『話しておきてぇことがある』

 ピピピ、ピピピ、ピピッ、ピ―――。


 アラームの解除を忘れたお陰で目覚める羽目になった休日の午前七時。お歳暮&クリスマス商戦に湧く職場からの一時離脱を満喫するはずが、何たる不覚。暫し、寝ぼけ眼でカーテンの隙間から覗く柔らかな陽光を眺める。徐々に射し込む天使の梯子が煌めいて部屋を照らす様は、いつ見ても美しい。

 突発的な目覚まし音に即刻気付いたお陰か、隣りで気持ち良さそうにスヤスヤと寝息をたてるあなた。その腕の中に再び潜って微睡みに浸りたいところだが、如何せん冬は洗濯物の乾きが遅い。

 起こさぬようにベッドからそっと抜け出す。

 が―――。


「朝早くからご苦労さん……と言いたいところだが、休みの日ぐらいはゆっくり寝てろ」

 腕を摑まれて広い胸元に引き寄せられる。

 その温もりが朝冷えを感じた身にじんわり伝う。

「飯も掃除も洗濯も、後で二人でやればいい」

 気付けば身体も脚もしっかりとホールドされ、絶対に逃さん、とばかりの拘束だ。

「でも、洗濯機は先に回したいんだけど」

「駄目だ」

 何故だろう?

 こなすべき家事を前倒しにしておけば、あなたとの時間が多く得られると思うのだけれど。

「改めて言わねぇと分からねぇとは驚きだな。ならば説明しようじゃねぇか……ふあぁぁ」

 覚醒しきれていないのか、瞼を閉じたままで抱き締める腕を更に強めると耳元に顔を近付けてうっそりと囁く。

「寝癖をつけてポヤポヤした俺の顔を、全く堪能しちゃいねぇ。甘えてイチャつきたがる俺を、存分に味わってもいねぇ。休日の微睡みってぇのは、そのういう俺を全身全霊で感じ、癒され、心満たされる為にある。だから、絶対に離さん」

 うはー、朝から始まりますか、謎の甘々攻撃。

 そういうことをサラッと言い放つのは聞いてる方が恥ずかしいのだといい加減知っていただきたい。

「困ったもんだな、半年経ってもまだ慣れやしねぇのか」

「ここまで次々と飛び出すとは思わないから、そのギャップに耐えきれないのよ。それより……おほん、ケンケン、ちょっと話をしても良い?」

「おうさ、リリーの話すことは全て聞くぞ。ふわぁぁぁ……むにゃむにゃ」

「ごめんなさい、私……もう、ダメかもしれない」

「何があった? 言える事なら隠さず話してくれ」

「……無い……リリーは無い、絶対に無い!」

「深刻に切り出すから何かと思えば、その事か。『歩く姿は百合の花』らしく、颯爽と凛々しく進む大野リカコにピッタリの呼び名じゃねぇか」

「いや無理、鳥肌が立つ! 否、既に立ってる!」


 ◆ ◆ ◆


 ここで時は、一週間前まで遡る。

「リカコに、話しておきてぇことがある」

 風呂上がりにコタツへ潜る私の正面に座り、神妙な顔つきで口を開いたあなた。何事かと不安になりながらもその手をとって耳を傾けると、

「これより、例の儀式を行う」

「……はい?」

 あなたとの交際を始めるにあたり絶対に避けられぬ通過儀礼だと例の幼馴染み二人から明かされた、〈互いの呼び名決定式〉。その記念すべき(?)第二回を、このタイミングで挙行すると言うのだ。

 三十路とはいえ、恋人同士であるからには特別な名で呼び合うのはやぶさかではない。

 だとしても―――。

「つ、付き合い始めてまだ半年よ、不要では?」

 問うたところであなたの决意は変わらず、おまけに少年のように無垢な笑顔で見つめてくるから断ることも出来ず、渋々承諾したものの。

 はあぁぁぁ……恥ずかしくて溜め息しか出ない。

 何故かというと―――。


「〈ケンジくん〉は無しだからな」

「わかってます……では、ケンちゃん」

「アイツ等と一緒か」

「ならば、ケンくん」

「ふむ、なるほど。続けてくれ」

「……守谷くん、モリリン、モリー」

「待ってくれ、名字は除外と言った筈だ」

「……ケンぴ、ケンたん、ケンぞー、ケンジっち。あとはケンさん、ケンりん、ケンべぇ。〈ケー〉にすると無限に広がるからやめておくとして……それと、ケンケンを忘れてたわね。どう、これまでに響くものは有った?」

