その声、マジェスティック

『おウチでまったりが良さそうね』

 街は赤と緑のツートンカラーに彩られ、駅前の小さな芝生広場にはささやかなイルミネーションが道行く人々の目を引きその心を和ませる。

 リカコと過ごす時間が増えて遠退いた癒やしの場へ久方振りに足を運び、柵に凭れて夕陽が沈むさまをぼんやりと眺める。正にこの場で再会したのだと思い出し、運命的な巡り合わせを生誕日まで残り八時間ばかりとなる異国の神の子にも感謝する。

 残すところ、二ヶ月。

 平均寿命に比べれば微々たるこの時間を何事もなく過ごし、続く未来へとともに歩んでいく。

 ―――つもりだが。

 伝えるべき言葉を先延ばしにした後悔がここにきてどっと押し寄せる。


「信じてねぇわけじゃねえが、怖いんだろうな、きっと。いや、違うな。認めたくねぇだけか。誰のせいでもねぇ、俺が小さくて弱ぇだけだな」


 リカコの元夫のクズぶりは相当なものだった。

 家庭内モラハラに加え、彼女の先輩との結託による搾取はそれだけに留まらず不倫も兼ねるという裏切りのオンパレード。

 これを高校の同窓会で小耳に挟んだ幼馴染みから無理矢理聞き出したときは、怒りを通り越して殺意が湧いた。この世に私利私欲に走る輩はごまんと居るが、こんな身近なところに現れようとは。しかも、かつて想いを寄せていた相手の連れとして。

 伝手を頼って解決の糸口を作ってくれたアイツらには感謝してもしきれない。その後、再会できるよう画策してくれたことも。独り立ちするリカコに親身になってくれたことも。

 再会当初は遠慮がちだったリカコも少しずつ自信を取り戻し、あの頃と同じ陽だまりのような笑顔を惜しみなく見せるようになった。

 だが、まだ足りない。十二分に至るまでは更に甘やかし、想いをぶつけ続けねば。

 リカコだけでなく、俺の中にも燻る残滓を悉く消滅させるために。

 

 一瞬の気の迷いとはいえ、リカコはあの男と添い遂げるつもりで縁を結んだ。洗脳まがいの巧妙な手口という経緯があるとしても、その事実は十分過ぎるほどに俺を苦しめた。悔しくてやるせなくて到底受け入れられるものではなかった。リカコを待つ間も、同じ時間を共有し始めてもそのしこりは暫く残り、言うべき言葉を口に出せずに規定の三百日を迎えるまでになってしまった。

 リカコへの想像を超えた執着に我ながらゾッとするし、それ以上に己の不甲斐なさに嫌気がさす。遠回りさせて後悔するならば伝えるべきだったのだ。

 高校卒業後に同じ地を踏んだ、あの時に。


 『初恋は実らない』と誰かが言った。

 どうせ壊れるならばと手を伸ばすことを諦めた。

 修行の身で恋愛にかまけている余裕はない。

 家業を支えることが最優先。

 いつしか連絡を取り合う事も無くなった―――といえば聞こえは良いが、その実、内に宿る卑屈な精神がそうさせただけだった。

 井の中の蛙が目の当りにした大海。その衝撃に圧倒されて味わう絶望。瞬く間に奪われる自信と矜持。同時に湧き上がる、ぬるま湯に浸かる者への羨望を超越した嫉妬と嫌悪。

 家業を継ぐ決意に迷いはない。

 だが、自尊心をズタズタに切り裂かれた身に、前途洋々とした数多の選択肢を持つ者の煌めきは眩し過ぎて耐えきれなかった。

 だから、漸く掴んだ儚い繋がりを自ら断った。


 思えば、馬鹿なことをしたものだ。つまらない意地とプライドに縋ったために大切なものを易々と手放してしまった。

 全ては後の祭りだが、改めてこれから挽回するとしよう。必要のない苦しみを巡り巡って与えた罪は生涯をかけて償うのだ。


 明日、退勤後に会う約束をした。

 互いに贈るクリスマスプレゼントを選ぶ為だが、それとは別に先ほど用意したばかりの小箱をショッパーからそっと取り出す。片手に収まるほどの大きさではあるが、実に重みのあるものだ。

