『お前好みが俺好み、俺を存分に染めてくれ』

 さて、突然ですが!

 以前、思いついた企みをついに決行いたします。

 そこのあなた。

 いつの話だよ、とのツッコミをありがとう。

 『ほんのイチブしか……』話内の企みです。


 ◆ ◆ ◆


「ケンジくん、この中から選ぶとしたら、どれ?」

「んー? それは、リカコが着る前提か?」

「そう思ってくれて差し支えないわよ」

 あなたが望む〈ケンケン&リリー〉は時期尚早と理由をつけてご遠慮願ったが、それ以外のところでたまにはあなた色に染まりたい。

 好みを探るべく、ファッション雑誌の見開きにババンと掲載された一週間コーデを見せる。


 ①②未だに衰えを知らぬワイドパンツにロングプリーツスカートを筆頭に、③見慣れたアイテムをワントーンでキメるすっきりスタイル。④アラサーには手が出し難い大襟ブラウスをタイトスカートやボリュームカーディガンでバランスよく仕上げ、⑤テーパードパンツをシンプルに着こなすモノトーンコーデには差し色のコートをオン。⑥ちょっと細身のリブニットワンピースにはゆったりジャケットを羽織って緩急をつけて、⑦むにゃむにゃ―――。


 記事が都市部に住むデスクワーカーの通勤服をイメージしているのは明白で、制服着用が基本の片田舎の販売員には無用の長物なのも、悪目立ちするだけなのもわかっている。

 だが―――。

 例えばお出掛けの際にあなたからの〈いいね♪〉を貰えるタイプは、果たしてフェミニン系なのか、トラッド系なのか、大人カジュアルか甘辛ミックスか、シンプルなのかナチュラルなのかハンサムなのか。

 とにかく、とにかく、聞き出したいのである。


「リカコにはどれも似合いそうだが……ふむ、ここには無ぇな」

 ざっと眺めて首を振る。

 先程から続くスマホゲームから離れて刮目せよ!

「いい加減になんて見てねぇし、思ったことを述べたまでなんだがな。他には無ぇのか?」

 このページは好みではないが他ページにはあるかも知れないという微かな希望を抱かせる、女心を擽るセリフが続いてニンマリしたくなる。

「じゃあ、これは? それは? あれは?」

 次ページ、他ページ、また別ページ。

 めくりめくる紙の乾きに指先の水分と脂分が根こそぎ奪われそうになる頃、

「お、ちょっと戻ってくれ。いや、少し先の……」 

 これだな、と漸く指を差す。

 先程見せたコーデに比べてカジュアル味が濃いそのスタイルは通勤向きではないと静かに抗議するが、次の言葉にハートをズキュン! と撃ち抜かれてしまう。

「リカコが、そういう感じの服を良く着てるだろ?それが似合ってるし、そういうのが俺の好み。要するに『お前好みが俺好み』ってヤツだ。但し、通勤時は露出を控えめに願いてぇな。電車、バスを乗り継ぐ途中で、名もなき悪い虫がタカりでもしたら心配なんでな」

 主張を押し付ける訳でもなく、私の趣味を逆に尊重してくれる一言。おまけにちょっとした嫉妬も付いてくるとは!

 本来の目的を忘れたチョロい私は終始デレてしまい、

「そんな物好きの虫なんて、居ないわよ」

 謙遜して言葉を返すと―――。

 思わぬ方向へと話題がすり替わっていく。


「やれやれ。入社間もない企画部の次代エースを、早々に我が物にした男が居るほどの魅力チャーム持ちだと自覚してねぇとは……困ったもんだな」

 何処から仕入れたのか元夫との馴れ初めを例に上げての賛辞に、先程までの弾む心も一気に萎んで苛立ちが募る。

「そういう例えは、やめて。それと、何でもゲーム用語に置き換えないで」

「……悪かったよ。ところで、いつかの企画会議はどうだったんだ?」

 主任の計らいで参加した記念周年向けの会議。

 特に聞かれもしないので報告を怠っていた結果は散々で、会社員時代に培った知識と経験を存分に引き出せもせず、家庭に入ってからの空白時間を埋めることもままならず実力の無さを思い知らされて、終わった。

 立ち塞がる壁は想像以上に高かった。

「息巻いて臨んだだけに、恥ずかしい限りよね」

「……それで諦められるだけの熱量しか無かった、とわかって良かったじゃねぇか」

「ちょっと……さっきから突っかかる言い方ばかりして、何なの?」

「完全燃焼でやりきった、と胸を張れる代物でないから恥じている。結果を黙っていたのが、その証拠。違うか?」

「それは……」


 全て、あなたのご指摘の通り。

 図星を指されて反論材料もない。

 自ら言い出さなかったのは『聞かれもしない』からでは当然なく、『知られたく無かった』から。

 数年ぶりの発案、記念周年というプレッシャー等を上回る、捻りだす全ての案への自信喪失と全否定の繰り返しの日々を。

 これぞ我が道! とがむしゃらに突き進めたあの頃が嘘のように尻込みをし、一介のパート従業員の意見など通るはずもないと最初から諦めて導き出したのは、目を引かぬよう努めた在り来たりな折衷案。中学時代のぬるい委員会のご都合主義者の如く、一人取り残されて会議は白熱していく。

