二章-05 「ばかなひとね、あなた」

「あなた、意中の女性にはいつもそんな態度なの?」

 心底呆れたというように、エリスは嘆息した。

 シルヴァは何が楽しいのかにこにこしている。その笑顔を見ると、どうしたってエリスは気を抜かれるのだった。

 それでも、とシルヴァのためにも言葉を続ける。

「もしかしたら今までは大丈夫だったかも知れないけれど、これからも大丈夫とは限らないわよ。世の中には相手の気持ちを逆手に取る、こわい人だっているんですもの」

「エリスは優しいんだね」

「そういうことではなく――」

「そういうことだよ」

 妙に断言されて、エリスは面食らった。ときどき、シルヴァとエリスは違う論理で動いているように思う。

 エリスから半ば強引に預かった荷物を上機嫌に揺らしながら、シルヴァは穏やかに断じた。

「そういうことだよ。だってエリス、僕はエリス以外を好きになんてならないもの」

 馬鹿みたいに強く、真っ直ぐな言葉だった。返す言葉を失って、エリスは咳払いで誤魔化した。

「本当に――」

 呟くような言葉には、笑みの気配が混ざっていた。

「ばかなひとね、あなた」



 ちょうど、ひとけのない公園を通り過ぎたときだった。

「――……」

 予感、直感。

「シルヴァ、待って」

 あるいは気配のようなものを感じて、エリスは足を止めた。

 知っている気配だった。馴染む気なんて全くないのに、エリスにとって身近なもの。

 気配。

「エリス?」

 数歩先に進んで、エリスが遅れたことに気づいたシルヴァが振り返る。不思議そうに首を傾げる。

 そういえば、とエリスは思った。本当に今さらなことを。

 出会ったときシルヴァは、不可思議な犬を相手にしていた。ということはシルヴァには、が見えるのだろうか――。

 それは、不思議な感覚だった。エリスの周りで不思議な何かが人たちは、ルネの周りにしかいなかったから。

 ルネにも、ルネの周りの人たちにも独特の雰囲気があって、それはこの世のものではないようだった。だからそういうものなのだと、エリスは自然と納得してしまっていた。

 エリスにとっては、エリスの住む世界と、ルネの住む世界は似て非なるものなのだ。そんな中で突然に眼の前に現れたシルヴァは、ルネたちよりも少しだけ、エリスに近い生き物だった。

 エリスに近い生き物が、エリスと同じように不思議な生き物を見ている――。それはエリスにとって、奇妙な感覚だった。

 まるで、

「――、」

 すう、と息を吸い込んだ。

 はた、と我に返った。いつの間にか考え込んでしまっていたけれど、こうしている間にも近づいてくる。

 近くなっている。

 近寄ってくる。

 歩み寄ってくる。

 寄りついてくる。

 近づいてくる。

「……エリス?」

「シルヴァ、」

 それは、奇妙な感覚だった。エリスに近い生き物が、エリスと同じものを見ているかも知れないという幻想。

 そんなもの、ルネに感じたことはなかったのに。ルネが同じものを見ていたって、ハーゼが同じものを見ていたって、アーメが同じものを見ていたって、エリスはいつだって一人だった。

 だから、奇妙な感覚だった。もしかしたら生まれて始めてかも知れなかった。


 、という感覚。


 だから、エリスは――。

 すう、と息を吸い込んだ。鋭く息を吐き出して、叫ぶ。

「……走って!」

 どこに逃げれば良いのかなんて判らなかった。けれど、シルヴァの手を取って、我武者羅にエリスは駆けだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る