二章-06 「ルネよりもわたしを選ぶというのなら!」
エリスにとって、シルヴァという男は謎ばかりの存在だった。シルヴァだけではない。ルネも、ハーゼも、アーメも。
エリスにとって、世界は判らないことばかりで、もっと言えば判りたくないことばかりだった。
世界は。この世界は。
不思議という、生き物たちは。
「――あなたが!」
それは何だか、奇妙な感覚だった。何かに追い立てられて、だというのにどうしたって、おかしい。
「ルネよりもわたしを選ぶというのなら!」
何かが近づいてくる。その焦燥に追い立てられて、足を動かす。
はたと、エリスは気づいた。だってエリスは、寂しかったのだ。
エリスはこの世界に、ただ一人だった。
友人はいた。孤児院の仲間たちも。大切な存在はいくらだって数えられて、両手では抱えられないくらいで、それはとても幸福なことだったけれど。
それでも、だって、――たぶん、寂しかったのだ。
大切な人たちは、誰もエリスと同じ世界を見てはくれなかったから。
同じ世界を共有する友人たちは、誰しもエリスではなくルネが一番だったから。
それはまるで必然みたいに当然すぎて、今さら嘆くことも、不思議に思う余地すらないことだったけれど。
「それは、なんだか、とても――」
まるで、隣に立ってくれているような。どうしたって一番になれないエリスを、一番にしてくれる同じ視界の人間がいるというのなら。
「ねえ、シルヴァ!」
「はぁい?」
走り始めてすぐに上がった息で、情けない声でシルヴァは答えた。公園から遠ざかって、住宅街に入っていく。
夜遅い時間だって、住宅街に行けば人の通りはあるはずだ。だというのに、人の気配も感じられない。
ぞわっ、と鳥肌が立った。その恐怖を振り切って、エリスは笑った。
「あなた、私と同じなのね。もしもあなたが、私を選ぶというのなら――」
「選ぶよ!?」
エリスの言葉には脈絡がなくて、シルヴァには何のことかさっぱり判らなかったはずだった。それでも何かを感じ取ったように、力強い声でシルヴァは言い切った。
それは息が上がって、震えて、情けない声だったけれど。
「選ぶよ、選ぶ! いつだって、何からだって、僕はエリスだけを選ぶさ!」
「そう。それは、とても――」
エリスは、笑った。
「誇らしいことだわ」
がさり、と後ろの茂みが鳴った。
人の気配一つない住宅街で、がさり、がさり、と定期的に茂みが鳴る。足音はない。ただ、茂みが鳴る。
足音はない。いっそ足音が聞こえれば、これほど奇妙には感じなかっただろう。
「速い――」
いつだったかに出くわした、犬の化け物を思い出した。
あの犬も速かった。そもそも根本的に、ひとの身体能力は彼らに敵わない。
「遠いのよね、《弓張り姫》。これは詰んだかしら」
《弓張り姫》までたどり着ければ、どうとでもなっただろう。けれど住宅街を抜けて、駅前を通り過ぎて、繁華街まで行って――遠すぎる。
「きっと、追いつかれる方が早いわ。ねえ、シルヴァ」
がさり、とすぐ近くで茂みが鳴った。
エリスは息を飲んだ。今までよりも格段に近い位置だった。
いまだに姿は見えない。けれど、いる。
次の行動を決めるには十分な、けれど逃げるには不十分な、そんな一瞬の間を開けて――。
それは、茂みから飛び出した。
一見すると、それは魚のようだった。けれど奇妙に頭が大きく、尾が短い。
何より、宙に浮いている。普通ではあり得ない魚に、エリスはそっと悪態を吐いた。
「今回は私たち、何もしてないはずなのに!」
「前は何か悪いことしたみたいな言い方だね」
「あなたはちょっと黙ってて! ややこしくなるわ」
「酷いなあ」
シルヴァの声は相変わらず息が上がっていて、情けないものだった。
けれど、後ろにいる。そのことが、エリスを強くした。
「シルヴァ、あなたは本当に訳がわからないし、生まれてきたことと育ち方をちょっとくらい反省したほうが良いわ。それでもあなた、悪いひとじゃないのだもの。だから、」
来る、と思う。素早い動きなんてろくに見えないし、反応だってできない。それでも。
「――さっさと逃げなさい!」
言い捨てて、エリスは腕を広げた。シルヴァの盾になるように。
眼は最後まで閉じるつもりはなかった。
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