『また、機会があったら声を掛けるわね』

 最後にそう微笑んだ主任の厚意を無駄にしただけでなく、その顔に泥を塗ってしまった。

 何が許せないって、自分が一番許せない。

 いつからか他人の顔色を窺う事に慣れてしまった、情けない自分が。


「日和らずに進めるよう、もっと強く後押しすべきだったか。俺は……中学時代の堂々とした生き方に惚れたってぇのに、その自尊感情をズタズタに切り裂いた奴が居た。腸が煮えくり返るし、とっ捕まえて至上の絞め技を掛けてやりたくなる」

 最恐男子の二つ名は伊達じゃない。

 スマホゲームに釘付けの姿勢を保つその瞳からスッと光を消し、幼馴染みから無理矢理聞き出したという元夫への怒りをあらわにする。

 肌に合わぬ営業部から念願の企画部への異動を目論んだ元夫が必要としたのは、ではなくこの。人好きのするユーモア交じりの陽気な人柄に惹かれたが故に、するりと懐に入り込まれ、家庭という名の檻に閉じ込められ、じわりじわりと羽を毟られて翼を奪われた。

 それは、実に巧妙に。

 漸く囚われの身から解放された今でさえ、その爪痕がどこまでもこの心を苦しめる、搾取と、支配と、裏切りのあの時間。

 涙を堪えずにはいられない、思い出したくもない過去を持ち出すなんて。

 あなたは一体何を伝えたいのか?


「俺はリカコのほんの一部しか知らねぇから、時に不安になりながらも自信に満ちた昔を取り戻せと、ついお仕着せちまう。それは、当然ながら無視してくれ。でもな……謙遜とは名ばかりの自己否定は程々にしておけ。相手の厚意を無下にする以上に、その身と心を削る。過ぎれば、全てを失いかねねぇ」

 数多の知識を習得し向上させた末にその差が歴然となる職人技。幾度も失敗を重ねて自己嫌悪に陥る日々を繰り返したあなたが、周囲に見守られ甘やかされ助けられてここまできたことを明かした。

 誰の目から見ても頼れる兄貴分という印象のあなたが弱さを語るなど驚きでしかないが。

 もしかして、これまでの激甘ぶりは自己肯定力が激減した私を立ち直らせるため―――だった?


「こう見えて繊細クンなんで、諸々察しちまう……と言いたいが、単純に糖分の無償提供をしてぇだけだ。菓子職人だけにな」

 全く照れもせずにクールな笑みを浮かべて言い放つその顔が、次の瞬間にはふわっと柔らかく崩れて優しく言葉を紡ぐ。

「いいか、現在いまのリカコは誰が何と言おうと自由だ。好きに羽ばたいて心の赴くままに飛び回れ。つまらないことで気に病み、延々と自分を責める暇があったら、一つでも多くの愛を俺に囁いてキスとハグの嵐で弄んでくれ」

 元夫との生活によって生み出された不信感と自己否定を、数々の甘い言葉と優しい行動で救ってくれていたあなたご自慢の迷言が本日も飛び出す。

 昔話はたくさんだ、と叱ろうとしたら相変わらずの着地点だなんて、ズルい人。

 うっかり涙が溢れてしまうじゃない。


「ねぇ、ケンジくん……少しでいいから、その胸を借りても良い?」

「これはリカコ専用だ。前にも言ったが、遠慮なく甘えて存分に使え。何なら、肌の温もりを直接感じながらでも構わねぇぞ」

「バカね、流した涙はどうするのよ?」

「どうせ、後は風呂に入って寝るだけだ。この細く美しい指で、綺麗サッパリと洗い流してくれ。隅から隅まで、隈無くな。ちゅっ」

 掌にキスをしながらの字面が執拗しつこいセクハラ言動に吹き出すも、止めどない涙でぐちゃぐちゃな顔にあなたの胸が近付いて優しい腕の中にすっぽりと包まれる。

「愛の囁きを不快認定するとは、心外だな」

「日頃の行いが裏目に出たみたいね、残念でした。でも……ありがとう、最恐ヒーローさん」

「感謝だけでは足りねぇな。『またの機会』が有るなら、どんどん押していけよ。引いてばかりじゃ始まらねぇし、明るく振る舞う影で悄気げてるリカコを見るのは、それこそ『たくさん』なんでな」

 唐突なテンション高めのファッションリサーチは無理矢理感が有ったらしい。

 本当に良く見ていて、逆に怖いくらいだ。

「恐らく社交辞令だろうけど、こうなったらお詫びがてら改めて攻めてみる」

「その意気だ。心細くなったら俺を思え。何なら、御守りがてら待ち受けに設定にするか?」

「三十路を迎えて待受画面が彼氏、だなんて……」

 最高じゃないっ!!

 どんなポージングでお願いしようかと思案する。

「王子系、俺様系、あざと系、ツンデレ系……遠慮なく言えよ。リカコ色に染まるのは悪くない、寧ろ染まりてぇしな。いや、存分に染めてくれ」

「だから、ケンジくんの愛は字面が執拗しつこい!」

「わはは!」


 あなたのその声が、眼差しが、全てを包む優しさと否と言える厳しさが、中学のあの時から私の自信を支えてきた。

 そして今、こうして隣りに居てくれるだけで十分過ぎる程に身も心も救われている。

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