『俺だけの愛しい彼女と美味い飯が待つ……我慢出来そうに無ぇな』
「大野さん、就業後にお時間もらっていい?」
昼休憩へ向かう直前、主任に呼び止められる。
査定の面談にはまだ早いし、ミスを犯した覚えもないが、たまに我が強くなる接客が失態を招いたのかもしれない。きめ細やかな応対をより一層心掛けねばと反省し、気もそぞろに
この百貨店で勤め始めた頃は扶養を考慮した時短就業も、独り身となればフルタイムでガンガン働けるようになった。
というか、やらざるを得ないのが実情だ。
不動産業界に身を置くあなたの幼馴染みの口利きで一人暮らしには贅沢な程の部屋を手頃な家賃で紹介してもらい、短い主婦時代に培った料理スキルを駆使して自炊をするも、生活費が嵩むものは嵩むし物入りの時はあっという間に消えていくのがお金という奴だ。
それでも、この仕事は性に合っているようで、毎日楽しく職場に向かえる私は幸せ者だなと改めて実感する。
「お先に失礼します」
今日は午前九時から午後五時までの早番であがり、昼に覗いた惣菜屋で副菜を一品、おこわ屋で主食ニ種類を取り置き願い、主任の待つ社員食堂へと急ぐ。
「この年齢で叱られるのだけは避けたいなぁ」
うっかり口をついて出た不安が的中しないことだけを祈り、一礼して主任の向かいに座ると思わぬ言葉をいただいく事となる。
「大野さん、次回の企画会議に出てみない?」
◆ ◆ ◆
「急なお話なので保留中なんだけど、どうしよう」
「へぇ、スゲェじゃねぇか。大抜擢だろ?」
店舗の片付けを終えてやってきたあなたと食事の準備をしながら先刻の話をする。
総力を上げて催される次回のキャンペーンは記念すべき年度を祝うということも有り、各店舗が打ち出す目玉企画に百貨店本部としても大いに期待を寄せている、らしい。
その企画会議への出席を許される、ということは―――。
「そうではないのよ。就業経験が一定期間に達した者から、順番に声をかけるらしいから」
「だとしても、その先への足掛かりになるかも知れねぇだろ。有り難く、受けておけよ」
「簡単に言ってくれるけど、ただ座っている訳にはいかないのよ?」
そうなのだ。
物見遊山の気分で出席するのでは意味が無く、当然、何かしらの発言を求められるわけで。
「リカコは新風を巻き起こすのが得意だからな。中学の委員会でもそうだったろ? 自信を持ってやってみろよ。それもまた、良い経験になる」
中学二年で所属した委員会で、例年通りの生温い企画に意義を唱えたあの時の事を言っているのだろう。それに唯一賛同してくれた最恐男子の挙手に助けられたからこそ、その後の発言に自信が持てたのは言うまでもないのだけど。
「ケンジくんのお墨付きがあるならば、気合を入れて立ち向かってみますか!」
「その意気だ、応援してるぞ、愛しのリカコ様」
やだ、やめて、小っ恥ずかしい!
さて、今夜の献立ですが。
主食のおこわは最早おかず寄り。なので、併せて購入した和風サラダにひと手間加えた副菜と浸け置いた豚肉をたっぷり玉ねぎと炒めて
ランチョンマットに箸置きと箸をセットし、茶碗にニ種類のおこわを盛り付ける。茶飯の鮮やかな緑と黒米の渋めの紫が、やがて来るクリスマスカラーのようで気分も上がる。
「ぷっ! その前にハロウィンが有るだろうが」
吹き出しながら床に座り緑茶を注ぐあなたとは、気付けば毎日のように夕食を摂るようになっていた。
『それは、もう同棲コースで良いのでは?』
周囲からの声も多々あるが、
「けじめはキチンとつけておきたい」
生真面目な元・最恐男子様は、頑として受け付けないのでこうなっている。
隣街から退勤渋滞に巻き込まれ、日々我が家へ通うのは面倒なのは明らかだろうに。
だから、改めて尋ねてみた。
「仕事終わりにこっちに来るのって、億劫じゃないの?」
「全然、全く、気にもしねぇな」
「お腹も空くでしょう、大丈夫?」
「他人の運転なら酔うかも知れねぇが、自己制御出来るから平気だな」
「遅番だと更に遅くなるし、事の次第によっては今後もどうなるかわからないわよ?」
「お、いいな、そのヤル気。メシを用意する時間とここに着く時間が変わらねぇんなら、大した違いはねぇだろ」
「まぁ、そうなんだけど」
「遅くなる時は、無理に作らずに外食でも内食でもすりゃぁ良い。一人で食うよりかは、誰かと一緒の方がメシも美味くなるしな」
「それは、一理どころか兆理ある」
「だが、俺だけの愛しい彼女と俺だけに用意する美味い飯が待ってると思うと、更に腹が減るし、諸々我慢が出来そうにねぇのも確かだな。リカコの助言の通り、明日から来るのをやめるかな?」
「…………是非お越しくださいな」
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