからこちら、そんな感覚ばかりを肌で覚えてしまった。

「いやだわ、好かれてばかりね」

 言いながら、エリスは髪を払った。

 周囲にひと気はなく、頼れるひとも、巻き込む人もいないようだった。もしくは既に、エリスだけがいるか。

 何だか嫌な予感がする、と思った。これはきっと、無視をしてはいけない類だ。

 一番安全なのはやはり、《弓張り姫》に駆け込むことだろう。

 するり、と爪先で地面を擦る。《弓張り姫》までは、ここから走れば十分ほどかかる。

 走るか。――体力が持つだろうか。


 ――なご、


 考えるエリスの耳に、密やかな猫の声が届いた。思わずびくりとして、肩を揺らす。

 道の角から、のそりと何かが姿を見せた。

 大きな猫だ。三毛の猫、足から見えて、顔が見える。

 否、見えなかった。顔がくしゃりと潰れて、歯がびっしりと並んだ口だけが存在している。

「――きゃああぁっ!」

 グロテスクな有様に、堪らずエリスは悲鳴を上げた。猫が近づいて来ようとするのに、通学鞄を振り回す。

 良かったのか悪かったのか、猫の横面に通学鞄が当たった。短い悲鳴を上げて、猫が倒れ込む。

 一瞬の罪悪感と、安堵と。湧き上がった二つの感情のうち罪悪感を振り払って、エリスは逃げ出した。

 ごそりと背後でうごめく気配がする。ぞわりと背筋に怖気が走る。


 ――なご、


 どこから出したかも判らない猫の鳴き声がまた届いた。足を止めてはいけない、と言い聞かせる。

 だというのに、次に聞こえた言葉にエリスは足を止めた。


 ――エリス、


「えっ、」

 しまった、と思ったときには遅かった。考えるよりも早く足が止まって、振り返る。

 己の失態に、ぞわりと背筋が凍った。がばりと猫の口が開いて、びっしりと並んだ歯に襲われる。そんな光景を予測した。

 けれど、予測した光景はなかった。何の変哲もない道が眼の前に広がっている。

 異様な猫は、気配すら残さずにどこかに消え失せていた。

「なんなのかしら、もう」

 乱れた髪を押さえつけて、呟く。ゆっくりと数度、髪を撫でつける。

 指先が震えている。無理矢理に握り込んで、そろりと猫のいた角に近づく。

 気配は完全に消え失せている。今さら何かが出てくることはないだろう。

 ようやく肩の力を抜いて、エリスはほうと近くの壁に寄りかかった。制服に砂がつくけれど、今は構っていられなかった。

 先ほどの声を思い出す。気のせいでなければ、エリスの名を呼んではいなかったか。

「……まさか」

 彼らのような不可思議な生き物に名前を呼ばれたことなんてないし、名前を知られているはずもない。気のせいだと思い込んで、エリスは首を振った。

 何度か聞いた猫の鳴き声とエリスを呼んだような声が、いつまでも耳の後ろにこびり付いた。

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