『愛を囁きてぇし、触れ合いたいんだよ』

 ある晩に湧き出た雷雲は、近年稀に見る雨量を伴って瞬く間に発達。この街の象徴である大企業の実験棟も、その頂きを低く垂れ込める薄雲に消されていた。

 でも、その事実に気付いた時には既に遅し。

 ひっきりなしに轟く雷鳴と視界を遮るほどにけぶる雨の世界へと放り出し、さっさと帰れと告げるのは余りにも非情な行い。そして擦り合わせる、翌日は定休日のあなたと午後から出勤予定の私。

 とくれば―――。

「泊まっていく?」

 この日のために買い揃えたあなた専用のお泊まりセットが、漸く日の目を見るというわけです。


「エアコンは入れっぱなしで寝るのか?」

 客人用の布団を出そうと、クローゼットに手を伸ばしたところで声がかかる。

 一人暮らしの光熱費は気になるところだが、夏の寝苦しい夜を重だるく過ごすのは翌日の職務に支障を来たす、と自分に言い聞かせたのでその旨を伝えると思わぬ言葉が返ってきた。

「なら、ベッドで一緒に寝させてくれ」

「……はい?」

「こう見えて冷え性なんでな。ゆたんぽ代わりになってくれ」

「ゆた……シングルサイズだし、さすがに狭いのでは?」

「ピッタリくっつくけば、イケるだろ。寝相は良いから殆ど動かねぇし。絶対に落としやしねぇよ、安心しろ」

 返しに困る発言に加え、あなたはお泊りの事実を理解してるのかな?

 に居られる自信は無いですよ、私。

「俺をその気にさせるリカコの姿か、なかなかそそるな……だが、果たして成功するかな?」

「あらあら、自信満々ですこと」

「出来るものならやってみろ、だな」

 はっきりと断言されるのはなかなかに寂しいものだが、その決意の理由を知れば納得。正直なところ、「どうでもえぇやん、真面目か!」とは思いますけどね。

「では、そのように準備をいたしましょう」

「おうさ、ならば手伝おう」

 こんなでも、あなたと居られるのならば良しとしよう。


 ◆ ◆ ◆


「暑い……」

 ただいま、午前八時。

 空気を入れ替えようとリビングの窓を開ければ、既に生温い湿り気を帯びた風がレースカーテンをユラユラと揺らす。

 何なんでしょうね、年々厳しさを増すこの暑さ。

 これでは、家事をこなすのも一苦労だ。

「朝はいつもこれくらいに起きるのか?」

「午後出勤の日はギリギリまで寝てるけど、今日はそうもいかないでしょ?」

「気を回せちまったな、すまん」

 それに関しては、不正解。

 尽くしたいから朝ごはんだって作るし、ボッチでないから作る意欲も湧いてくるのだ。

「『俺との時間を得たいから』、が足りねぇな」

 はいはい、その手の台詞はそこでストップ。

 テーブルに並ぶハムエッグとトースト、有り合わせの野菜で作ったスープをいただきましょう。


「後片付けを終えたら、掃除機かけも俺がやろう」

「来てくれてるのに、やらなくていいよ」


「どうせ、一日暇だしな。安心しろ、塵一つ落ちない様に綺麗に仕上げる」

「やだ、逆にプレッシャー!」


「朝からこれだけジットリしてるんだ、出勤前に汗かいちまうだろ?」

「シャワー浴びるし」


「それが困るんだよ。真っ昼間からいい香りされると、さすがの俺の理性もぶっ飛ぶ」

「なっっ……おほん、昨晩の自信は何処へやら?」


「ひと山越える余裕は有ったが、その先までは想定外だった。下手に煽ると、どうなるかわからねぇぞ? 出勤に響くかも知れねぇな」

「ぐふっ! それでも私は構わないけど。ねぇ……そういうの、言ってて恥ずかしくならない?」


「胸の中に留めてたら、何にも伝わらねぇだろ。それに……一言、二言、交わすのが精一杯だったあの頃の分まで愛を囁きてぇし、触れ合いたいんだよ。殆ど自己満足だけどな。面倒なヤツに捕まったと思って、諦めてくれ」


「ならば、お好きにどうぞ。私はあなたの動向を見守るとします」

「遅刻の連絡、入れておけよ」


 は? いやいやいや、そっち?

 まさか、冗談よね。

 シないでしょ?

 シないよね?

 シて……くれるの?

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