「どれも捨て難いが、一つに絞るとしたら―――」

 一般路線からキラキラきゅるるん路線まで延々とあげた中から本人が選択する。この過程を経て、〈ケンケン&リリー〉へと呼び名を変えた。

 ちなみに私の呼び名は、開口一番に出たあなたの双子の弟妹によるイチオシ案に即決した。あなた同様の決定方法を踏襲すると、次々と繰り出される〈リリー〉を上回るキラキラネームを黙って聞き続けねばならず、お腹が膨れ過ぎて夜も眠れそうにない。ならば、あっさり降伏を受け入れるのが得策、という精神の安定を最優先した結果だ。

 しかも、〈ふたりきり限定での使用〉と約束させたことは我ながら良くやったと褒めてやりたい。

 だが、如何せん胸の奥がむず痒くて仕方がない。

 慣れない、恥ずかしい、私のキャラじゃない!


 ◆ ◆ ◆


 それでは時を戻そう。

「鳥肌が立つとは一大事だな。その原因である情緒性ストレスを、根こそぎぬぐってやろうじゃねぇか、さすさす」

「もう! どさくさに紛れてお尻を撫でるのは、お止めくださ……ちょ、ちょっと、誰が直接触れと言ったのよ、やだ! ダメ……だって……朝からなんて……抑えきれない」


「素晴らしい一人芝居だな。なかな聞けねぇ、魅惑のエロボイスが刺激的だ。一瞬引いたがな」

「もう! 勇気を振り絞っての努力が徒労に終わる恥ずかしさを察してよ! そして、あなたの決意はどこまでも堅固ですね、ケンケン」


「クソ真面目に付き合わせて、悪いと思ってる。だが、万が一の事で悲しむ姿を見たくねぇし、後悔もしたくねぇんだ。許してくれ」

「肌を重ねる事が愛情を図る全てではないけれど、男と同じように女も欲情しちゃうことは、知っておいて欲しいわね」


「ほぉ……それは、今まさにムラってるヤツか?」

「こっそり抜け出したのを引き留めるように抱き締められてお尻を擦られたら、そりゃ、変なスイッチも入りますよ」


「あと少しの辛抱だ、すまねぇな。解禁後は……あんなことやそんなこともしながら、こんなになってどうなっちまうんだ! てなくらい愛し合おうじゃねぇか、ちゅちゅっ」

「えーと、お手柔らかにお願いしたいデス、はい」


「当然だ、リリー在ってこそだしな……ふわぁぁ」

「何だろうなぁ……調子が狂う。最恐男子の頃からそんな感じだったの?」


「知らねぇよ。自分を変えたつもりは一切ねぇから……ふわわぁ、そうなんだろ?」

「ムスッとしたあの顔の裏では、と思うと……くすくす!」


「多感な思春期真っ盛りを……笑うなよ…むにゃ」

「ねぇ、時効だから教えて。いつ意識し始めた?」


「さぁな、いつだったか……それより、双子が揃う守谷家食事会の都合をつけてぇん……だが…」

「かなむー妹弟きょうだいの帰省が決まったの?」


「ん……冬期年休に入り次第、戻ると連絡が……リリーの予定に合わせるからと楽しみに……」

「ケンジくーん、話が途中ですよ。おーい、寝ちゃうの?」


「うんん…………ケンケン…だ……むにゃむにゃ」

 すぅぅ、と寝息をたてて再び閉じる瞼。

 完全なる二度寝に入り、拘束の腕が僅かに緩む。

 それでも抜かりなく呼び名を訂正するとは。

 いやはや、感服です。

 疲労が溜まると稀に見せる眉間のシワを指で撫でて伸ばし、身動みじろぎしないあなたの額にそっとキスをして私も二度寝を決め込もう。







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