二章-03 「――花の、獣だな」
「――で、その花のような男に流されてるわけか」
「流されてはいないわよ! ……多分……」
言い返して、エリスはしおしおと勉強机に懐いた。
エリスの通う学校でのことだった。友人のアーメ・サバンツが呆れたように笑っている。
快活な少年である彼はエリスが中学校だった頃からの友人で、ルネとも知り合いなのだった。男と女だけれど、ルネという繋がりがあるからかそれなりに話す仲だ。
《弓張り姫》は特別なことのないただのカフェ・バーなのだけれど、ルネの美しさと独特の雰囲気もあってか店主自身のファンが異様なほど多い。ハーゼというルネの熱烈な信奉者がいることもあって、アーメの至ってフラットなルネへの態度は物珍しく映るのだった。
そんな、普通ではあるけれど少しだけ変わった少年が、興味深げな様相で、けれど興味薄げにエリスの話を聞いている。
「花のような、――ねえ」
それから、心底おかしげに笑った。
「あれは獣だぜ、エリス。主人に近づいた人間にゃ誰彼となく噛みつく、手に負えねえ番犬さ」
「うん、――」
なんだか似たような言葉を、別の人間にも言われた気がする。
ぼんやりと考えて、はたとエリスは気づいた。いま、アーメは何と言っただろう。
「……あら? あなた、シルヴァの知り合いなの」
「知り合い、というか――」
アーメは首を傾げた。
「存在を知っている、というだけだな、ルネの関係者は、たいがい知ってるぞ」
「まあ」
驚いて、エリスは声を上げた。
「そのわりには、《弓張り姫》には入ってこないのね」
「そりゃそうだ。《番犬》は《弓張り姫》が嫌いなのさ」
関係者みなが反応するような仲なのに、嫌っているのだという。その関係が想像できなくて、エリスは首を傾げた。
美しい、美しい、美しい、ルネ・プリンセッセ。あの美しい姫を嫌う人間がいるとは、ちょっと信じられなかった。
「あんなに美しいのに」
「……お前、しっかりエリスだな」
「それは、もちろん。わたしはエリス。エリス・ロサ。それ以外の何者でもないわ」
反射的に返したが、それはアーメの望む返答ではなかったのだろう。呆れたような視線を向けられたまま、アーメの視線の温度が上がることはなかった。
「――ま、良いさ。お前が何であるかは、お前が決めることだ。――と、ルネなら言うだろう」
なんだか不思議なことを言う。ルネの関係者はときに、エリスには理解できない言葉を使う。
けれどエリスはそれで良いと思っている。エリスはごく普通の少女で、不思議な力なんて何一つ持っていない。だから不思議な力を当たり前みたいに操る彼らと言語が違うのは、ときに当たり前のことなのだ。
操る術が違えば、言語も違う。同じ人種でも、同じ国でも。そんな簡単なことすら、判らない人には判らないみたいだけれど。
例えばエリスは当然のようにスマートフォンを使うけれど、ルネはスマートフォンに慣れるのに時間がかかって、最初のほうはエリスが教えていたのだ。ちょっとした言語の違いなら、そうやってすり合わせることができるのだ。
できないことも、あるけれど。
「――彼は、どうなのかしら……」
呟いて、エリスは半眼になった。シルヴァ。銀色の髪を靡かせた、整った顔立ちの男。
彼の操る言語を、エリスには理解できるのだろうか。
「噂をすればだ、お嫁さん」
思いっきりからかうような調子で言って、アーメが喉を鳴らした。彼の言ったことが最初は理解できなくて、ぱちりと瞬く。
それから、――えっ、とエリスは声を上げた。だって、ここは、学校だ。
「嘘でしょう、あの馬鹿!」
馬鹿呼ばわりに、後ろでアーメが吹き出すのが判った。それに構わず、教室の窓から体を乗り出す。
特別目立つような色彩ではないのに、不思議とその男は眼についた。
校舎から大きな校門にかけては、調えられた庭や、石畳の道が続いている。その道の半ばに据えられたベンチに、寄りかかる影があった。
間違いない。すう、と息を吸い込む。
「シルヴァ! あなた、何をしているの!」
普段大きな声を出さないエリスの声に、教室がざわついた。集まる視線などものともせず、エリスは再度息を吸い込んだ。
「警備員の方に放り出されてしまえば良いわ、愚か者!」
エリスの罵倒をどうとったのか、遠目にもシルヴァが嬉しそうに顔を上げたのが判った。反省した様子のないシルヴァに眉を上げたエリスの眼に、鮮やかな色彩が映る。
シルヴァが後ろに回していた手を前に出して、何かを掲げて見せたのだった。掲げられたものをみて、エリスが絶句する。
おや、と面白そうに、アーメが呟くのが聞こえた。
花束を抱えて、嬉しそうに笑っているシルヴァを見て。感慨深げに、楽しげに。
「――花の、獣だな」
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