二章-02 お手をどうぞ、レディ。デートしましょう!
――果たしてルネの予言めいた言葉は、ほんの数十分後には実現することになった。
《弓張り姫》で炭酸水を飲み干して、お店を出た直後のことだった。眼の前に影が差して、エリスは顔を上げた。
眼に映った男の姿に、一瞬言葉を失った。エリスから言葉を奪った当人はといえば、暢気そうな顔でひらりと手を振っている。
カラン、というドアベルの音と、ようやく零れたエリスの声が同時に落ちた。
「あなた、どうしてここに…」
心底驚いて瞬く。目の前に、数日前に出会ったばかりの男――シルヴァの姿があったからだ。
連絡先を交換した覚えも、居場所を伝えた覚えもない。どうやって自分の居場所を知ったのか。
思わず振り返れば、扉の隣に半地下の窓が見える。
窓の奥、カウンターに座ったルネがひらひらと手を振っていた。したり笑顔で、完全に面白がっている。
だから言っただろ、という声が聞こえるようだ。
少しだけ呆れた気持ちでシルヴァを見直せば、当人はなぜか不思議そうな顔をしていた。
「だって、君がルネの元にいるのは当然でしょう? エリスってば、ルネのこと大好きなんだから!」
当然のように言われて面食らう。彼は、エリスのことを誰かと勘違いしているような気がした。
「貴方は本当に、何を言っているの?」
「君は間違いなく、僕のお嫁さんという話だよ」
嬉しそうに言って、エリスの手を取る。拒否をする暇もなかった。
「ちょっと!」
思わず声を上げてしまう。驚きよりも、怒りのほうが先にきた。
「レディの手を許可なく取るなんて品がないわよ、はしたない」
「これは失礼」
「簡単に手を取るというのは、相手を軽んじている証拠よ」
腰に手を当てて言いつのったエリスに、シルヴァが肩を竦めた。
「エリス、君は聡明なひとだ。けれど勘違いしないで欲しいな。僕が君の手を取ったのは、それほどに切々と、配慮すら忘れるほど、愚かな男になり下がるほど、君に焦がれているからだということを」
「くどい」
言い捨てたエリスに少しだけ残念そうな顔をして、けれどエリスの言い分には反論する気がないらしい。エリスの手をはなして、一歩下がる。
それから改めてというように、シルヴァはにこりと笑ってエリスに手を差し出した。
「では、改めて。お手をどうぞ、レディ。デートしましょう!」
「デート?」
不思議そうな声を上げるエリスに、シルヴァはいたずらっぽく笑った。
「だって、愛し合う二人はデートをするものでしょう?」
あんまりに自然な言葉だったし、そのわりにはあんまりな言い分だった。流されかけて、はたとエリスは踏みとどまった。
ちょっと待って、と頭を抱える。
「わたし、あなたと愛し合った記憶は一つもないわよ!」
言い返したエリスに、シルヴァがころころと笑う。その様子があまりに邪気がなくて、エリスは毒気を抜かれた。
いきなり付きまとってくる男がするにしては、ひどく明るい表情だった。
「でも僕は、君が好きだよ。エリス。当然の気遣いすらどこかに置き忘れるくらいに、愚かな男になり下がるくらいに」
「……、!」
ふざけていたと思ったら、思いもかけない誠実な声に息を詰まらせる。反論しようとしたのに、手段を封じられてしまった。
彼を傷つけるのは、何かが違う気がした。それでも、何も言い返さないわけにはいかなくて。
「――でも私は、貴方が好きじゃないわ」
あんまり言いたくない言葉だなと、思った。けれど、言わないわけにはいかない言葉だった。
エリスはシルヴァの恋人でもお嫁さんでもないので。
シルヴァは気にした様子もない。まるで、ただエリスがそこにいることが楽しいみたいに。
「それは少しだけ悲しいので、ちゃんと好きになってくださいね。貴女は僕のお嫁さんなので」
うふふ、と笑う。花のように笑う男だ、と思った。
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