 これを、神の子生誕を祝う際に添えるとしよう。

 丹精を込めて作るリカコ好みのベリー系レアチーズケーキを挟み、仄かに揺れる蝋燭の灯りに包まれながら、これまでの過剰な甘い囁きを封印して真剣にこの想いを伝えるのだ。


 ぬかるなよ、根性見せろよ―――ビビリの俺。

 

 ◆ ◆ ◆


「はぁ? 嘘だろ?」

 実家に構える『菓子処 あけの』より入った業務連絡に軽い目眩を起こす。

「だからショーケースに入れるな、とあれ程言っただろうが!」

 余計な真似してくれたのは、一体誰なのか?

 犯人は、大学を卒業して地元に戻り銀行員となった双子の片割れである妹だった。

 幼馴染み①号の好みに合わせた特別仕様のクリスマスケーキを、受け取り時間に合わせて作業場の冷蔵庫から移動した。この在り来りな行動が良くある話で終わりにできない理由は、和菓子専門店では有り得ぬ洋菓子の存在であり、戯れに産み出した非売品という経緯を持つからだ。

 誰の目にも触れぬよう扱うのが、暗黙の了解。

 なのに、それをいとも容易く覆した。

 結果、運悪く目敏い何某かにつけ入る隙を与えてしまった。


『人気の和菓子店にクリスマスケーキが!』


 SNSの可能性は無限大。知れ渡って欲しい時ほど拡散せず、要らぬ時にこそ威力を発揮する。

 小さな呟きは瞬く間に広がり、密かに購入希望者が続出しているらしい。だが、ここは頑として『異国の風習とは無縁』と無視すれば良いだけのこと。

 なのに家族はそれを良しとしなかった。

 というか、完全に調子に乗った。

 閑散期のクリスマスだからこそ、逆手に取れ。この機会を逃す手はない。次代を担う若手職人による戯れのホールケーキではあるが、パチパチとそろばんを弾いた、もとい、電卓を叩いた数字を一同が頭に思い浮かべ『採用』という結論に至らしめた。

 その謎の自信はどこからやってくるのか。

 製作側の苦労も知らぬわけでもなかろうに、実に突拍子もない事後報告をするじゃないか。


幼馴染みアイツら仕様だから味が極端だし、今日明日で材料を揃えて大量生産なんて出来ねぇと、常識的に考えればわかるだろ?」

 キツイ言い方だとは自覚している。だが、年末年始の手土産品の製作を控えたクリスマスはのんびりと過ごすのが我が家の通例なのだ。

 そしてなにより、明日の俺には一大ミッションが待ち受けている。その為にはどうしても丸一日をリカコとの時間に費やしたいのだ。

「少人数の需要に応えて食べきりサイズでいく? にしても、この価格設定は無理あるだろ。慈善事業じゃねぇんだ……おい、ちょっと待て、人の話を聞け!」

 一頻り話し終えて満足したのか、切電されて耳元にはツーッツーッと終話音が虚しく響く。

「……マジかよ。予定がメチャクチャじゃねぇか、くっ、うぐぐがーーっ!」

 人目もはばからず叫びたい衝動に駆られるがすんでのところで必死に抑え、深呼吸をしてリカコへと連絡を入れる。


「すまん

 明日はローストビーフを作れねぇかも知れん

 急遽、ケーキを出すことになった」


⇒ 大変だ!

  プレゼントは日を改めて

  ディナーの空きが無いか調べてみるけど

  おウチでまったりコースが良さそうね

  ケーキは、楽しみに待ってます


「ちっ、絶妙なタイミングで試練を与えやがる。いや、全てグズグズな俺が悪いんだな。どうか……頼むから見捨てないでくれ、神とその御子サンよ」


 東の空は夜の帳が降ろされ始め、地に沈む太陽が一際輝いて空を染め上げる。祈りを込めるように小箱を宵の明星へと翳してきゅっと握り、リボンを崩さぬよう優しく戻す。

 明朝の予定外な起床時間と作業にウンザリしながらも鼻歌交じりに屋上公園を後にする。

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